紙の本
少年事件の歴史を、新聞報道で振り返る1冊です。
2022/10/16 11:20
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
現役新聞記者の著者が、日本で起こった様々な少年事件の歴史を、大手紙の新聞報道の取り上げ方を軸に振り返っている1冊です。
特に、大手紙の各事件に対する報道記事のタイトルを各紙ごとに羅列表記しているのが、当書の大きな特徴です。少年事件の報道について、考えさせられます。
それにしても、比較的薄い紙幅の割には、たくさんの事件が紹介されています。聞いたことのある事件も多く取り上げられています。
紙の本
山口二矢は17歳だった
2023/06/01 11:27
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
社会党の浅沼委員長を刺殺した山口二矢は17歳だった、山口については沢木耕太郎氏の「テロルの決算」が詳しい、この作品はノンフィクションの最高峰だと私は思っている、それはさておくとして、当時、新聞協会は少年が容疑者の場合は実名報道はしないというルールがあったにも関わらず「社会党の委員長を刺殺したのだから他の事件とは重大さが違う」と実名報道に踏み切った、私もこのような事件の場合は実名報道やむなしと思う
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11月2日新着図書:【少年事件の新聞記事の扱いを追いながら、社会が描く「少年」観が時代によって大きく変容していることを通じて、日本社会のひずみを浮き彫りにします。】
タイトル:記者がひもとく「少年」事件史 : 少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す
請求記号:イワナミ300:Ka
URL:https://mylibrary.toho-u.ac.jp/webopac/BB28205092
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少年事件は「社会の鏡」。時代と共に大人たちが少年を見る視点も変わっていく。事件を羅列し変化を探る毎日新聞記者による一冊。
山口二矢、永山則夫、酒鬼薔薇。その他多くの少年事件を紐解いて、社会の描く「少年」観の時代による変容を追う作品。
裁判員裁判制度、市民が裁く時代、「少年」という見方は消えつつある。
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大学生の時、『兵士たちの連合赤軍』という本を読んだ。浅間山荘に立て篭もった植垣康博氏の書いた本。リンチの詳細も書かれていて、イラストも鮮烈だった。今はもうあんな残酷な描写は読めないと思う。体力があったんだと思う。後は、共感能力が不足してたのかも。
この少年事件史も、それほど強烈な描写はされてないのに、今回は読むのがしんどかった。
しかし、不思議なことに、時系列に書かれている事件を追うごとに、しんどさが減ってくる。
少年事件についてのマスコミの報道の仕方が年々変化しているというのがこの本の趣旨だが、それが関係しているんだろうか。
かつては少年事件は加害者の親の立場から報道されていて、それが匿名報道の現れだったが、被害者遺族への配慮や「自己責任」の波の中で流れが変わった。
神戸の(少年A)事件より前は、『政治テロリストでも、ツッパリでも「反社会」型だった。だが、それ以後は、いきなり事件を起こす「非社会」型の少年だ。歳月を経て「少年」像は、大きく変わった。」
山口二矢のドキュメンタリーは面白く読んだし、小松川事件もしんどいけれど興味が湧く。永山則夫の本も何冊か持っている。
でも光市の事件や神戸の事件はできれば避けて通りたい。
理由はなかなか説明できないけれど、この本にヒントがあるのかもしれないと思った。
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こんなに少年事件報道のあり方が変遷していたとは。あらためてまとめて示されるとびっくりする。
匿名か実名かという形式的な面のみならず、視点のあり方の変遷にも驚いた
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「どんな事件か」ではなく、社会や新聞がどのように「少年事件」を扱ったかの視点は、とても新鮮でした。凄惨な事件が起こると、人々は何かのせいにしたがるが、それが時代とともに変わっていった、ということに怖さを感じました。
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●は引用、その他は感想
そう言えば、そういう「少年」事件があったね、という思いが多い。たぶん、その時は興味を持っていても、自分の日々の生活や、それこそ次から次へと起こる事件(少年だけでなく)で忘れていってしまう。
●新聞の紙面をめくってみると、戦後から現在にいたる過程で、世間がとらえた「少年」像は、そのイメージがはっきり変化してきている。少年事件に、不変の常識などない。「少年」は、常に時代によって相対的に位置づけられているにすぎない。その意味で、その存在はきわめて不確かで、曖昧だ。絶対的な「少年」の実像など、どこにも存在しない。
●これまでみてきたように、新聞は事実を報じているが、取り上げる事件、その扱い、報じられる切り口にいたるまで、時代によって中身が異なる。たとえ嘘はつかず、事実だけを報じたとしても、拾いあげる事実が異なれば、浮かびあがる「少年」像も変わる。そこから読み取れるのは、そのときどきの大人たちの「少年」の認識にすぎない。こうして俯瞰してみると、大人たちは時代のモノサシで、少年を見ている。少年事件で変わるのは「少年」ではなく、「時代」ともいえる。
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「少年」事件史が、時系列に分かりやすく書かれており、この切り口は目新しく興味深く読めた。
少年による事件は、壮絶な、かつ悲惨な家庭環境による人格形成が原因のことが多いため、更生を第一に考える少年法の理念を頭では理解しようとするけど…人生はただの一度きり、命は何より大切、そしてその命がなんの落ち度もないのに突然断ち切られる、それにより被害者の家族や周りの人の人生までズタズタにしてしまう、ということを思うと…大人気ないと言われるかもしれないが、心ではこの理念がどうしても受け入れられない。
筆者が書くように「加害者が、少年であろうと、成人であろうと、被害者の受けた被害は変わらないという現実」。本村さんの言葉「判決は加害者だけのものではない。少年への憎しみを乗り越えていくためには、死ぬほど努力をしなければならない」が胸を抉る。
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過去の少年犯罪に対する、マスコミの対応について述べている。時代背景によって、変わっていくのが非常に興味深い。
今後も見守りたい。
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世間の少年事件への眼差しは、時代と共に大きく変わる。特に現代は、「少年」に責任を問い、「大人扱い」をする向きにある。
最近のどの事件・事故にも言えることだが、今日は事件の責任を「個人」に負わせ、終わらせてしまうことが多い。だが、終わらせてしまう前に、事件を通して社会や環境を見直すべきではないだろうか。これらは重要な視点だと強く思う。