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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
2人の対比が見事に描かれています。一人は、食べることに拒否反応するし、もう一人は食べること自体が……というなんともいえない状態で。主人公の唯は、自分を否定するしかなかったのですが、徐々に…。それは、食べ物の匂いがしない「吸血鬼の館」での出会いで…
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食べる行為が気持ち悪くて食べられない。普通の人のようには食べられない辛さを一人で抱えていた唯が、吸血鬼と呼ばれる泉と会うことで心をほぐされていく。
自分では想像できない辛さに共感するのは難しいけれど、話を聞く、相手を見ることはできる。
唯が前を向くためには、泉以外の人たちの理解が必要で、それをどうやって求めて、得ていくのか。打ち明けられた家族や友人はどんな反応をするのか。
ずっと隠してきたことを打ち明ける不安に共感し、唯を応援したい気持ちでいっぱいになる。
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ドラキュラのくだりで、本当に吸血鬼の話か、だから「人間みたいに生きている」なのかーと思って読み進めていたけど、唯や泉さんが言うからこそすごく深く考えさせられる話でした。最後の一文はこっちが震えました。自分もまさにこのような瞬間を最近経験したので。
自分は母親に「吐いても食え」って言われるくらい食べ物には割と厳しい家庭で育って、それが嫌だったことももちろんあったし、でも家族のために美味しいものもたくさん作ってくれたからすごく感謝もしている。そういう家で育ったから自分の子どもにも同じようなことをしてしまった時期があったけど、ある時期を境に子どもが大抵のことは打ち明けてくれるようになって、食事についても「ブラザーズ・ブラジャー」で出てくるテーマなんかについてもお互い本音で話すことができるようになった。言葉の刃渡りにも無頓着ではいられなくなった。生き辛さって人には中々言えないし、意を決して話したとしても理解されないし、故に生き辛いっていうことが多分にあって、唯と泉さんだけでなく、ほぼ全ての登場人物の心の動きがすごく生々しく表現されていて、読みながら自分の心もすごく揺れました。安易に救世主を出さないところや泉さんを救世主にしないところも良かったです。とは言うものの、矢島さんと再会した場面や「イート&ハッピー」での場面では救世主を期待してしまったけど。
登場人物の中では園ちゃんが好きになりました。こんな子になりたいかも。
特に心に残ったのは、
泉さんと同じではない、と安心することは、この人を暗く狭いほうへと押しやってしまうことと似ている気がする。
泉さんは時折、自虐的な物言いをする。それは、泉さんが心の底から思っているというよりは、誰かに言われ続けたことが、ふとした瞬間に泉さんの方を借りて出ているようだった。
無意識だった。何も考えず、泉さんの「悪い」部分として、あれをあげつらおうとしていた。
思ってもいないことを言うのは簡単で、それな慣れるのはおそろしく早い。一度やれば、歯止めがきかなくなる。誠意のない受け答えのむなしさを、「真面目」な私は、よく知っている。
私たちは普段からこんなもので応酬をしたいたのか。投げたい球だけ投げて、取りたい球だけ取って、そらをコミュニケーションと呼んで。大切なものだ、と信じ切って。
ひとにやさしくしたり、思いやったりするのは、コントロールしてできることだ。心がけた忍耐と見せかけでどうにでもなる。だから私は、自分がやさしい人間なのだと思っていた。コントロールできる範囲のものを自分だと思いたがっていた。誰かを怒鳴りつけたり、傷つけたり、加虐して愉悦に浸ったりするなんて、そんなのは本当の自分じゃないと、苛立ち、落ち込み、後悔しては嘆いていた。
あるべき、ひとのふるまいができないわたしを見破ろうとするひとは敵。痛みをわかち合えるひとは仲間。そう二分されると思っていたのに。世界のややこしさに、めまいを起こしそうになる。
かなしいほど個別の個体で、どれだけふれあっても同じようにはなれない。心をかよわせても、痛みはわかち合えない。それでも、そばにいたいと願い続ける。自分だけの身体を、それぞれの生を、生きながら。
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佐原さんの「ブラザーズ・ブラジャー」が好きで読んでみたかった。
バンパイアなのか?という設定に引き込まれる。
吸血鬼、血しか飲めないかわいそうな生き物。
三橋唯は、食べることが気持ち悪い。
泉遥真は、血しか飲めない病気。吸血鬼ではない。
中学1年生の時に発症。
食べ物を口に入れると粘土とかクレヨンみたいに感じてしまう。
話すことができるといいと思う。
ゼロか100かではなく、まだらにうまく生きられたらいいと思う。
ずっと1人だった泉さんはひと回りも違う女の子が急に自分のどころにやってくるようになり、ドキドキしたが、どう接したら良いのか?臆病だった。
唯は親の言いなりで、自分の意見を言えなかったけれど、友達や紹介してくれた会の人と話すうちに、自分のモヤモヤを伝える努力をしようという気持ちになる。
その成長する様子が良かった。
ラストは微笑ましい。
中学生高校生に読んでほしい。
勇気を出してコミュニケーションをすることの大切さがわかる。
#NetGalley
#NetGalleyJP
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佐原さんの作品は、いつも鋭いところをグサグサ突いてくる。
それがまたいい。
衝撃的な冒頭から始まる本作。
決定的に人と違っている部分があって、分かり合える相手がいない孤独。
常に周囲の目を窺って擬態するように生き、苦痛に耐える毎日。それがこの先もずっと続くとしたらーー。
そんな唯の前に現れた唯一分かり合える泉さん。
彼もまた人に理解されない苦悩を抱え孤独に生きていた。
学校でも家でも心の休まる暇がない唯にとって、泉が暮らす森の奥の洋館は特別な場所になっていく。
苦しくて切なくて愛おしいラストもいい。
向き合うこと、受け止めること、寄り添うこと、一歩踏み出すこと。
作品を読んで、そんなことを思いました。
個人的にずっと追いかけていきたい作家さんです。
『私たちは普段からこんなもので応酬をしていたのか。投げたい球だけ投げて、取りたい球だけ取って、それを、コミュニケーションと呼んで。大切なものだ、と信じきって。』
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片や食事をしたくない、片や食事をしたくても出来ない2人が初めて心を許せる存在として出会い、人として生きていきたいと思える様になるお話、違うって個性なのにね。
買ってすぐに読み終わったのっていつぶりだろう?
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美味しいご飯小説ってのはよくあるけど、世の中には食べる事が嫌でしょうがないと言う人も居る。
でも、ご飯を食べる事が嫌いと言う人に対して世の中の目は冷たい。
そんな悩みを抱える主人公の子が、遺伝で吸血鬼となり人間の食べ物を寄せ付けなくなってしまった男性と出会う所から話が進んでいく。
率直な感想はもっと読んでいたかった。
もっともっとこの不器用な2人の関係や、周りの人達との関係性とかを深掘りして、今後どうなっていくのかを読んでいたかった。
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口に何かを入れるだけで気持ち悪く感じる。それを咀嚼して飲み込むなんてできることなら避けたい。
中学生の時からそう感じるようになった唯が出会った、古い洋館でひっそりと暮らす「吸血鬼」と噂される泉。
物を食べずに血を飲んで生きていける吸血鬼に惹かれる唯が洋館に通い詰めて…って、もうこの設定だけでご飯が三杯食べられる。いや、ご飯を食べられない二人を前にして不遜だそれは。
物を食べたくない唯、物が食べられない泉。薄暗い洋館で本を挟んでそれぞれが過ごす夏の時間。
このままこの不思議で居心地のいい時間がずっと続けばいいのに…と思わず願う。
母親の作った四角い世界。みっともないことの禁止、正しくあることにからめとられてきた唯と、囲いのない泉。対照的な二人の世界が重なる時間。「普通」じゃない自分をかわいそうだと思わずにいられる時間。この居心地のいい世界に入りたい。一緒に、ゆったりと時間をたゆたいたい。
なのに、その時間は終わりを迎える。
唯が自分が抱える問題に向き合い始めるところからの展開、泉との違いを受け止めていく痛み。
唯がなぜ食べることを拒否してきたか。はっきりとは描かれないその理由を読んだ後に探し続ける。
「他者を自分の中に入れる気持ち悪さ」のタネはどこで撒かれたのか。
読んだ後、誰かと語り合いたくなる、自分の中にもある「普通じゃない自分」を受け入れたくなる。
そして、ラストに向かう数ページ。身体の中から温かい何かが湧き上がってきた。
傷だらけの全身を隠しながら生きる二人のつないだ手。触れた指を世界の真ん中だと思える、ここから始まる世界を見届けたい。
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感想
食事への拒否感。生存への意志の欠如に思われる。それは同時に他者との交流の拒絶でもある。食事は他者との境界を曖昧にする営みなのだろう。
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人間みたいに生きているという言葉に惹かれて読んだが、厨二病感があり、共感性羞恥心のようないたたまれない気持ちになった。それぞれ外見だけではわからない、泣いてしまうくらいの悩みをずっと秘めて生きている人も大勢いるんだろうなと思った。特に自分ではどうしようもできないことだとより辛いだろうと思う。主人公のように食に関することだと、生きることに直結するものだから余計に辛そうだと思った。自分に集中しすぎて、誰にもわかるはずがないと閉じこもるのではなく勇気を持って周りに相談することも大切だと思った。
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上手く表現できないけれど面白かったー。
多くの人からすれば食べることは幸せなこと。
でも100人いても100人がそうではない。
その少数派の中でもそれぞれの考え方や違いがあって。
善意だと信じていたことが別の人から見ると苦痛を与えていることもある。
吸血鬼が出てくる話かと思っていたら泉さんの病気以外は、現実でもありそうな話で。
人間みたいに生きているという泉さんの葛藤や苦しみや寂しさ、強がりが、しっかり人間じゃんってどんどん惹かれて支えてあげたくなる。
あの後2人はどうなるのかなー。
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人と違うことが怖くてわかってもらえないことに怯えてるのに、同じような人を見つけたら見つけたで、自分と全く同じじゃないことに憤りを感じちゃうってあるよなあ、と共感しました。人と関わることで1人だけでは得られない刺激を受けられるけど、誰かが自分の代わりに上手く生きてくれる訳じゃないから最後は自分自身なんですよね。
食べることが幸せな小説がすごく苦手なので、本文に出てくる言葉に激しく同意してしまった、、
この小説が好きな人と友達になりたい!
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最初はすごい文学っぽい文章でファンタジー書くじゃんって思いながら読んでたけど、そうじゃなかった、すごく良かった
話の軸は「食べること」についてだけど、書かれていることはそれだけじゃなくて上手く言えないけど、世の中のよくあることだけどそうじゃない、個々の抱えるいろんなことが書かれているような、そんな感じだった
あと、公園でのフェスティバルのシーンにすごくゾッとした。これは完全にわたし自身が、ああいう雰囲気とかノリだったり、他人の食事と体型に口を出すことがものすごく苦手で嫌だからだけどね
人と違うから不幸なのか、みんなと同じだから幸せなのか、誰1人同じ人なんていないのに同じじゃないといけないのか、本当にその通りだなと思った
自分の幸せは自分で決めるし自分がどうしたいかもちゃんと自分で決めて生きていきたい
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食べられない理由は人それぞれ。食べ物が気持ち悪いとか、太りたくないとかね。
食べない人を見ると、食べた方が良いと必ず更生(?)させようとする人がいる。
私は食べないことを選択した人はそのままで良いと思っている。死なない程度に栄養取っていれば問題ない。
実際、私も食事に重きを置いていない。料理する時間があるんだったら別の趣味に没頭したいし、サプリメントで生きていけるのなら喜んで摂取し、食事から解放されたいと思う。
ただ、他人と交流する手段として食事を使っているだけ。
唯は食べ物が気持ち悪いという感情を誰にも分かってもらえないことで苦悩している。遠慮なく押し付けられる手作りのお菓子や母親の作った料理。食事は生きる手段だけではなく、もはやコミュニケーションでもあるのだ。毎日が地獄だろう。よく生きていられるな。
一方、洋館で出会う泉さんは食べたくても食べられない人。泉さんと唯の「食べられない」理由は全然違うが、一緒にいて居心地が良さそうだ。
否定もしなければ、脅かされることもないからね。
しかし、そんな2人の関係も揺らぐ時が来る。
今思えば、喧嘩別れした理由もあまり覚えてないくらいだが。
自分の感情を一気に吐き出した後って大抵後悔するんだよなとちょっとセンチメンタルな気持ちになる。
唯や泉さんだけではなく、表面上は何でもなく過ごしている人たちも実は思い悩んでいたりする。
だから最初から自分とは違う存在だと思わないようにしたい。
皆、苦しみながらそれでも人間をやっているのだ。
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「食べる」という行為に嫌悪感を持つ高校生の唯。
人前では食べるが後で嘔吐したりしていたが、その事を誰にも打ち明けられず1人苦しんでいた。
そんなある日、吸血鬼が住んでいるという噂の洋館へ行きそこに住む泉という男性と知り合う。泉は人の血液しか摂取することのできない病だった。同じ「食べる」事のできない悩みを持つ泉の存在に安心感を得た唯はその洋館に通うようになるが…。
唯の苦しみ、泉の苦しみ、同じようで全く違うものだということを知った時、唯は変わろうとする。
唯や泉の家族の問題もあって、二人の悩みは簡単に解消されるものではない。自分を肯定できない事に苦しみ、それでも前に進んで行こうとする唯を応援したくなる。
作中の「最近の小説は食べ物の事を描いたものが多い。美味しいものを食べれば全て解決するというのが理解出来ない。」というところ、共感した。