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毎日新聞20221029掲載
日経新聞2022115掲載
朝日新聞2022124掲載 評者:稲泉連(ノンフィクション作家)
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自分が生まれ育った町に何の関心も持たず、文章もろくに書いたことがない引っ込み思案な「わたし」。
震災を機に踏み出した、町と自身の再生への道のり……。
被災地復興の光と影、真のメディアとジャーナリズムのあり方を忖度なくあぶり出した、自伝的ノンフィクション。第1章……生きる意義を見失っていた震災前
■私が生まれ育った町、大槌
■大病続きの人生
第2章……大槌町の新聞を作りたい
■津波が襲った日
■素人が「大槌新聞」を創刊
第3章……地域メディアミックスに挑む
■人口1万人の町だからこそ
■選挙で状況が一変する
第4章……中断された震災検証
■調査不足だった初回の検証
■二度目の検証をしたけれど
■記録誌は「検証」ではない
■誇れる民間のアーカイブ
第5章……解体された大槌町旧役場庁舎
■保存から一転、解体へ
■解体に熟慮を求めた住民
■訴訟にまで発展した末に
第6章……本当の復興はこれから
■課題はいろいろ
・縮むまちづくり
・官民連携の難しさ
・地域情報はコミュニティの基礎
■地方自治の現実と可能性
・町役場で相次ぐ不祥事
・議会好きだからこそ言いたい
■復興とは何なのか
・税金の無駄にならないために
・古くて新しい、お祭りの力
第7章……創造的メディアをめざして
■大槌新聞とマスコミとの違い
■いつか絶対良くなる
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昨今、出版関係でも「ひとり○○」というのはブームなのだろうか?
だって、「ひとり出版社」とか「ひとり書店」というのは、今や特別な存在ではない。
それが今度は「ひとり新聞社」ときた。「とうとうここまで来たか」という思いで本書を手に取った。
ハンドメイドの新聞づくりのあれこれの話が読めるのかな?と思っていたら、第1章でいきなり「あれっ」と思った。だって、新聞づくりとは直接関係がないような、自分が重い病気にかかり二度の心停止にまで至った話がしばらく続くから。
「おーい、いつになったら表紙のイラストのような取材記者の話になるの?」と怪訝な思いが湧きあがったが、最後まで読み通して、ようやくすべてが理解できた。
つまり著者にとって大槌町で新聞を発行することと、自分が瀕死状態から脱して生き続けていることとは、切り離せない関連性があったのだ。
私が思いついたのは、ぎりぎりの所で命をつないだ著者が、大槌町が大震災で受けた壊滅的な被害から再生しようとする姿とを重ね合わせているのではということ。だから病気のことは当然書かれるべきだったのだ。
それともう1つ気づいたことを書きたい。
本書に大槌新聞第1号の第1面が載っている(P62)。これを読めば、大槌新聞を一般的な「新聞」というくくりで捉えてもいいの?という疑問が生じるだろう。かと言って、いわゆるタウン紙でもない。
このような紙面づくりは岩手日報や読売、朝日といった、私たちが知る所の新聞とは違う。では何なのか?確かに彼女は紙面で「大槌は絶対にいい町になります」と言い続けたように、ある人から見れば稚拙なやり方かもしれない。
だけど私はここで大きな声で言いたい。大槌新聞は、一般的な新聞という概念をひらりと飛び越えて、新しい地域メディアの概念を創生したのだ、と。
だから他の新聞と比較して「こんなの新聞じゃない」とか「記者はそんなこと書かないよ」と言うこと自体がナンセンス。たぶん著者はそんな言説に多くさらされて来たのだろうけれど、自分は野球から見たソフトボールのようにいわば違うスポーツで勝負を競っているのだと無視すればいい。
そしてそんな著者の活動をスパッと正確に理解していた人がいたことを証明する記述が本書にはちゃんとある。
著者は、秋田県で長く地域的なジャーナリスト活動をしていた「むのたけじ」さんと会っている。その際、むのさんは著者に「頑張ってくださいね。ちゃんと見ていてくれる人はいますから」と声をかけた。
ここで改めて考えてみる――ジャーナリズムって、いったい何?
震災後、大槌町にも多くのジャーナリストが取材につめかけている。だが著者の指摘で読者が改めて気づくことがある。――多くのジャーナリストが取材するなかで、大槌町の人による、大槌町の視点での取材はないのでは?--と。
自分たちが一番知りたい大槌町のことを、自分たちの手で知り、そして多くの大槌町の人に伝えたい――彼女がこの本で書いた一連の取材活動と、紙面からこぼれた彼女の心の奥に潜む様々な思いは、どこを切り取ってもジャーナリズムの基本中の基本と言え、地域の人が知りたい情報を「新しく聞かせる」という新聞の本旨に照らすと、大槌新聞は「新聞」である。
私が特にそう感じたのは、彼女がよく「取材ネタがなくて困ることはないですか?」と聞かれて、そのときの彼女の答えがこうだからだ――「なんで困るの?だって自分の町だから、書きたいことはいくらでもあるし」。
これには目から鱗が落ちた。言い換えれば、記者がネタに困るのは、取材対象を自分の中心へと十分に近づけず、自分の“帰る場所”を別のところに用意しているからだ。
いや、私が偉そうに言わなくても、御年100歳超えだった大ベテランジャーナリストのむのたけじさんが正確に代弁してくれているし、むのさんの言葉は、冠のついた幾多の賞以上に、彼女の活動を後押ししている。
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#わたしは「ひとり新聞社」
#岩手県大槌町で生き、考え、伝える
#菊池由貴子
22/9/28出版
釜石生まれの自分は
被災地大槌町を実際に訪れ言葉を失った
10年間どのようなことが起こっていたのかを知りたい
#被災地復興の光と影
#読書好きな人と繋がりたい
#読書
#本好き
#読みたい本
https://amzn.to/3rfmtvW
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3.11の津波で町民の約1割が犠牲になった岩手県大槌町。この地で、約9年間1人で『大槌新聞』を発行し、記事を書き続けた菊池由貴子さん。彼女の想いや原動力に関心をもち、読んでみました。
菊池さんは、新聞づくりのきっかけを「町民目線に立った情報の深刻で圧倒的な不足」と記していました。確かにその切実な想いがスタートだったのだと思いましたが、なぜ困難を乗り越えて続けられたかを考えると、背景に彼女の大病があるように思いました。強い覚悟さえ感じます。
菊池さんは、高2で網膜剥離、大学入学後の潰瘍性大腸炎、心筋炎による2度の心停止、7回の入退院と、壮絶な経験をし奇跡的に助かったのでした。
2度目の結婚をし、相手から「なぜそこまでやるのか」と問われた菊池さん。獣医師になる夢は潰えましたが、いや、だからこそ自分が見つけた"打ち込める事""人の役に立てる事"を手放す選択肢はなかったのでしょう。
『大槌新聞』は、2012.6.30に創刊し2021.3に第385号で終了するまで、週刊新聞(A4表裏)で希望者から始まり、月刊新聞(タブロイド判8ページ)で町内全戸約5100世帯へ無料配布を貫きました。この取組は、数多くの受賞歴をもつこととなります。
取材に最も心血を注いだのが、震災検証と旧役場庁舎保存・解体問題のようですが、厳しい内容に心が痛みます。
菊池さんは町外へ目線が広がり、新聞休刊後は語り部活動やオンライン勉強会の開催、雑誌への寄稿などに取り組んでいるようです。
本書で自虐的に述べている「負け組の人生」「勝手な使命感」は、無関心でいる私たちへの優しくも衝撃度の強い叱咤激励と受け止めました。
能登半島地震の被災者の方々へ、必要な情報と支援はしっかり届いているのでしょうか?
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著者は自称「負け組」。獣医を目指していたが、大学在学中に難病になり入院。さらに入院中に、劇症型心筋炎を併発し2度の心停止を経験するも生還。結局大学は中退し、故郷の岩手県大槌町へ戻る。東日本大震災の前に縁あって結婚するも数年で離婚する。
大槌町といえば、震災で町長以下幹部職員ふくめ40名ほどが津波に呑まれ、町民の死者数 は751 人、行方不明者 505 人、計 1,256 人となっており、町の人口の8%近くが被害にあった。
著者は震災後、地元の大槌町の情報が入ってこないことに困惑する。大槌町民が必要とする情報を発信すべく文章など書いたことがないにも関わらず、「大槌新聞」をほぼ一人で立ち上げる。その後再婚するも離婚する。
著者は本書において二つことを伝えたいと述べている。一つは震災後に「大槌新聞」を立ち上げ書き続けた理由、そして故郷大槌町の復興のあり方。二つ目は著者の人生そのものを。
本書というか、著者の菊池さん自身がスゴイです。時には町長とも対立もしながら、震災からの復興の表と裏をまったく忖度なしであぶりだしています。メディアの役割、特に大槌町民に必要とされる情報とは何か。真のジャーナリズムとは何かをズバリ突いています。ご本人は言うには。「私はジャーナリストとしてではなく、一町民として取材しているのだ」と。
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1人で取材や執筆、編集どころか、広告営業や事務までこなして、タブロイド判4面の新聞を毎週、大槌町に約9年間、無料配布していた菊池由貴子さん。私も約30年間断続的に、A4判2面の団体機関紙を毎月、1人で(主に)取材、(主に)執筆、編集、配布発送を続けているので、その苦労話と工夫が載っているのか、と思い紐解いた。
そしたら、初めての著書の大部分は、震災後の大槌町の復興を、町民視点から取材し続けた菊池記者の「大槌町10年史」だった。びっくりした。面白かった。
彼女には、伝えたいことが山ほどあるのだ。新聞つくりの工夫や営業の苦労なんて、優先順位の下の下あたりなのだろう。自分を恥じた。
町民約一万人、約5千世帯を対象にする「大槌新聞」は、マスコミの新聞とは大きく違う。全国紙は町の予算を報道して「もっと支援を」と書く。けれども、菊池さんは「町民から見れば何が問題で、どうすれば町がよくなるか」を書く。他人事ではないのだ。大槌新聞を「町民目線で書いている」という評価をしている人もいると思うが、私は違うと思う。彼女は「町民視点で書いている」のである。「目線」で書いていたら、こんな新聞にはならない。遺族に寄り添った記事だけを載せ、行政側にも、批判側にもどっちつかずの記事を書くだろう。彼女は、震災直後から復興支援団体の職員として町の行政をつぶさに見てきて、自分で考え、判断してきた。新町長になって職員をクビになっても、独立して新聞を発行し続けた。
ジャーナリスト、かくあるべき、とわたしは思う。勿論、全ての彼女の主張が正しいとは限らない(それを判断する材料は、この本のみでは不十分)、けれどもこの本の全体がそうなのではあるが、全て彼女は「事実」を淡々と載せて、その後に自分の考えを書いている。自分の主張を持たないジャーナリストを、わたしは信用しない。事実を積み重ねないで、主張だけを述べるジャーナリストを、わたしは信用しない。
事実を積み重ねると、図らずも全体のデザインが見えて来ることがある。
菊池さんが気が付いたのは、2019年10月の台風での「大雨特別警報中に住民を移送した」という危険なことをやっていた事実だ。8年前の震災当日「大津波警報中に旧庁舎前に災害対策本部を設置して、多くの職員や町民を亡くした」痛恨の過去の事実を重ねる。「危機管理能力の欠如の一言では済まされない」と彼女は書く。
また、彼女は「震災検証」が不十分なままに終わった経緯を縷々書いている。最終段階で、職員町民からも「個人の責任は追及するべきではない」声が出始める。または「役場全体または職員みんなが悪かった」と責任の対象をぼかし始める、と指摘している。その結果、2回目の検証報告書作成直後の「聴き取り資料のシュレッダー化」という事実も明らかになる。この姿勢が台風対応の原因にもなったのだが、わたしの感じたのは、「これって、日本敗戦直後の資料焼却と、一億総懺悔とまるきり同じじゃないか」という事だった。彼女は、そこまでは書いてないけど、事実を積み重ねると、「大槌町の問題は、日本全体の問題なのだ」ということもわかって来る。
9年間の激走で、持病を持つ彼女は「終活」を意識するようになる。これからは「深掘り記事(←ノンフィクション本?期待しています!)やまとめ記事(←この本?)を残したい。」「私の人脈を町内の誰かに繋ぎたい」と書いている。それが新聞を休刊にした理由なのだろう。それもいい。おそらく5年計画ぐらいだと思うので、やり切ったあとは違う景色が見えるはず。とりあえず私は、9年間の新聞の縮刷版が、是非とも欲しい。Amazonには出ていない。