紙の本
プロパガンダの変容過程
2022/10/04 13:36
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
権力とプロパガンダは切っても切り離せない存在だが、本書では日清戦争期から敗戦後に至るまでのプロパガンダの変容過程を概観してあり、資料としても貴重である。
確かに、日清戦争期から、こんなにも長い間、大衆の「戦争熱」をキープするのは大変なことだ。巧妙なプロパガンダに大衆が踊らされていたということなのだろう。
しかし本書の白眉は、敗戦後~占領軍によるプロパガンダについて書かれている部分である。なぜなら今の私たちにつながっている問題だからだ。
占領期の検閲はCCDによる一方的なものとは言いきれず、日本のメディアは自社検閲の度合いを高めていたということは、昨今の報道機関の問題点とも重なる。
また軍政下の沖縄における米軍のプロパガンダ工作は、占領統治の正統性をアピールすることから、冷戦構造の中で反共防共の拠点に沖縄へ組み込むことへとその目的がシフトした、という点も、腑に落ちるものがあった。
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戦争反対、だけど戦争に進む人は多い
2022/07/13 21:27
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投稿者:雑多な本読み - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、日本がなぜ、戦争に突き進んだのかを明らかにする書籍ではない。しかし、日本が日清戦争、日露戦争から数多くの戦争(事変や事件というが)、日中戦争から第二次世界大戦への参戦で泥沼にはまり込む過程で、政府や軍部や報道機関はプロパガンダを繰り返す。これを丁寧に読み解いた書である。
書名は「帝国日本のプロパガンダ」であるが、清、ロシア、アメリカ等のプロパガンダも描き出す。これはバランスを取るだけでなく、プロパガンダとは何かを理解するために必要だと思われる。
ロシアのウクライナ侵攻でも、他国の領土に軍隊を送り込み、多くの人が殺されることは反対と明確に言えるが、ロシアとアメリカ等のプロパガンダを前に、本当のことがわからないというのが普通の人の感想ではないだろうか。
序章で、帝国日本の姿をスケッチするのは、現代に生きる私たちが、1945年までの帝国日本のことがわからないので、必要なことだろう。プロパガンダと言っても、政治宣伝で普通の人は関係なと思われるが、日常生活に入り込んでいくのがプロパガンダであろう。
日清戦争期は、国民を煽るため、明治に入って衰退した浮世絵が活用されたり、版画報道が活用される。ヨーロッパでの細密画、イラストが使われている。プロパガンダでは、こうした技術が重要となることがわかる。
日露戦争期は、戦勝神話の中、写真、絵葉書、活動写真に変わっていく姿が描かれる。
第一次世界大戦では、ヨーロッパから離れ、本来は日本の出る場所はないように思えるが、ドイツが持つ植民地である中国青島、南洋諸島に手を伸ばす。この時も印刷メディアに加え、映画が活用される。
第4章で中国、アメリカの反日運動で、日本を含めたプロパガンダを描く。第5章で台湾の霧社事件、満州事変で、軍部と新聞社の接近による報道というジャーナリストの姿勢といえることが出てくる。
日中戦争、太平洋戦争を経て、ビジュアル報道が衰退していく過程、日本の敗北による占領期の占領軍(連合軍とアメリカ軍)のプロパガンダが取り上げられる。本土と沖縄の違いにも触れながら。
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なぜ国民は戦勝神話にとりつかれたのか? 錦絵、風刺画、絵葉書、ポスター、戦況写真、軍事映画から描く帝国日本のプロパガンダ史。
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<目次>
序章 戦争と宣伝
第1章 日清戦争期~版画報道の流行(1890年代)
第2章 日露戦争期~「戦勝親和」の流布(1900年代)
第3章 第一次世界大戦期~日独戦争をめぐる報道選択(1910年代)
第4章 中国、米国の反日運動~報道と政治の関係(1920年代)
第5章 台湾霧社事件と満州事変~新聞社と軍の接近(1930年代前期)
第6章 日中戦争期~国家プロパガンダの絶頂期(1930年代後期)
第7章 アジア太平洋戦争期~ビジュアル報道の衰退(1940年代前期)
終章 敗戦直後~占領統治のためのプロパガンダ(1940年代後期)
<内容>
新書っぽいまとまり方で、主に新聞社の戦争報道にスポットを当てて、戦争をどのように報道したのか?報道らしさよりも軍や政府との関係、利益という側面から、世論(大衆)に媚びへつらっていた側面を描いている。もうちょっと図版を増やしてほしかった。
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済南事件と日貨排斥を巡る日本国内のマスメディアの動きが、当時の写真技術の進歩と合わさり、プロパガンダとして大きな一歩を踏み込んだ。
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日清戦争期 錦絵がリバイバルブーム(記録メディアとして写真が出始める)旧メディアの錦絵vs新メディアの新聞
日露戦争期 写真が広まり始める 絵葉書も流行る 活動写真も出始める
日独戦争期 写真がプロパガンダに使われ始める
日中戦争期 博覧会、写真、映画、ポスター、紙芝居などの新旧のプロパガンダ・メディア
上のはざっくりとしたまとめ。それぞれのメディアが流行った時代は重なってたりするからあくまで目安としてのメモ。
白瀬矗はおもしろ知識として知ってたけど、そうか大和雪原は日本領だとしたがるよなそりゃ。
「敗退」が戦略的撤退と報道されるような世界。曹操側が赤壁の戦いで船に火をつけられて敗退したのも、自分で火をつけたんだ、って言い張ったみたいなものかな。いずれにせよ真相がどっちかはわからない。
1938年公開の『五人の斥候兵』。文部省、内務省、陸海軍省、警保局、教育総監部、日本文化協会などから表彰状をもらっている。もちろんプロパガンダとしての貢献からだろうけど。ヴェネツィア国際映画祭でもイタリア民衆文化大臣賞を貰ってるみたいで、この前年には日独伊三国同盟が結ばれているからそれで気を遣ったんじゃないか、っていう著者の指摘も面白い。
いまや誰もがスマホを持っている時代で、SNSにつながるのも当たり前になった。ラジオや新聞の全盛期よりも、報道の速報性は高まっているし、双方向的なメディアであることから国民同士の同時性も高い。これまでよりも「戦争熱」が一層高まりやすい状況にあることは少し考えればわかる。
情報は切り取り方によってさまざまな見方をさせることができる、と言葉ではわかっていても、実際に距離を置いた見方を取り続けていてもなかなか解決にはつながらない。だからこそ身を乗り出して新しい情報に食いついてしまうんだろうけど。
もっというと、この本だってプロパガンダになり得る。ほかのあらゆる本もそう。どんな情報メディアを信用するか、なんていうのも最早あてにならないのかもしれない。
ビジュアルがそこそこ収録されてて面白い。同じく中公新書の『宗教図像学入門』と同じ感覚で読める。
とはいえ、もっと図録があってもいい。本文では説明されてるのにその写真やイラストがないといまいちピンとこない。新書っていうメディアの限界なのかもしれないけど。
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著者もあとがきに書いていますが2022年ロシア軍のウクライナ侵攻によってプロパガンダという言葉は現在進行形の意味を持つキーワードになっています。この新書は主に1894年に始まった日清戦争から1945年の太平洋戦争敗戦を経て占領統治が終わるまでの「帝国日本」のプロパガンダ(著者は政治宣伝と戦争報道をまとめてそう呼んでいます。)を手際よくまとめています。日清戦争期を版画報道の流行、日露戦争期を「戦勝神話」の流布、第一次世界大戦期を日独戦争をめぐる報道選択、中国、米国の反日運動では報道と政治の関係、台湾霧社事件と満州事変では新聞社と軍の接近、日中戦争期は国家プロパガンダの絶頂期、アジア太平洋戦争期をビジュアル報道の衰退、敗戦直後うぃ占領統治のためのプロパガンダ…章がほぼディケイド毎になっていて戦争は武器の進化だけでなくコミュニケーションのイノベーションを次々生み出していることが多くの図版によって示されていきます。近代国家はナショナリズムをエネルギーに成立していくのだ、と考えるとプロパガンダの主役は、そう思わせたい国家だけでなく、そう思いたい国民、そしてその情報で利益を上げたいメディアの三位一体の行為である、と思いました。特に1931年10月1日の社説からの朝日新聞が行った軍縮キャンペーンから関東軍の意に沿う方針への大転換が朝日不買運動から始まったことには強いインパクトを感じました。昨年読んだ『言論統制というビジネス: 新聞社史から消された「戦争」』と相まってジャーナリズム、宣伝、プロパガンダ、広告、広報などメディアを巡る言葉が頭の中でグルグルしています。そういえば今週は新聞週間。新聞の凋落は戦争との関係の清算が終わっていないところから始まるのか?みたいな気にもなってしまいました。
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朝日新聞202279掲載 評者:田中大喜(国立歴史民俗博物館准教授)
毎日新聞2022716掲載
日経新聞2022723掲載 評者:一ノ瀬俊也(埼玉大学教授)
朝日新聞2022730掲載 評者:阿古智子(東京大学教授,現代中国研究)
東洋経済202286掲載
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日清戦争からアジア太平洋戦争敗戦まで、当時の日本で飛び交った政治宣伝を研究している一冊です。
今の尚残る日本人同士の同調圧力ですが、これをプロパガンダを用いて方向性を共有した場合の力は凄まじいものだと感じました。
察することを美徳とする民族であるが故に精神的に一丸となることも可能であり、それにより島国でも大国と戦えるのですね。
しかしいつの世でも同じように宣伝は針小棒大や竜頭蛇尾であったり、更には虚偽であったりするものです。
嘘も結果として真実となることはありますが、行き着く先には制御不能の国が拵えられるのです。
言葉や情報には力が宿るもの、集団でも個人でも気を付けて使いたいものですね。
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主要な内容は日清戦争である。第二次世界大戦の中では1/4しか書かれずしかも歴史的事実が多く、プロパガンダはほとんど言及されていない。一方、明治の日清戦争が最も詳細に書かれている。しかし、プロパガンダよりも歴史的事実の説明の方が多い。
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ウクライナの戦争は、人の国に攻め込んだロシアが悪い、とぼくは思っている。ほかに考えようがない。が、ロシア人は(みんなじゃないのだろうが)そうは考えていない。80年前に中国に攻めこんだ大日本帝国の臣民も(みんなじゃないのだろうが)自分が悪いとは考えていなかった。
なぜだろう?
プロパガンダのせいでは?とぼくは思ったのだ。今のロシアでは、80年前の大日本帝国では、どんなプロパガンダが行われているのだろう? 人々は何を、なぜ、信じていたのだろう?
そういうことが知りたくて本書を読んでみたのだが、うーん、だいぶ違う。戦意高揚のために錦絵が、ついで写真が使われた、とか、どういう組織がどのようにプロパガンダ、または情報統制に取り組んだか(それは敗戦後の占領時代にも続いた)といった教科書的な歴史や制度の話が中心だ。それはそれで興味深くはあったが、ぼくが読みたいと思っていたプロパガンダの中身についてはほとんど触れていない。扱っている期間が半世紀近くと長く、太平洋戦争のあたりではそういう話も出てくるか、と期待しつつ読み進んだが、結局あっさり終わってしまった。
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SNSの普及によって、フェイクニュースが広まりやすい時代になったと言われる。だが、本書を読めばそれが現代特有の事象ではないことに気づかされる。メディアは違えど、各国は自国民が熱狂するような煽りを用いてきた。不都合な事実は伝えないというのは、今に始まったことではない。