中国共産党に迎合したがる日本の「学者」でもへの当てつけも兼ねた名著
2011/12/13 09:07
18人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
李鴻章。清末の科挙官僚で、清朝最後の外務大臣として琉球処分、台湾出兵、日清戦争、露清密約と続く清末の外交を事実上ほぼ一人で切り盛りした「秀才」である。シナ本国における李鴻章の評価は、例によって激しい。学問の自由、学問の政治からの独立が全くない彼の地では、時の共産党首脳部の評価がそのまま李鴻章の「歴史的」評価とされる。李鴻章はつい最近まで「売国奴」であり、唾棄すべき小人物として唾をかけられる存在だった。最近でこそ「英雄」として名誉回復したようだが、なーに、そんなもの一朝にして変わる。それがチャイナである。こうしたチャイナを横目で見つつ、常にシナに迎合したくてうずうずしている「ヒラメ学者」が戦後の日本には多いものだから、驚くなかれ、李鴻章についての伝記が戦後の日本では一切書かれていないのである。著者が李鴻章についての伝記を執筆した最大の動機がここにある。シナへの迎合を旨とするシナ史学会の主流派への当てつけ、挑戦の気概が感じられ、清々しい。
李鴻章を清の大官の座に押し上げたのは淮軍という彼の私兵の存在だった。同じく私兵集団たる湘軍を率いて太平天国軍を鎮圧するのに成功したのが、李鴻章の師匠曽国藩で、彼と同じビジネスモデルで故郷のゴロツキどもを中心に編成したのが淮軍なのだが、事実上、この私兵ゴロツキ集団が清朝における最大最強の軍団となってしまったところに、ある意味で清の限界があった。昔も今もチャイナでは、こうしたゴロツキ集団を大きくした私兵集団が軍事力の中核を成していたのだが、こうしたシステムは19世紀には、明らかに時代遅れになっていた。ナポレオン戦争以降、ヨーロッパに誕生した国民国家は「国民軍」という新たな組織を生み出し、「ナショナリズム」という新たな統合原理をバックに「逃げない軍隊」という、それ以前の常識では考えられない強力な軍事システムを生みだした。それ以前の軍隊はプロの殺し屋による賞金稼ぎの寄せ集めみたいなもので、各自カネ儲けが目当てで身体が資本だったから、戦況がやばくなると蜘蛛の子を散らすように戦線は崩壊するのが常だった。ところが「国家の存亡を担う国民軍」は違った。お互いが同じ釜の飯を食った仲間であり、戦う目的は国家の生存であり国家の栄光であったから、命を賭してでも彼らは戦うことが出来たのである。実はシナやトルコ、インドが欧米の侵略者の前に次々と敗北を重ね植民地へと転落していった最大の理由がここにあった。彼らは欧米の火力に負けたのではない。組織力に負けたのである。そして大清帝国を含むアジア中近東アフリカの諸国の大半は、その滅亡まで、ついにこうした新しい組織を生みだすことが出来ずに終わったのである。
例外が日本だった。日本は黒船の来襲を知るや朝野をひっくり返す大騒ぎとなって300年続いた徳川幕藩体制を一新し明治維新を断行。大日本帝国を組織してアジアを覆い尽くさんとする帝国主義の大海に漕ぎだすことに成功する。それまで「世界の中心」を自負した清が逆立ちしても為し得なかった「それまでの国家体制を国民国家として再編成する」という大業を、いともたやすくやってのけた日本を目の当たりにして、心底日本を羨み妬み、そして恐れたのが李鴻章その人だった。彼は日本を指して「中国永遠の大患」と呼び、おそれている。日本との軍事的緊張が高まると李鴻章はドイツから巨大な軍艦、定遠と鎮遠を購入し、日本近海を遊弋させた。目的は日本を脅迫しおびえさせ、戦わずして跪かせることにあった。シナの常套手段はいつもこの脅迫にある。なまじ自国の軍隊の練度も士気も弱く、いざ戦争となると使い物にならないことを知りぬいているからこそ、平時に自らを必要以上に巨大に見せ、虚勢を張ろうとする。この虚勢に驚いて相手が引き下がれば良し。シナ人はこれを以て孫子以来の伝統「戦わずして勝つ」作戦なんだという。しかし日本人にはこれが通用しなかった。日本の伊藤博文も陸奥宗光も実は脆弱な清の足元を見透かし、逆に戦争をしかけ、これを撃破する。この日本の壮挙により「眠れる獅子」と世界を欺いた清の化けの皮が剥がれ、以後、シナは欧米列強による瓜分の辱めを受けることになるのだ。それにしても定遠は艦の大きさに比べ大きすぎる大砲を積み、砲を旋回させただけで艦が傾き照準が狂って照準をやり直し、いざ大砲を撃つと、また艦が傾いて照準が狂うという状態だったとはしらなんだ。英語ではこういう使い物にならない高級品をホワイトエレファントという。
清の悲しいところは、アジアのみならず世界の中心は彼らであり、ゲームのルールは彼らが作った旧来のモノが全てだと言い募ったが、世界の大勢は欧州帝国主義の世の中であり、ゲームのルールは清ではなく欧州が決める状況となっており、いち早く、この空気を読んだ我が日本も欧米のルールに従って試合を挑んだので、清の虚勢は脆くも崩壊せざるをえなかったというところである。清のルールの中核を為すのは「属国自主」である。これはどういうことかというと、ベトナムも韓国も、清の周辺国は全部清の属国である。ただし、これは清を宗主国とあがめ属国としての礼を取るということのみを指し、いざ、属国が何か欧米諸国や日本との間で不始末を犯しても、宗主国たる清は何の責任もとり必要が無いという、いわば清にとって都合のよいダブルスタンダードな屁理屈なのである。シナの経済力・軍事力が圧倒的な場合は、このシナに取って「良いとこ取り」の屁理屈を周辺に押し付けることが出来た(丁度、いまのアメリカのように)。しかし、もはやそういう条件が消滅したにも関わらず、この屁理屈に固執したところに清の愚かさがあった。欧米の理屈では属国の不始末の処理をするのは、宗主国の責務である。支配する以上、責任も発生すると言うのが国際法のルールである。これを清は受けつけようとしなかった。いざとなったら「俺がルールブックだ」を軍事力で日本や欧米に押し付けるほどの力を19世紀末の清はもっていなかった。だから「それなら戦争だ」となったとき、清はズタボロに負けたのである。この清のみじめな状況を福澤諭吉は「世界国盡」で朗々と歌い上げている。「そもそもシナの物語、往古陶虞の時代より年を経ること四千歳、仁義五常を重んじて人情厚き風なりと、その名も高く聞こえしが、文明開化後ずさり、風俗次第に衰えて、徳を修めず知を磨かず、我より他に人なしと世間知らずの高枕、暴君汚吏の意にまかせ、下を抑えし悪政の天罰のがるるところなく、頃は天保12年、英吉利国と不和を起こし、唯一戦に打ち負けて、和睦願いし償いは洋銀21百万、五処の港を打ち開きなおも懲りざる無知の民、理も無きことに兵端をみだりに開く弱兵は負けて戦いまた負けて、今の姿に成り行きし、その有様ぞ憐れなり」。
李鴻章は、最後は自暴自棄になったのか、ニコライ二世の葬儀でペテルブルグに赴いた際、莫大なわいろをロシアから受け取り、東清鉄道以下の利権をロシアに売り渡したようである。時代と環境に恵まれない秀才の末路は、何時もこんなものかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
清代、清末の中国を知らねば、現代の中国を理解することは不可能である。そして、その時代の巨人、李鴻章その人を知ることは、東アジアの近代を理解するに不可欠である。本書は新書というコンパクトな書物ながら、この李鴻章という知られざる巨人の生涯を辿りながら、中国が近代化の道を歩み始めた19世紀後半の東アジア世界を描き出す。
李鴻章はエリート官僚である。清朝の最盛期であれば、出世はしたであろうが、平凡な人生を歩んだかもしれない。しかし、時代はそれを許さなかった。外国勢力と渡り合いながら、洋務運動を推し進め、淮軍を率いて太平天国の乱を平定した。近代国家を官民一体となって進める日本をいち早く警戒しつつも、日清戦争で敗れた。著者は、「1880年代に李鴻章の舵取りを支えてきた、対内的・対外的な政治・軍事・外交すべての条件が、この一戦で失われたのである」(179ページ)と述べる。
日清戦争における李鴻章の敗北(そして、その後の露清提携)は、その後の東アジア史を大きく規定していった。
投稿元:
レビューを見る
「落日の孤臣」であり、中央政界エリートを目指しながら地方実務官僚としての位人臣を極め、近代に翻弄されて挫折した清という国の象徴のような人物の評伝。彼の人生そのものが清末を表しているかのよう。
投稿元:
レビューを見る
清末=西太后の時代、という印象が強かったりもするけど、一方で李鴻章の時代だったりもする。その面がいまひとつ脚光を浴びることがなかったんだよね。
投稿元:
レビューを見る
これほどまで清朝、明治期の日本に関わった人であるのに、知名度はいまひとつ。権力に限りなく近いにもかかわらず、事務屋であり続けたのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
近代世界に入る清朝の困難な舵取りをした政治家・李鴻章(1823-1901).旧式の科挙官僚だった彼は,太平天国の平定に貢献することで実務官僚の第一人者に登りつめ,「洋務」と「海防」を主導する.そして外国列強と渡り合うも,敗北を強いられる.清朝末期の時代と社会とともにその生涯を描き出す評伝.
投稿元:
レビューを見る
李鴻章の生きた19世紀後半の清朝は,激動の時代。科挙をはじめ,自分が頭角を現す舞台だった古いシステムを打破する必要性を痛感するも,ついにその実現を見ることなく生涯を終えた。それでも彼の働きは決して欠かすことができないものだった。この巨人の人生と,瓦解へ向かう清朝の運命が印象的に描かれる。やはり中国史における王朝末期の物語はドラマチック。
科挙に受かった典型的エリート官僚だった李鴻章。内憂外患のまっただ中,淮軍を組織して太平天国を平定し,北洋大臣として厳しい外交にあたり「洋務」「海防」に邁進。実務官僚として位人臣を極める。
淮軍は,曾国藩の湘軍にならって作ったもので,地方の有力な武装集団を組織したもの。曾国藩は,李鴻章の父の科挙及第同期。そのコネで,殿試を控えた李鴻章が曾国藩に師事したのが縁。太平天国を平らげた後,湘軍は解散へ向かうが,上海の潤沢な財力に裏打ちされた淮軍は残る。
財源は釐金と言って,要するに貿易に対する関税のピンハネ。上海を抑えた李鴻章はこの点有利だった。生産力の乏しい長江中流域を拠点とする湘軍は,十年にわたる太平天国との戦いで疲弊,給料の遅配も続き維持できなくなる。後の捻軍鎮圧には,当初曾国藩が淮軍を率いたが,李鴻章の私兵である淮軍を思うように動かすことはできず,途中で交替。その軍事力に裏打ちされた交渉力が必要とされ,李鴻章は直隷総督兼北洋大臣に任命される。これ以降三十年以上にわたって,対外関係をほとんど一手に引き受けることに。その交渉は苦しいものが多かった。
李鴻章は,特に対日関係を憂慮しており,琉球処分を見てからはかなりの危機感を持っていた。海軍力を重視する海防論を主張し,左宗棠の塞防論と論争,淮軍を基盤に北洋艦隊を建設する。朝鮮をめぐって日本と対立,壬午,甲申を経て,日清戦争を戦うことに。主戦論を抑えきれなかった。
下関条約の際,ピストルで狙撃を受けるが協議を継続。日本の言いなりだったわけではなく,三国干渉の確約を得てから調印するなど粘り強い。虎の子の北洋艦隊を失ったものの,その後も経験人脈を生かして外交に辣腕をふるった。すごい人物。著者も言ってたが,もうちょっともてはやされてもいいかも。74歳の欧米歴訪に,自分の棺桶をもって赴いたエピソードなんて魅力的。
著者は,中国の歴史では古代とか20世紀に目がいきがちなのを残念がっている。諸葛亮なんかもういいよ,みたいなw。現在の我々との関わりにつながる意味では,李鴻章はもっと存在感があってもいい。
「弁」の字がちゃんと正字で書かれていたのが印象的だった。「辨別」p.33,「買辦」p.62,「辯論」p.133。 さすが中国史の先生。「辮髪」は出てきそうで出てこなかった。
投稿元:
レビューを見る
●内容
・京都府立大准教授の歴史家による評伝
・李鴻章は清代末期の中国の政治家で、外交と海防の実力者。
著者はかれを“落日の孤臣”とし、中央の西太后による院政「垂簾聴政」と、地方軍閥への権限委譲「督撫 重権」を噛み合わせ、安定に導いたと評価。一方で、彼が権勢を失うにしたがって、中央と地方との対立が激化したとする。
●感想
・ドラマにもなった、浅田次郎『蒼穹の昴』にも登場する”かっこいい爺さん”
英雄史観で李鴻章の個人スキルに注目するより、社会情勢と絡めて「そうせざるを得なかった」と冷静な評価を行なっており、さすが学者の著作!な雰囲気。
・師匠の曽国藩が「大功を立てすぎては返って身の危険を招く」として引退せざるを得なかったのに対して、李鴻章は70を超えても使い回される「大物」となっていた。もはや国内で争う余裕もなくなっていた背景が窺える。
部下の袁世凱は清朝崩壊後に「中華民国大総統」となるが、この処し方は曽国藩―李鴻章ラインの功臣マインドとはかなり異なる。それもまた情勢のためなのかもしれないが、是非著者による袁世凱の評伝を読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
高校までの歴史授業で必ず暗記する名前ですが、実態はいまいち知られていない李鴻章。そんな彼の伝記です。
「日本史」の中で下関条約の全権大使として名前が登場する彼ですが、「世界史」における清末の重大事件にことごとく関わっている彼の業績をたどると衰退したとはいえ広大な領土を統治していた清のパワーの内実が見えてきます。
特に李鴻章が力を発揮できるに至った清の政治構造や当時の対外情勢について丁寧に記述されているので、あまり清の歴史に詳しくない私でもスラスラと読めました。
投稿元:
レビューを見る
岡本隆司『李鴻章』(岩波新書 1340)
李鴻章の伝記的な本。
知っているようで知らない(二人目 笑)李鴻章の本です。
日本の近現代史を勉強していると、否が応でも目に入ってくる人ですが、どういう人物なのかはまったくといっていいほど知りませんでした。
日中近代史を少し囓った事もあり、新書なのでちょうどいいと思って手に取りましたがなかなかいい本でした。
なるほど、李鴻章は古い時代の比較的新しい人間といったところでしょうか、袁世凱なんかは古い時代の新しい人間ですが。
陸奥に「大した事はない」と言われ、小村に「でくの坊」と言われた残念なイメージしかありませんでしたが(…)随分と印象が変わりました。
日本と違って外交との境界が陸地にあり、なおかつ領土が広く人口も多い(勿論民族も日本とは比較にならないくらい多種多様)の清国ではできる事も限られてくる…その中で李鴻章は限られた選択肢の中から随分最善を尽くしているように感じます。
それでもやはり、日清戦争は失敗だったんでしょうね…結局これが清国の崩壊に一気に拍車をかけたような気もしないでもないですから…^^;
幕末幕府内でもそうですが、旧体制の中にも逸材はかなりいるものなんですよね、東洋のビスマルクとはよく言ったものです。
しかし伊藤も東洋のビスマルクと呼ばれていたとは…そして勝に「李鴻章の方がもててるじゃん」とか言われてしまう伊藤…(笑)
投稿元:
レビューを見る
もっと、李鴻章の人となりが知りたかった。歴史の解説が多すぎた。
蒼穹の昴で、李鴻章めっちゃすごい!って思ったけど、地方官にしかなれなかったことはずっとコンプレックスだったんだなー。てかあんな実権握っときながら、ただの一地方官にしかすぎなかったのね。
うーん、もう一回読もうか…
投稿元:
レビューを見る
動乱の清朝末の大政治家で、日清戦争後の講和条約の全権大使をはじめ、この時期のほぼ全ての対外交渉に関わり欧米列強からは「世界稀有の一大人物」とも称されたという李鴻章について。時代背景を丹念に書き込みながらも論点がすっきり整理されており、著者の語りの巧さとともに読ませる本だけれど、どちらかというと人物そのものよりも国内外情勢を中心に描いている。列強の進出により清国が直面した近代的な国際関係と、従来の朝貢関係との折り合いの付け方を、攘夷•排外が優勢だった国内的な要請、中間集団の勢力拡大への対応などとといったこととともに詳しく説明している。
投稿元:
レビューを見る
岡本隆司『李鴻章 --東アジアの近代』岩波新書、読了。世界史で名前は知っている人物だが、知っているのは名前だけ。清朝史を踏まえた上で、「歴史用語」に収まりきらない巨人の足跡を描き出す。緻密な研究に裏打ちされた入門的評伝ながら、はっきり言って『三国志』より面白かった。
「よくよく考えてみれば、日本人の中国認識はかなり偏っている。史上の人物に限っていうなら、諸葛孔明は知っていても、李鴻章を知らない現代日本人は少なくあるまい。そうした偏りは専門家ですら例外ではない」(岡本隆司『李鴻章 --東アジアの近代』岩波新書、プロローグ、iv-v)
明清交代から興隆と衰亡を、「中国化」とその限界、国内・国際経済との関係からそのダイナミックな動態をたった30頁近くでスケッチする胆力には驚かざるを得ない。遠い過去を知ることも大事だが、「昨日」を知ることで「今日」がよりよく理解できることも確か。今を知る上で必読の一書か。
いやー、しかし、ホント、これはいいわ。よくもわるくも「中華」の総決算は「清朝」にあり。前漢が云々がバカらしいというのではなく、ここをおさえるのは大事だ。
投稿元:
レビューを見る
李鴻章を通じて清末を記した一冊。
清朝から見た対外、対内政策が分かりやすくまとめられており、
当時李鴻章が果たした役割の大きさに驚かされる。
特に明治維新時の対日観、日清修好条規に込められた狙いなど
大変興味深く、視点の高さを感じた。
投稿元:
レビューを見る
督撫重権は著者の造語のよう。近代にはいり巨大化、複雑化した中国を独裁的な集権で統治することはもはや不可能となり、軍権をももつ実質的な統治は各地方単位となり、それをシンボリックに結わえる北京という清の統治の状態をさす。
垂簾聴政と督撫重権、すなわち中央と地方のバランスのなかに李鴻章の立ち位置があった。
清末を概観する良書なれど、誤字脱字が目障り。岩波といえども校正に人員をむけられないのかしら。