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ちょっと前から気になっていた本が折りよく文庫化されたのですぐに入手。
しばらく積読になっていたが、年末年始に「目で見ることばで話をさせて」(←同じマーサズ・ヴィンヤード島についての、この本に書かれた知見にも基づいたフィクション。YA)を読み終え、その勢いで読み始める。この本は原作者の執筆の上でも訳者の翻訳の上でも重要な参考資料だったというが、読み始めてみると「あの人物のモデルはグラハム・ベル博士だったのかも?」などと改めてわくわくしながらどんどん読める。
17世紀から20世紀にかけての二百年余り遺伝性の聾の割合が高かったマーサズ・ヴィンヤード島の当時を知る老人に聞きとり調査をし、島の歴史に関するあらゆる記録から聞こえない人も聞こえる人もごく自然に手話を使っていた島の暮らしぶりを検証した労作。聾が障害にも特性にもならない共生社会はいかにして成り立っていたのか、学ぶこと考えさせられることが多い。そんな(ある意味)理想郷があまりにあっというまに失われてしまったということまで含め示唆的。
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これはアメリカのある小さい島で、遺伝的聴覚障害が多かったので自然と島民全員が耳が聞こえてる人もいない人も手話で話すようになった、という珍しい話のドキュメンタリーです。
すごく面白いけど、なんでまた復刊されたのかな。
だったら
「神さまは手話ができるの?」
も復刊してくれないかなぁ。
あ、出版社、違うか……。
2022/10/21 更新
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聾であることがいい意味でその人のアイデンティティーじゃなかったってすごい。
障がいを障がいとして捉えるのは人によっては嫌な偏見になりうるってことを忘れないようにしようと思った。
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マーサズ・ヴィンヤード島
島では聾の人たちも健聴者の人たちも、なんら分けられることく暮らしていた。
職業も、収入も他の地域とも違い両者の差が無い。
「障害」というものは、なんなんだろう。
「五体満足で他の大勢と同じようなことができる」ことを社会が要請してしまう。
更に、その中で「より上手に」「より多く」生産するものがより高いものを得る。
そのような社会構造そのものが、「障害」という概念を生み出してしまう。
大勢よりも何かが不便であったり、苦手だったりする人を「障害者」としてしまう。
そういう視座を与えてくれた。
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題名から どういうことかとても興味を持った
読んでみるとこれは まさしく 論文であった
ノンフィクションの中から見えてくるいろいろな問題を考えさせられるとともに 論文を書き上げるために 筆者が 深く広く調べていくことに 驚いた
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人類学の本。20世紀初頭までろう者が多くいたマーサズ・ヴィンヤード島では、障害の有る無しに関わらず、誰もが当たり前に手話を使っていた。フィールドワークを通して言語や障害、そしてその境界線の曖昧さが見えてくる。
真面目な本ですが、人類学者のフィールドワーク本としての面白さも備わってます。
「聞こえる/聞こえない」ということが「非障害者/障害者」とイコールにならないこの島を見ると、障害とは社会の制度から生まれるバイアスのかかった認識でしか無いのだと感じた。
一文引用「健聴者と聾者は家庭、雑貨店、協会、パーティなどのあらゆる場において相互にまじり合っていた。聾者である家族、友人、隣人と行動をともにすることは日々の生活のありふれたひとこまにすぎなかった。」(P.190)
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島民が皆「聾?何それ」ってなるくらいバリアがない暮らしに興味津々。あと、何かひとつのテーマをこの本くらい研究したいなって思いました
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医療人類学者である著者が1979年より米ヴィンヤード島の島民・系図について調査、あらすじを締めくくる一文には「『障害』『言語』『共生社会』とは何かについて考える」とある。
普段身近でないコミュニケーション手段であるため理解を深められるか心配だったが、この一文につられて読むことを決意した。
「あの人たちが特別と思ったことはありません。あの人たちは他の人とまったく同じでした。そうだとしたら、この島ほど素晴らしい場所は、他になかったんじゃないでしょうか」
ヴィンヤード島は映画『ジョーズ』のロケ地や元大統領のクリントン氏やオバマ氏の避暑地として知られている。しかしそれ以前の島は避暑地以上に人々(主に学者)から注目を受けていた。
聾者と社会の壁が撤廃された、珍しくも理想的なコミュニティだったのである。
1644年英ケント州ウィールド地方より最初の定住者65名が上陸した際は、いずれも聾遺伝子保持者でなかった。(そこまで分かっているのがまず凄い!!) しかし近親婚が何世代も続いたことで、聾遺伝子も現れやすくなる。中には4人に1人が聾者である地区も存在し、島内では健聴者も手話を交わしていた。
聾の子供の誕生は人々の間ではさしたる問題ではなく、何故島内で聾者が多いのか考えにも及ばなかったという。
回想エピソードを聞く限り、聾者・健聴者ともに非常に生き生きと暮らしている。
健聴者の中には言葉よりも先に手話を覚える者もいたようで、幼い頃から聾者との共生はごく自然なものだった。(健聴者同士が無意識に手話で話していた、なんてことも…!)
聞かれたくない話を手話で済ませたり、聾者自身も「聞きたくないことを聞かないで済む」と生まれ持った性質をプラスに捉えていて、微笑ましさすら感じ取れる。
中でもトランプ競技会の話が個人的に好き。
2人1組の2チームに分かれて競うゲームで、一方のチームが互いの手札を手話で教え合い、結果そのチームが大優勝。ゲームになると、なかなか参加の余地が難しいと思い込んでいた自分が情けなくもなった。
現代の我々が手話を特別視しているのを彼らが目にしたら、きっと不思議がることだろう。(実際島からボストンに出た島民が、人々が手話についてメディアなどで取り沙汰するのを不審がっていたそうな)
健聴者が合わせるというよりも、一言語として島に定着していたのか…!(島外からの移住者が増え、現在は手話を使える・使っている人が島には残っていない)
島の生活を実現していくのは至難の業に違いないけど、自分の中の特別視フィルターくらいはそろそろ取っ払っていこう。
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論文を読んでいるかのよう。ヴィンヤード島の話を聞いていると、そもそもハンディキャップとは?と言葉そのものについて考えさせられる。島では手話は聾者のものではなく、健聴者も手話を操り当たり前の会話の手段として用いられている。それは、生まれた時からその環境にいたから聴こえようが聴こえまいが話題にもならない。知らないから不便や差別が生まれるのだと改めて思った。
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これを面白いと思うか面白くないと思うかはその人の読む目的や同期によって変わってくるだろう。自分としては「読み物として」は正直面白いものではなく、読み切るのに少し頑張りが必要だった。なぜなら、これは著者の丹念なフィールドワークの結果や資料が記されているだけであるからだ。もちろん、それだけでも素晴らしい1冊だが、軽い気持ちで読むと読むことがつまらなくなるだろう。著者の語りかけや問いの提示が豊富で勝手に脳が刺激される訳では無いからだ。障害とはなにか?という帯の言葉が直接的に意識されるのも後半の2章程である。ただし、解説などにもあるように本としての価値はかなり高いことはわかる。これをきっかけに障害の医療モデル/社会モデルなどについての思考を深めるのは有意義であろう。
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一行目:お客を乗せて島めぐりに連れ出すのが、ゲイル・ハンティトンの道楽の一つになっている。
ハヤカワ文庫で話題になっていたので、親本の築地書館版で読了。
絶版になっていたそうなので、こうやってまた光が当たるというのは、まさに文庫化のメリットだと思う。
障がい=ハンディキャップではないのだな、ということを実感した作品。
その人の人となりを話すときに、耳が不自由であるという、最大にも思える特徴に気が付かない(指摘されて、ああそういえば)というのは究極だと思う。
例えば、あぁそういや彼はメガネかけてるね、視力が悪いから、一緒にマンガ読むときルーペ使ってるんだよ、っていうのと似たような感じ?
裏表紙に推薦文の記載があり、抜粋する。
「「ハンディキャップ」が文化によって生み出されるものである以上、われわれはみな、それに対して責任を負っている−」
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環境が「障害」を作る。まさにそれだと感じた。
でも、現実的にはそう簡単にはいかないものだよなぁと諦観している自分がいる。
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筆者と訳者の誠実な仕事ぶりがにじみ出ている本。
障害はそれを持つ個人というよりも、むしろ環境や社会が作り出すのだということが、この本を通じて理解できた事実である。
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アメリカの有名な避暑地マーサズ・ヴィンヤード島。ネットで検索してみると、いかにも風光明媚な光景が広がっている。しかし、この島ではかつて統計上あり得ないほど多くの遺伝性聾者が暮らし、健聴者も含めて島民は日常的に手話で会話をしていたという。著者が島に入ったとき、すでに島の最後の遺伝性聾者が亡くなってからずいぶんと時間が経っていたが、少ないながらその時代の島での暮らしを知る人々がまだ存命であった。本書は医療人類学社会である著者がフィールドワークをし、島のオーラルヒストリーを収集した貴重かつユニークな書籍である。
本書の前半は、マーサズ・ヴィンヤード島の歴史がひもとかれ、島に遺伝性聾者が出現した由来が検証される。それによると、島にヨーロッパ人が入植を開始したのは1644年。この移民の集団の中に、聾の潜在性遺伝保有者がいたと推測される。島は大陸との交通の便がよくなく、1710年に移住が終了して以降、島外生活者との定期的な接触や結婚は激減した。ただでさえ当時は、友人や配偶者は近場の人で決めるという時代である。結果、限られた地域で、近縁の者同士の婚姻・出産が繰り返され、遺伝性聾者が高率で出現することとなった。
19世紀アメリカ全土の遺伝性聾の出現率は5,728対1。一方、マーサズ・ヴィンヤード島は155対1 で、地区によっては何と4人に1人が遺伝性聾だったという。この数字だけで、ヴィンヤード島の特異さがよくわかる。
島民自身は聾がどうして現れるのかを理解していなかったという。遺伝性であることや自分たちの生活様式に理由があるとも夢にも思わず、耳が聞こえない人たちのことを普通に受け容れていた。アメリカの他の地域の聾者の数もこんなものだと思っていたのである。
実際、島の聾者たちは、健聴者と何も変わらずに生活をしていた。言葉は不自由しない。何せ島民は皆、手話が使えるのだ。むしろ聞かれたくない話をする際には役に立っていた。
彼らの教育レベルは島の健聴者のそれよりも高いほどだった。聾学校で健聴者の倍の期間学ぶことができたのである。
島では、アメリカの健聴者と同じ8割の聾者が結婚をしていた。聾者同士の結婚は少なく、健聴者と聾者、聾者と健聴者のカップルが多かった。出生率も健聴者と変わらない。ちなみにアメリカ全土の聾者の婚姻率は45%に過ぎなかった。
島の聾者は、聾者とだけしか付き合わないという人はおらず、聾者同士のコミュニティも形成していなかったという。また聾者の全国的な組織にも加わっていなかった。彼らは自身を異なる社会集団とみなしてなかったのである。
しかし、そんな島の暮らしも20世紀に入り変化する。マスコミや避暑客が、聾に関する新しい態度を持ち込んだ。また、新たに島に定住する人たちも増えてきて、外部の血が入り、1920年代には聾者の数も減って、若者は手話を覚えようとはしなくなった。1950年代以後、遺伝性聾者は島に生まれていない。
アメリカだけでなく、聾者は半人前と見なされ、ひどい偏見や抑圧を受けてきたという。それは現代にも尾を引いている。本書を読み、障害学を学んだことのある人間なら、おそらくすぐに「障害の社会モ��ル」という言葉が出てくるだろう。障害は病ではなく、社会環境が作り出しているとする考え方だ。マーサズ・ヴィンヤード島は、まさにそれを地でいく地域だった。著者が聾者についてのインタビューを行うまで、聞かれた相手は知人が聾者であったことを忘れていたケースがいくつもあったという。
島の古老が語った「あの人たちにハンディキャップなんてなかったですよ。ただ聾というだけでした」という言葉には感動すら覚える。
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サメ映画ジョーズのロケ地の話。障害や差別は受け手が作る。この本が絶版を乗り越え文庫化される社会を誇りに思う。あともう一歩、私か踏み出そう