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◆出版社Twitter: https://twitter.com/akishobo/status/1549944249327554560
社会主義政権下のルーマニアに生まれ、『#雪国』に出会った少女は、やがて日本を目指した——。
本書は、社会にうまく適応できない孤独な少女の記録であり、資本主義へ移っていくルーマニアの家族三代にわたる現代史である
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1071
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自身の生きてきた道のりとそこで目にしたこと感じたこと。それを書き記して自らの研究対象にすることをオートエスノグラフィと言うらしい。これはその実践の書ということだろうか。著者の半生自体が自分とはかけ離れていてとびきりユニークだし、概ね読みやすいし文章に時折混ざる独特の言葉遣いが面白い。時々脈絡がわかりづらいというかわからない、つぶやきのような文やイメージの連なりに出くわすが、それも詩的と言えば詩的。
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感想
私的領域と社会の中で生きる女性の生活史。雪国の文章を彷彿とさせると同時にアンネの日記も想起させる。手の届く範囲に及ぶ社会の影響を描き出す。
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ルーマニアのイリナグリゴレさんが日本語でかくも美しく簡潔な表現で、現在と過去を行き来する自分を書いている。祖父母や育った家への愛や女性であることの哀しみ、人類学者になるという強い意志など、今そこにいることに払ってきた努力に敬意を払う。
タルコフスキーの映画の最後の家の表現が原作と違うことで、監督が家を描いた気持ちがわかるという箇所を読んで、あぁそうだったのかと納得。
とても素晴らしい、考えさせられることの多い本でした。
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オートエスノグラフィーというものの存在をこの本で初めて知る。
随分前に読み始めたが、残り3分の1位で他の本たちに移り、放り投げていた。あまり私には刺さらなかったから。でも放り投げているのもなんだなと、残りを読む。
最後まで読んで印象が変わった。
ルーマニアは前近代的な家父長制と社会主義の爪痕が渾然一体となって、牧歌的な田舎にそのまま温存されているらしい。ものすごく濃く強い引力。
優しい地獄の日本でそれが薄まるとはとても思えないが、イリナさんは、日本で子供を産み、研究活動をしている。
確かに踊りでもしないとやってらんないだろうな。
ネガティヴケイパビリティという言葉を知って以来、水中に居ながらにしてなんとかやり過ごすこともアリだな取って思うようになった。
イリナさん、まさしくネガティヴケイパビリティ発進中。
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極めて丁寧に書かれた良質な日本語の随筆であるというのは否定しない。
一方でこのような作品にあってはその語り口や描かれるテーマなどについて、やはり一種の共感をするということが「面白い本だった」という読後感に繋がるように思う。
その点で、そうしたリンクを自分の中では得ることができず、自分とは全く異なる感性を持つ人の作品だ、という思いしか残らなかった。これはもちろん著者や作品の問題ではなく、読み手である自身との相性のようなものだと理解している。
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どこかのレビューでおとぎ話みたいとあったが、本当にそう。
エッセイで、時間軸行ったり来たり、映画からの引用、著者の夢の話、感じたこと、、
大変な辛い話もあるけど、家族との交流、温かな眼差し、強い意志を感じて、おとぎ話に迷い込んだような不思議な感覚。
繊細すぎる感受性、体と心があると辛いけど、でもこんなに人生を意味深くできるのか...
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私から腫瘍が彼にうつったと酷く差別された。それがほんとうなら、私はそこまで彼に愛されたことになる。
p.108
筆者の感覚なのか、異文化の育ちなのかわからないけど、こう言った状況に置かれた日本人ならば大抵出てくる「自己肯定感の低さ」をまったく感じさせない、とても客観的で淡々とした語り口が非常に不思議な感覚だった。さりげなく織り交ぜられている悲惨さが、タイトルを都度思わせる。絶妙な表題だと思う。
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トンネルを抜けると、そこは…ルーマニアであり青森であり、過去と現在、夢と記憶だった。暗闇を通って行き来する時間や痛みや喪失の旅。静かで温かく湿った霧の向こうに、朧げに儚く寄る辺なく漂う残像。まさにタルコフスキー映画のよう。
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『「私が死んでも何も変わらない」。死んでも何も変わらないのであれば、生きて世界を変えよう。』
ー「優しい地獄 下」より
こんなにも要約が書けない、こんなにも痛切で、一言で感想を表せない本はなかなか無い。
著者の紡ぐ言葉の一言一言を、全て余さず噛みしめたい。忘れたくない。この本を、著者を抱きしめたい。そう願わされる本。
でも悲しいかな一言一句逃さず覚えていることは困難で。それが心の底からもったいないと思う。
イリナさんの夢と現実と過去と現在を行き来する、目まぐるしいような夢の中を…それこそ生暖かい優しい地獄を彷徨いつづけているような心地で読む。
彼女の感受性の豊かさには驚くばかり。痛みも喜びも苦しみも優しさも、こちらが初めて出会うような表現で綴る。
イリナさんの文章を読んでいると、発見と感情の渦の中で、目の前がパチパチと光る。
今は無き、幸せの象徴のような幼少期を過ごした牧歌的な祖父母の家、儀式的行為、父母のこと、父のアルコール依存症とDVのこと、でも娘たちにとって良いお祖父ちゃんで居てくれることによって生まれる許しの感情、チャウシェスク政権、社会主義の国で生きるということ、チェルノブイリの子供であること、読書、映画、カメラ、ダンス、女の子であることの苦しみと無力感、孤独、ジプシーへの憧れ、世界の広さを感じた瞬間、川端康成の「雪国」や紫式部の「源氏物語」から受けた多大な影響と、「私の免疫を高めるための」日本語、彼女の娘たち……
全てが読みながら、体内に降り注いでいく。
読みやすい文章のはずなのに、消化に時間がかかってなかなか読み終わらなかった。
彼女の過去を読むと苦しくなる。
でもイリナさんの娘たちとのやり取りや、娘たちの発言や行動からイリナさんが得た気づきは、あたたかい。
イリナさんは高校生の時家出を考えた。でも何かを察したイリナさんの弟が、自身のクラスメイトが父親の暴力から逃れるため家を出たが、「結局のところ西ヨーロッパのどこかで売春ネットワークに捕まって身売りされ、そこからやっと逃げて恥を忍んで家に戻ったという」話を聞かせ、イリナさんは家出を諦めた。
大学の時ブカレストで、人身売買された若いルーマニア女性の写真展を見に行った。
イリナさんは「彼女らのイメージはどこかイコンのようだった」と思った。
そう感じたイリナさんの気持ちを、売買された彼女たちのことを思う。
「彼女らも十四歳の私のように、ただ逃げたかった。暴力から、貧困から、全てから。そして逃げた先には違う地獄が待っていた。」
どこまでも地獄が続く事実に頭がパンクしそうになる。この世が地獄という、どこかで聞いた言葉が頭の中でこだまする。
けれどイリナさんは写真に残された彼女たちを見ながら、自分は恵まれている方だとわかったと言い、
「だから私は博士課程まで上がりたいと決心した。そして世の中を変える。どんなに大変でも、どんなに苦しくても、単純なことだけどみんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。」
そう心に誓う。
何度もこの文章を目で追った。
みんなやればいいだけの話���自分のできる範囲で。
心の中で唱えてみる。
苦しい時に、理不尽に心を痛めどうすればいいか分からなくなった時に、きっと指針になってくれる、この言葉は。そう感じた。
他にも印象的なエピソードは、たくさん、たくさんあったけど、一番胸に迫った、一番イリナさんの力強さを感じたこのエピソードを紹介させていただいた。
私にとっても、とてもとても大事なことのような気がして。
世の中を変える、みんなやればいいだけの話、自分のできる範囲で。そう胸に刻む。
以下備忘録がてら目次を載せる。
サブタイトルも、どれも素敵だ。
目次
生き物としての本 上
生き物としての本 下
人間の尊厳
私の遺伝子の小さな物語 上
私の遺伝子の小さな物語 下
蛇苺
家
マザーツリー
無関心ではない身体
自転車に乗っていた女の子
天道虫の赤ちゃんは天道を見ることができなかった 上
天道虫の赤ちゃんは天道を見ることができなかった 下
なんで日本に来たの?
シーグラス
ちあう、ちあう
透明袋に入っていた金魚
社会主義に奪われた暮らし
トマトの汁が残した跡
冬至
リボンちゃんはじめて死んだ
毎日の魚
山菜の苦み
優しい地獄 上
優しい地獄 下
パジャマでしかピカソは描けない
紫式部
あとがき
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済東鉄腸氏の「千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、・・・」でルーマニア関連の書籍を紹介していたので、読んでみる。
ルーマニアの歴史をあらためて知ることとなり、そこで過ごした子供時代の暗部がたんたんと語られている。
詩的な要素もあり、不思議な世界、夢が多く出てきて、この様々な世界に助けられ、今の著者がいるのだろう。
続編をまた読んだみたい、この先をもっと知りたいと思う。
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想起力というのかなあ。イメージがしゅるしゅるとつながって出てくる。それがとてもすてき。おっかないのも多いけど。こういう日本語がかける人はかなり少なくなっている気がする。赤毛のアンをふっと思い出させるものがあるこの想起力。その健康さも含めて。
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獅子舞と女性、ジェンダーを研究しているルーマニアのイリナ・グリゴレさんの初エッセイ。こう言うのをオートエスノグラフィーというらしい。チャウシェシク政権下で育った少女時代から日本の白神山地の麓で娘たちと暮らす今を描いていて、時折、現実なのか妄想なのか分からなるような幻想的な表現もある。映画監督になりたかったらしく今も映像をよく撮っておられるようで、映像的な表現も随所に見られて、なんか不思議な気分を味わせてくれるエッセイだ。
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行動を決断できるほどの衝撃が無いから、日々を何気なく繰り返す。その穏やかな生活こそ、幸せと言えば幸せ。しかし、どこかに現状を変容させたい衝動があるなら、挑戦して変える事もできる。この本を読んで、そう思う。
チェルノブイリの子。放射能が原因で病気を患い手術。貧しい旧社会主義国で生まれた著者の半生。生まれた時に乳を与えられぬ母の代わりに、隣の産婦であるジプシーの女の母乳を飲んだ。その出来事に意味づけをし、自らのアイデンティティとして吸収する。多かれ少なかれ、人間は日々の出来事を自らの血肉とし、それは信仰のようなものになる。その大きな天啓として、川端康成の『雪国』との出会いが著者を日本に駆り立てた。
優しい地獄とは、何か。
ダンテの『神曲』にインスパイアされた5歳の娘。それを資本主義の皮肉と受け止めた著者。ここはよく分からない。この文章の後に綴られるのは、ルーマニア時代の凄惨さ。つまり社会主義の体験であり、資本主義の皮肉ではない。地獄のような欲望の競争社会だが、得られる物資は優しい、という意味か。女性の肉体についても、著者は地獄と形容する。もしかすると、業や因果を地獄と捉えたのだろうか。そのために、自らの運命を変える事に生きてきた人生を振り返っている。
衝動により強く軌道が変わる人生と、優しく日々を繰り返すだけの人生の対比のようなレトリック。自分とは異なる世界を生きたエッセイであり、新鮮な読書だった。
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少しずつ読み進めていたのに、途中から止められなくて一気に読み切ってしまう本があり、これもそう。後半は、考えながら、自分と議論したり著者に問いかけたりしながら読んでいた気がする。内容についての感想はきれいには纏まらない
日本語がとても好みで、読んでいて心地よかった