紙の本
みそらの花を星、地上の星を花と呼ぶのですね
2022/10/06 09:39
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投稿者:kotep - この投稿者のレビュー一覧を見る
遠州峰生の遠藤家の龍治と結婚した燿子。二人に娘・瀬里が生まれた。東京で一緒に生活するが、瀬里の体調がよくないため、遠州峰生に戻ってきた。燿子は遠藤家の衰退していく様を見つつ、峰生に何かできないかを考え始める。そして自立するためにスーパーで働き始める。スーパーの売り上げを増やす企画も次々と出し、成果を上げるが、そのスーパーも閉店が決まり、今後のことを考え直す。燿子は周りの協力を得て自分や瀬里、峰生に住む住民のために大きな勝負に出る。その勝負とは・・・・・。
身体も弱く、虐められていた燿子ちゃんも大人になったんですね。今まで彼女に襲った不幸を乗り越えて仲間と共に生きていく姿にちょっと感動しました。
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めちゃくちゃ良かった。「天の花」では、この先どうなるのかと思ったが、燿子の活躍が心地良かった。たった一人で峰生にやってきた子が、成長とどにたくさんの仲間に囲まれていく様が嬉しい。立海との関係も、簡単ではないところが、淋しいけどよかった。
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もどかしい。
耀子の生き方、立海、龍治、みんな。
とりあえずもう1回、1作目、2作目を読まないといろいろ忘れてる…。
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ヨウヨがみんなの居場所、峰尾、常夏荘を守るために奮闘する第三巻。
犬猿の仲だと思っていた遠藤由香里がまさかこんなかたちで登場してくるとは…。女性って逞しいなって感じた。
そして何と言っても、立海の一途な想いがただただ切ない。
立海から受け取ったあの指輪、ヨウヨはきっとあのポーチに入れたんだろうな…。
指輪をヨウヨに渡したってことは、想いを断ち切って上屋敷のお嬢と一緒になる決断をしたってことなのかな…。あぁぁぁあ切ない…。
龍治とヨウヨの関係ってどちらかというと似た者同士でくっついた感じなんじゃないかなって思った。
もちろん好きって感情もあるんだろうけど、お互いの傷ついた部分を埋め合う関係というか。
ヨウヨとリュウカ君はまたきっとどこかで繋がれるような気がする。瀬里ちゃんが「明星の稚児」をやるときか、成人(もしくは大学受験を控えた)したタイミングで。
そのときにヨウヨが伝えられなかった想い…、それらをぜひリュウカ君に伝えてほしい。
リュウカ君はヨウヨがどんどん大人になって先に言っちゃうって言ってたけど、ヨウヨだってきっと同じ気持ちだったはず。
リュウカ君は手が届かない存在だったって。
そして笹飾りの下で出会ったあの時から、わたしの心の中にはずっと小さな神様、君がいつもいたんだよって。
ってことで伊吹先生、続編をぜひ…。
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NA図書館本
なでし子物語3部
耀子は子どもと常夏荘に。
落ちぶれた屋敷。幼なじみたち。地域との関わり。
やはり私は、一人の女性として大地に立ち、歩んでゆくようなストーリー展開が好き。
なでし子物語でまだまだ幼かった耀子が、
器の大きな女性として、前を向く姿は素敵。
次は
ヨウヨとリュウカイのストーリーが読みたくなった。
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なでし子シリーズ3冊目。
シリーズ最初の方のお伽話のような幻想的な雰囲気はなくなり、女子のお仕事小説のような感じになってきて、読み応えアリ!
応援したくなり、自分も一緒にアイデアを出して参加してる気分だった。
そして最後の方はキュンとしたり。
耀子の目覚ましい成長に胸が熱くなった。
続きはあるのかな?
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あなたは、『どうして』○○なんだろう…そんな風に思い悩むことはないでしょうか?
袋小路、手詰まり、そして八方塞がり…人が生きる中ではそんな風にどうにもならない状態に追い込まれることがあります。それは、学校で、仕事で、そして家庭においてなど舞台はさまざまです。そんな中では、『どうして』○○なんだろう…と思い詰めてもしまいがちです。そこには、すっかりマイナス感情に囚われた自分と向き合う時間が続いてしまいます。
そんな時あなたならどうするでしょうか?信頼している誰かに相談する人もいるでしょうし、少し時間を置いてみるという人もいるかもしれません。もしくは、そんな懸案自体をどうにか先送りして、考えること自体から逃げてしまう、そんな人もいるかもしれません。相談できる人がいればそれでいいですし、時間を置いて解決するのであればそれもいいでしょう。問題から逃げて、逃げて、逃げて、逃げ切れるのであればそれも一つの解決方法かもしれません。しかし、世の中そんなに甘くはありません。逃げたツケはきっと未来のあなたを苦しめることになると思います。この世を生きるということはなかなかに大変です。そうたやすく生きていけるほど世の中は甘くはないのだと思います。
さて、ここにそんな場面において考え方を変えるということを『魔法の言葉』として大切に思う女性が主人公となる物語があります。『江戸の昔から山林業と養蚕業で栄えてきた』『遠藤一族』の『女主人』となった二十八歳の女性を描いたこの作品。かつては英華を誇った一族の『凋落』を見る今に、そんな一族の象徴を守ろうと奔走する女性の姿を描くこの作品。そしてそれは、そんな女性が『「どうして」と思わない。「どうしたら」と考える』その先に、『今とは違う景色が広が』っていくのを見る物語です。
『静岡県・天竜川を遠州灘から車でさかのぼること二時間半から三時間。南アルプスへ続くやまなみのなかに峰生と呼ばれる集落があ』ります。そんな『峰生を見下ろす広大な丘の上にある』『常夏荘』に暮らすのは『女主人』で『おあんさん』とも呼ばれる耀子(ようこ)。『明治時代に米相場と絹の取引で巨万の富を築いた遠藤本家』が築いたその建物群でしたがバブル崩壊の余波を受け、塀の崩れさえ修復できない状態にありました。『この一族の凋落を表している』というその状況。そんな中、東京に暮らす夫の龍治と離れて、耀子は喘息気味の娘・瀬里(せり)、義母の照子、そして昔からここで働いている鶴子と共にこの家に暮らします。そんな耀子は、『十八のとき、まるで溺れるように』『結婚した』時のことを思い出します。『暮らしが落ち着いたら、大学への進学を』と『すすめてくれた』龍治。しかし、『出産と育児でそれはとても難しくな』りました。『これでよかったのだろうか』と『時々、自分の生き方について考える』耀子は、『自立、顔を上げて生きること。自律、美しく生きること』と願ったことが『できているのだろうか』とも自問します。そんな時、娘の瀬里が着物を着て現れました。『王子様がくれたの』という言葉に『瀬里が大叔父と言っていることに気が付いた』耀子は『常夏荘に、立海(たつみ)が来た』と思います。『この十年間、会ったことも、話したこともないのに』と思い『動けな』くなる耀子は、『今から十八年前』のことを思い出します。『東京から転地療養に来た小学一年生の立海』と、『常夏荘の使用人だった祖父のもとで暮らしていた小学四年生の耀子』の運命の出会い。『「ヨウヨ」、「リュウカ君」と呼び合い、身を寄せ合うように』過ごしたあの日々。しかし、『高校卒業後、すぐに龍治の花嫁となった耀子は今年で二十八歳』。龍治の『年下の叔父』にあたる立海はまさか二人が『結婚するとは思い』ませんでした。場面は変わり、そんな立海を迎えたのは継母の照子。突然の立海の来訪に『もっと早うに連絡してくれはったら、お食事の用意もしましたのに』と迎える照子は立海の東京での食事の様子などを訊きます。そんな立海は、『常夏荘を売るという話が出ているんだけど、龍治から聞いている?』と訊きます。『常夏荘を買い取って、公園墓地として開発したい人がいるそうだ』と説明する立海は『常夏荘を手放したら、照子はどうする?東京で暮らす?それとも別の場所で暮らす?』と、続けます。それに『ここ以外のどこで暮らせと?』と照子が返すと『照子や皆がそれを望むなら、僕は…』と言う立海は『そろそろ行かなくては』と立ち上がりました。『江戸の昔から山林業と養蚕業で栄えてきた』『遠藤一族』の象徴とも言える『豪壮な邸宅、常夏荘』の売却というまさかの事態を前に『おあんさん』と呼ばれる耀子の人生が大きく動き出す物語が始まりました。
“遠州峰生の名家・遠藤家の邸宅として親しまれた常夏荘…時が経ち、時代の流れの中で凋落した遠藤家。常夏荘はもはや見る影もなくなってしまったが、耀子はそのさびれた常夏荘の女主人となり ー”と思わせぶりな内容紹介が読書意欲を掻き立てるこの作品。伊吹有喜さんの代表作の一つでもありシリーズ化もされている「なでしこ物語」。そのシリーズの第二段として刊行されたのがこの作品です。しかし、その説明は合っているとも間違っているとも言えるのがこのシリーズの悩ましいところです。というのもこのシリーズは作品の刊行順と時系列が一致しないという問題を抱えているからです。シリーズ通しての主人公はいずれも耀子です。では、彼女の年齢込みで一覧にしてみましょう。
①「なでしこ物語」: 2012年11月刊行、舞台1980年8月〜、耀子10歳
②「地の星 なでしこ物語」: 2017年9月刊行、舞台1998年5月〜、耀子28歳
③「天の花 なでしこ物語」: 2018年2月刊行、舞台1988年秋〜、耀子18歳
問題点がおわかりいただけたでしょうか?刊行年で見れば①→②→③となるシリーズ三部作ですが、時系列で見れば、①→③→②となってしまうのです。伊吹さんの大ファンとしてリアムタイムに刊行直後に読んでいけば当然に刊行順になります。しかし、私のように2019年の暮れから読書を始めた人間には上記の結果論が分かった上での読書となるため選択の余地が生まれます。読書は一度読んでしまえば記憶を消さない限りやり直しはできません。ということで、①を読んだ私は刊行順で②に行くべきか、時系列で③にすべきかを相当に悩みました。ブクログのレビューを見てもそれぞれの選択をした人がそれぞれに意見を述べられており、どちらにも納得感のある説明があるためにかなり迷いました。結局、時系列で読むことにした私は①→③と読み、そして今回、シリーズの最後として②を読むことになりました。そして、読中、読後に感じたのは、これ以外の読み方があるのだろうか?というものでした。時系列で読んだので主人公・耀子が『常夏荘』の『おあんさん』=『女主人』となるまでの経緯も③でよく分かっていますし、『一族の凋落』へと向かう時代の変化も③を先に読んだことでとても自然に感じられます。ということで、シリーズの読み方を迷われている方には、私は時系列に沿って①→③→②と読むことをオススメします。ただ、時系列で読んだ私は刊行順で読んだ時の感情の流れはもう知ることはできません。もしかすると、そちらの方が読み味としては正しいのかもしれません。そうです。あなたも私がかつて悩んだように散々読み順について悩んでください(笑)。これも読書の楽しみです。そして、どんな順で読んでも伊吹さんの代表作であるこのシリーズはあなたを裏切りません。読んでよかった!そんな読後があなたを待っています!
さて、そんなシリーズの時系列での最終作(あくまで現時点です。伊吹さんは続編を匂わされています)となるこの作品の舞台は1980年から18年が経った1998年と時代が進んだ先の物語が描かれていきます。そんな舞台に描かれる『常夏荘』は、①③という前二作からは予想だにしなかった『凋落』ぶりを読者に強く印象付けていきます。『長らく遠藤一族の繁栄の象徴であり、よりどころとなっていた』はずの『常夏荘』、それが、
『平成十年になった今、昔は城壁のように美しかった常夏荘の塀はところどころ崩れて、修理できぬままになっている』。
というように冒頭に描写される様には驚くしかありません。栄枯盛衰、もしくは諸行無常という四文字熟語が頭に思い浮かびます。それは、『バブルと呼ばれた空前の好景気が崩壊していく』中に、『不動産を中心に多角的な投資をしていた遠藤家の家業は手ひどい打撃を受け』たと説明もされますが、まさにさもありなんという状況です。また、③の物語で盛大に催された『四年に一度、旧暦の七夕に』行われる『峰生神社の大祭』の開催が危ぶまれるといった状況まで描写されます。『目玉とも言える山車が老朽化』し、『大規模な修繕か新調が必要』であるにも関わらず、従来のように『遠藤家の当主が多大な寄附』をできなくなってしまっているという状況、さらには『過疎化が進んで、稚児行列をするにも子どもが集まらない』という今のこの国のどこにもありそうな山村のリアルな現状が語られていきます。『広大なこの敷地は撫子紋入りの特注の瓦を載せた白壁が取り囲み、三つの入口がある』というその『建物群は、明治期に作られた城のようだ』とも言われた『常夏荘』の威容に圧倒された①③の物語とこの②の間に大きな溝が存在するのを感じます。その意味でも①→③→②の読み順は自然だと思います。
そして、そんな物語でもシリーズ通しての主人公を務めるのが間宮耀子です。③の物語で遠藤龍治と関係を深めた耀子は、龍治と結婚し、瀬里という娘を持つ身の今を遠藤家の『女主人』として生きています。古の世より、『本家の女主人のことを「おあんさん」と呼んで��きた慣わしそのままに『おあんさん』と呼ばれるようになった耀子。そんな耀子には、①で運命の出会いを果たした立海、そして③で急接近した龍治という遠藤家の二人の男たちとの関係性があります。遠藤龍巳の子である龍一郎は照子と結婚し龍治が生まれました。一方で龍巳は晩年に小夜という愛人を設け、その子が立海になります。年齢は龍治 〉立海であるものの、龍治から見ると立海は叔父にあたるという複雑な二人の関係性。そんな立海と耀子の①での運命の出会いが読者には強く印象付いているはずです。その一方で③の展開の先にある②の物語。その時系列的続編に当たる②では当然に立海や龍治の存在、関係性が気になりますし、どんな登場の仕方をするのかは気になるところです。しかし、物語は予想外な方向に大きく展開します。それこそが、上記もした『常夏荘を売るという話が出ている』というまさかの展開です。物語の象徴とも言える『常夏荘』、そんな『常夏荘』がなくなってしまうとなると、これはもうシリーズ存続を揺るがす一大事です。そして、そこに伊吹さんが用意したのは、『遠藤家の凋落』を類推させもする村人のこんな一言でした。
『おあんさんが峰前にパートに出てる時点で、お察しせにゃいかんね』。
『峰生から一つ浜松方面に山を越えた、峰前という集落にあるスーパー』でパートとして働く耀子というまさかの展開。『ものを売ろうって気はあんのか?あるなら、声をもっと出せ』と注意を受ける耀子というその光景は①→③と読んできた読者には衝撃以外の何物でもありません。しかし、そんな耀子の心の内には違う炎の煌めきがありました。
『守られるだけじゃない、守る力が欲しい。この先、この家に何が起きても流されずに、自分の足で立っていられる力が欲しい』。
そんな強い思いの中に展開する物語は、読み味としては、まさかの”お仕事小説”へと変容していきます。そして、この”お仕事小説”としての力強い物語展開がこの②の最大の見せ所でもあります。それこそが、以下の台詞に現れてもいます。
『おあんさんと呼ばれても、昔みたいに奥様でいられる余裕はありません。常夏荘は今、崩れた塀も直せないでいる。優雅に暮らしていられる時代は終わったんです』。
そんな現代の『おあんさん』を体現する耀子の物語。そんな物語に満を持してあの言葉が登場します。
『「どうして」と嘆いたところで何も始まらない。「どうしたら」と考え続けて前へ進めば、今とは違う景色が広がるはずだ』。
このシリーズのキーワードとも言える『どうして』と『どうしたら』という言葉の登場が、行き詰まりの物語の中に一つの起点を作っていきます。一方で、迫り来る『常夏荘を売るという話』に対峙することになる『おあんさん』耀子。そんな物語は、現時点でのシリーズ最終作としての結末へと向けて、読み味抜群の”お仕事小説”として、それでいて「なでしこ物語」ならではの独特な世界観の中に幕を下ろしました。シリーズ総計1,000ページを超える素晴らしい物語の未来を感じさせるその結末に、読んでよかった!という思いが強く去来するのを感じました。
”白馬に乗った王子様に、ここではないどこかへ連れてい��てほしい…けど、自力で行くんです(笑)”
そんな風にこの作品の”裏テーマ”が”ときめきとワクワク”だと語られる伊吹有喜さん。そんな物語には、『江戸の昔から山林業と養蚕業で栄えてきた』『遠藤一族』が平成の世に生きる姿が描かれていました。シリーズ三部作としての物語の奥行きがそれぞれの人物像に奥深さを感じさせていくこの作品。まさかの”お仕事小説”として、今までに見ることのなかった、それでいて極めて耀子らしい生き方の選択に心ときめくこの作品。
伊吹さんがこの作品に込められた深い思いを主人公・耀子の最後の選択にはっきりと見ることのできた素晴らしい作品でした。
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「なでし子物語」の3冊目。
前巻から10年経っていて、28歳になった耀子が娘・瀬里とともに龍治と離れて常夏荘で暮らした1年のお話。
遠藤家は時代の流れの中で凋落し、常夏荘も見る影もなくなってしまった中でパートの仕事に出る燿子。
かつてなりたいと望んだ自分になれているのかと自問する燿子の姿は、かつて青井先生から教えられた「自立」と「自律」がずっと胸に刻まれ続けていることを示していて、この物語の芯を表す。
その「自立」と「自律」を目指して燿子がパート先でもがく話は、山あり谷あり一筋縄ではいかない展開に加え、幼い頃互いに遠くから見合っていた由香里との関係が解れていく様が心地良い。
少ししか描かれないが、凋落した遠藤家を護るため龍治が奔走し、もはや楽になりたいという気持ちもよく分かり、それでも耀子や照子、立海の気持ちを受け入れる彼の優しさにも惹かれる。相変わらず立海は不憫だけど。
終章、奥峰生の山から集落のあかりが地上に輝く星々のように見える光景がとても美しく思えた。
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腹の据わった女性たちの強さを感じて、とても勇気づけられた。
前話までただ嫌なやつという印象だった由香里がとても魅力的に描かれていて、腹を割って話すって大事だなぁと思った。
『自立と自律』
がずっと根底に流れていて、
女性たちの内面に芯がスーッと通っていく感じがとても良かった。
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正確には3.5かな
悪くない。文章もあらすじも結末も
ちゃんとまとまっていて分かりやすい。
ただ読み始めに感じた恋愛部分が、実際にはほとんどなくて、ちょっと肩透かし
決して悪い意味ではなく
いい意味で
これなしに物語として成立させたのだから
むしろ立派