投稿元:
レビューを見る
本を読めば、国語が得意になるとは思わないが、知識は豊富になる。
戦後のイタリア、貧しいナポリから、比較的豊かな北の都市へ連れられていった子どもたち。そこでたとえ豊かな生活が送れたとしても、実の親と引き離された事実は、子どもたちの人生に瑕疵を残す。
戦争は、今だけでなく、未来にも暗い影を残すことを私たちは忘れてはならない。
投稿元:
レビューを見る
少し不穏な空気を感じながら読み進めたが、主人公の少年が北部の家族から愛されて大切にしてもらっていたことに安心しました。実の母と自分の町から離れる道を選ぶことになった心の苦しみはいかほどなのか。子どもにそんな過酷なことを強いる社会や時代に心が痛みます。
友人の少年のようにどちらも得ることができた人生もあったのではないか、と思わざるを得ません。
最後に、母の死と甥を通してわだかまりを解消し希望を持つことができたことに救われました。
以前読んだ『帰れない山』の翻訳者と同じ方だと知り、もっと関口さんの訳書を読みたくなりました。
投稿元:
レビューを見る
戦後のイタリア、貧しい南の子供たちを少しは余裕のある北の人々が家族として迎え入れ支援した事実に基づくフィクション。手放す親の悲しみや世話をした人々の深い愛、そしてその間で揺れ動く子供の感情。少年視点で語られる風景や思いが溢れ出て、静かに激しく心震わせる。
とてもすばらしい物語です。
投稿元:
レビューを見る
物語を読む楽しさがある。洒落たウィットに富む表現に思わず道草をつまみ食いする様な心地よさを感じる。
イタリアの南北問題、南の子供達を親子関係を一時的にも断ち切る様な人道的支援、初めて知った。
著者の祖国の人民に寄り添う意思が根底に感じられ、たまたま読んで思いがけず拾い物に得した気分となった。
投稿元:
レビューを見る
イタリアで高校教師をしながら、執筆をしている筆者。ベストセラーも出す人気作家というのはよく理解できる。
読み易い、しかも登場人物の裏面も含めた細かな描写が会話や心情をつづりつつ、美味く読み手に伝わってくる。
第一部~第3部は1946年、第四部は一人称の語り手僕が過去を回顧する形で48年後に時計が進んでいる。
誰しもが感じる【時の流れの中で 自分の想いと子なる方向へ進んで行った 意に染ま無い選択或いは思いをかんてつさせた為に諸々の軋轢を生んだ】臍を噛む様な感情。
それを淡々と描くことで読み手に 何かしらの共鳴音を醸し出している~事の良し悪しは別として。
イタリアのTV語学番組を齧る程度に聴き続けて2年余 思いがけずその内容(地名、食べ物の名前、それぞれの地に住む人々の独特な想い)が随処で重なって面白く読めた。
日本と異なり もともとは其々の州が独立していたイタリア、ナチスと結託した時代にも、その後でも住民は翻弄された。使う言語は無論、食べ物の異なりが愕くほどあるし、自ずとまつわるエピソードが住民の人生に落とした光と影に連なっているようだ。
運行されて行った【子供列車】は貧しい南部の子供たちを乗せ、北部の裕福な家に貰われて行く仕組みだった。ただでさえ多感な少年少女の成長期に、2組の親が関わるとなれば、双方に様々な光と影が生じないわけがない。好対照な形でアメリゴとトンマジーノを取り上げている。
アメリゴの実の父親、異母弟、母のその後、そして甥決して消える事のない血縁と折り合いをつける下りの第四章は 筆者なりのもっとも穏やかな趣向で治まるとこにストン。
いい読後感だった。
リコッタチーズをはじめ実に多様なチーズとその料理法、パイに似たパン スフォリアテッラ、そして僕がことのほか気に入った小さなアカイアヌルカ産リンゴなどなど、展開に色、味、口触りなどの微妙な趣を豊富に加えてくれている。秀作
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦から間もない頃、イタリアでは共産系の人々・組織の手によって、貧しい南部の子どもたちを比較的裕福な北部の家庭が受け入れるということがあった。その子どもたちが北へ移動する際に乗った列車が「幸せの列車」などと呼ばれた。
そんな話は聞いたことがあるような気もするし、初耳でもさもありなんという取り組みだ。それにしてもこういう南北の格差ってわりと古今東西あるもので、なぜか南のほうが貧しいパターンが多いのはなぜだろう。
この本の主人公アメリーゴも「幸せの列車」に乗って北部の家庭でしばらく暮らす。そして片親の母親のもとに戻ってくるのだが、母親とのすれ違いがあったりして、家出同然に世話になった北部の家庭に再び世話になり、そのまま大人になる。時がたって母親が亡くなったことで故郷の街を初老になったアメリーゴが訪れるという物語。
生き抜くために子が親を捨てるという、自己決定をするのはいい。アメリーゴもそのおかげでけっこう著名なヴァイオリニストになった。一方で、母親に対してかたくな過ぎただろうとも思う。かたくなに母親を、故郷を拒否しなければ生きていくことができなかったのかもしれない。そもそも母親とのすれ違いというのも、アメリーゴが北部の家庭で贈ってもらったヴァイオリンを隠してしまったり、北部で世話になった人たちから来ていた手紙を隠していたことによるもので、それはひどいよと思うけど、そこに端を発して母親を拒否したが、最後には初老のアメリーゴにとっての悔いのようになってしまったことが気の毒だ。
子どものほうがかつての親への思いを悔いるって物語の定石のようなところがあるけど、それって親の深謀を賛美する社会的呪縛のような気もする。
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦後のイタリア。南部の貧しい子どもたちを北部の豊かな家庭に預けるプロジェクト「幸せの列車」。時代の厳しさや暗さを打ち消すくらい主人公の少年が可愛らしく魅力的でぐんぐん惹き込まれた。多くの子どもたちと同様に列車に乗り込み、北部で新しい家族と夢のような時間を過ごした後、一度は南部に戻り母との生活を再開させるが、家を飛び出し北部の家族の元に戻ってしまう少年。40年後、母の訃報を知り実家を訪ねるところからは、懺悔と償いだろうか。翻弄された人生があまりに酷で切ない。救いは、母親が彼が去った後、一人ではなかったということか。
投稿元:
レビューを見る
子どもを他の場所に連れて行くというプロジェクトは多いけれど、ポジティブな結果も生んだというのは珍しいな
投稿元:
レビューを見る
普段は高校の国語教師をしている、イタリアの女性作家による小説。本作はイタリア版本屋大賞に選ばれるなど、33言語に翻訳されて刊行されています。そのためか、文章は平易で読みやすかったですが、ところどころ心に刺さる場面もありました。
あらすじ
第二次世界大戦後のイタリアで、南部の貧困家庭の子供たちを、比較的暮らしの安定していた北部の家庭に送り届ける”幸せの列車”が運行されていました。そんな時、ナポリに母と二人で暮らしていたアメリーゴも、7歳のときにこの列車に乗せられて、モデナの裕福な家庭に預けられることになります……。
“幸せの列車”に乗る前と後の世界の対比が、ある意味残酷ですね。食べるのに何も困らない豊かな家庭で暮らした後、母親の住む元の貧困な家庭に帰ったアメリーゴの心の変化や葛藤が痛いほどよくわかります。母親としても、子供の幸せを願ったがゆえの里親に出したのに、貧困はいろんな歪みを生じさせてしまうものだなと思いました。
終盤では、心を閉ざしたまま大人になったアメリーゴの母親を回想する呼び方や、嘘をつくのがやたらと上手になっていたのが、”あの時”に戻すことのできない時の流れの長さと、心の傷の深さがよくわかり、とても印象的でした。ラストは未来に前向きに向かって行くいい終わり方なのが救いですね。
追記:
小説はフィクションですが、“幸せの列車”自体は、実際に1946年から1952年まで、イタリアで運行されていました。本作は、Netflix で映像化もされています。
正誤(初版)
P183の6行目
その見知らぬ猫は毛を逆立て、嵐を吹くと行ってしまいました。
↓
はて? “嵐を吹く”というのは、猫が「フーッ」と興奮しながら威嚇している状態でしょうか?意味は通じるのですが、訳者は埼玉県出身なので、おそらく埼玉県や北関東辺りの方言かもしれませんね。