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1941年のアメリカ。黒人差別が色濃いなかで、少女がにせ神父に願う。「わたしの眼よ」「青くしてほしいの」。作者のトニ・モリスンが、実際に幼少期友人から聞いた「青い眼がほしい」という言葉が作品名になっている。当時の黒人のくらしは、こういうものだったのか。狭い家に、家族が5人。すべての家具が、古びているけれど、思い入れがあったり、なつかしむものではないという気持ち。とても読みにくかったけれど、勉強になりました。
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叙情的な比ゆが特徴の人種ごとの美しさ……についての物語。
うむむむ……素養がなかったのか、正直読み取れなかった。
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登場人物皆が苦しみの中生きている。
絶望の中生きている。
「~~~したかったのに」という自責の念の中耐え生き抜いている。
根底には、悲しい白人社会の押し付けによって、
それを受け容れざるを得なかった黒人社会。
やがてそれは黒人の黒人による残酷な差別へつながって行った、悲しい事実が流れています。
見事にそれを鮮やかに詩的な表現で、時には残酷でむごい表現が際立つように描かれています!!!!
読後すっきりする本ではありません。
差別とは何だろうか、
日本でもいまだに差別が続いているのです。
日本にいるから関係ない、ではありません。
今一度読み直したい本です。
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白人のような青い眼がほしいと日々祈る薄幸な少女ピコーラの悲劇を主軸に、ふたりの姉妹の目を通して、黒人社会における人種差別のあり方を描く小説。
この作品を読み終え、再度冒頭の一文、「秘密にしていたけれど、1941年の秋、マリゴールドはぜんぜんさかなかった」を読むともの悲しくなる。けれども、絶望を感じさせないところが救いかな。
メッセージ色は強く重たい話だけれど、面白い。
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白人少女への愛に憧れる、みじめな黒人少女のお話。
圧倒的な力を持つ『美』のステレオタイプと、
それに振り回される哀れな女たちという図式は、
人種に対する意識にうとい日本人でも、身近に感じられる場面が多かったです。
印象に残っているのは"春"の章。
「春の小枝の鞭打ちは辛い、冬の革紐やヘアブラシが懐かしい」
「だかられんぎょうを見ても歓びは湧いてこない」
そんな『春』についての記述は今までに見たことがなくて、
軽く絶望にも似た気持ちを感じました。
『青い目になった』あと、
果たしてピコーラは幸せになれたのだろうか。
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ノーベル賞作家トニ・モリスンのデビュー作。
主人公の黒人の少女ピコーラがみんなに愛されるために「青い眼がほしい」と祈るところからして胸に迫る。そして読んでいくうちにピコーラがどのようにして青い眼を「手に入れた」のか、もしくは「手に入れられなかった」のかを知らされ、読んでいるあいだ何度かフリーズした。
わたしがいちばん印象的だったのは、黒人の中にもカラードとニガーという差別があること。それが白人から受ける差別よりもずっと暴力的なこともあることも知って考えさせられた。
モリソンが、それらアメリカの厳しい現実や人種差別について、正義とも不正義とも断罪していないところが良かったけど、彼女の意図を『あとがき』で読んだときに震えた。ずるいよ。
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アメリカ、黒人、差別…
長い歴史は差別される側を飼い慣らし、
「なぜ差別されているのだろう?」
その疑問を打ち消し、それを当然のように思わせる。
外からの蔑みから身を守るため、うちにさらに差別の対象をつくり自分を優越させる。
そういう黒人世界を、著者は文学で表現する。
辛く苦しい物語。しかし力強い物語。
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ストーリーは一直線には進まないが、それがかえって著者の伝えたいと思っていることを、読者にじんわりと浸透させることになっている。後に書かれた「著者あとがき」によると、「いまではそのやり方が気に入らない」し、「効果的でなかった」とのことなのだが・・・。
一番印象的だったのは、ピコーラの母の物語の部分。しかしこの部分もまた、「著者あとがき」によると、「はなはだしく不満」とのこと・・・。
その後の著作を読んでみたいと思います。
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人種差別が白人と黒人にあった歴史という単純な問題ではないこと、しかも、そこから派生していく問題は国や人種に関係なく根本的に人間でいる限りは付きまとう共通のものだということ…。
なぜ、ではなく、どのように、で物語が進むのが、わかりやすいと思う。
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テレビで西加奈子女史が絶賛していたので、購入してみたが…いやまいった…翻訳が良くないのか?
途中で読むことを断念。
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西加奈子がテレビで紹介していたので、図書館で借りました。
黒人差別が横行していた頃のアメリカで、何世代にも渡って差別を受け続けてきたがゆえの、黒人自身が自己卑下に陥る、黒人同士で差別しあう内情が垣間見れます。
その思考や貧困を背景に、家庭や社会の中で不調和が起こり、悲しみ、怒りを抱え続けてしまう。身勝手な白人によって、黒人は何世代にも渡り心をなじられ続け、その結果、黒人が抱えてしまっているであろう心の闇を、フィクションながら見事に、私達に伝えてくれる秀作です。
そもそも黒人とか白人とかのくくりがおかしい。
太陽が強い地域に適応しているのが黒人、太陽の日差しから肌を黒くして守る必要がない地域で反映したのが白人でしょ。太陽における、strong skin と weak skinでしょ。
黒人白人黄色人種、同じ人間なのに、皮膚の薄皮一枚で人間を大別する呼ぶ方に、今更ながら違和感を感じます。
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なぜかフォークナーを思い出す。貧困、人種、人間関係。ああ、20世紀のアメリカ文学よ。読み終わった後、もう一度最初を読み直すと合点がいく、こういう構成だったのかと。さいごに分かるわけですよ、あのひらがなの見出しの意味が。
なあ日本人よ、青い目がほしいと望む黒人を、果たしてわたしたちは笑えるか? 髪の毛の色を変え、目を大きく見せる化粧をし、英語が話せるようになりたいと努力する人々よ。
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1940年代のアメリカ、黒人差別が蔓延る時代の話。1人の黒人の女の子が黒人からもイジメを受け家庭は貧困、父親から強姦され妊娠。女の子は神様に自分を青い眼を下さいと毎晩祈るが…黒人差別の話でもあるが弱くて繊細で醜女が集団の中で生きる術は狂うしかないのだろうか?家庭にも恵まれず、周りも助けてくれない。少女は空想の中で生きる。話はドロ臭さは感じさせない文章になっているが、本質は重い。
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物語はとても淡々とした口調で進んでいくのですが、ものすごく重いテーマと、過激な描写があります。正直読み進めていくのが辛かったです。
少女、少年たった一人の力ではどうすることもできない問題がこちらにものしかかってきました。
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「1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった」という少女の独白でこの物語は始まる。でも、マリゴールドの鮮烈な黄色い花の色を思い描く間もなく、直後に「マリゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた」と文章は続く。少女が播いた種はひとつも花を咲かせず、少女と同年代の女の子は父親の子をおなかに宿した。
何が正しくて、何が悪くて罪なのか。
少女である今はよくわからない。でも少しずつだけど、それはわかりはじめる。そのときに見た色彩をともなって・・
“弱い者が、より弱い者を虐げる”という差別や貧困の根源的課題は、当時の黒人社会でも根強く根を張り、虐げられた“弱者”としての黒人が、自分より弱い立場の同じ黒人を虐待するという内容で、DV、児童虐待、性的暴行が主要なテーマとして出てくる。私達はその痛々しく禍々しい内容に、時には生理的嫌悪も生じるかもしれない。
でも安心してほしい。作者は、黒人の悲惨な状況を並べて読者の同情を得ようというような、安っぽい作家ではない。女性として、黒人として、また新進作家として、自分の感性のアンテナをフル稼働し、少女を語り部とすることで無邪気な視点を交じえ、また、季節や田舎の風景描写を多くするなどで、人間たちの陰惨な行為だけで物語が染まらないように配慮されている。
冒頭に書いた花の色を想起させる描写もそのひとつだと思うし、昆虫の緑色、レモネードの黄色、そして黒や白といった肌の色の描写につながる豊かな色彩感覚が、最後に“The Bluest Eye”(誰よりも青い眼)という表現を、強烈に読者の心に写すようになっている。
もちろん非黒人である日本人の多くにも読んでほしい作品。10代の日本人の女の子も、この作品から多くの大切なことが得られるから。
(2009/8/31)