社会人生活を安全にすごすためのワクチン
2022/05/12 15:00
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はまのなまけ - この投稿者のレビュー一覧を見る
反ワクチン運動やアメリカ議会に乱入する事件を起こしたQアノン。陰謀論はすでに、ネタとして生あたたかく見守る対象を超えて、生命にかかわる存在となっている。
この本は、陰謀論者たちの用いている考え方や用語が、キリスト教が力を失った時代のヨーロッパや、60,70年代のカウンターカルチャーのなかから生まれている、すこしも新しくないものであることを丁寧に解きほぐしている。
陰謀論、マルチ商法、カルト宗教など、社会でいつ遭遇するかわからない危ない人たちに対して、この本を読んでいれば、この人の言っていること元ネタがある、このたとえ話、用語をつかっているなら要注意と、気づくこともできるだろう。
社会生活を安全にすごすために、あらかじめ必要な知識を備えておく、ワクチンのような存在だ。
18歳から成人扱いになったいま、親世代も読んでおくにこしたことはない。
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自己啓発、スピリチュアルなどに関する人や出来事について時代を追って羅列してある本です。
不思議な話がずっと続くので、途中ちょっと酔いました。
でもわかりやすかったです!
わたし自身、ヨガやアロマは好きですし、自己啓発やスピリチュアル本を読んで心の助けになることもありました。
でも、「このやり方、考え方が絶対正しい!」と思って、やってない人を見下したり、勧めたりするのはやっぱり迷惑だと思います。
自分の中だけでやるとか、聞かれたら体験談として答える程度でいいんじゃないかなと思っています。
逆に、これやれば人生変わるよ、とか、今の現状に満足してる?とか、そういう言葉で勧誘してくる人は警戒したほうがいいんじゃないかなーと思ってる(なんなら一度マルチ商法の方にこういう言われ方で誘われたことがある)ので、この本を読んで納得したところが多かったです。
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陰謀論やカルト、洗脳、マルチ商法に至る思想や世相、集団などを体系的にまとめている本。
反ウイルスやコロナは風邪、つまり目覚めた人の考えやバックボーンを知りたくて読んだが、今ここにある陰謀論に直接的に言及する内容ではなく、陰謀論が生まれる背景を読みやすく説明してくれる。
陰謀論者対策や身内へのアラートなど、具体的な対策が書かれているわけではないが、知識として重用できる内容だった。
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世の中のインチキに対して免疫を得るために、週刊誌的に読む。
自己啓発の大家にも、その流れはあり、とは確かにそう。
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陰謀論、スピリチュアル、宗教に関するキーワードが満載、さながら総集編の様相を呈しています。くれぐれも闇落ちしないように、との警鐘でもあります。
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人が何を信じるかは自由だが、自分の信じるものを他人に押し付けるのは違和感を感じる。
ネットで起きている様々な論者達の思想を紐解く教科書になる内容です。
とても参考になりました。
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気になっていた本、やっと読んだ。
陰謀論界隈でTwitterでも目にするキーワードと、その源流を知ることができ大変ためになった。中学時代にテレビで観ていたオウム関連や、Toshi洗脳騒ぎ、その後のスピルチュアルブームに懐かしさを感じつつ、こういう言葉出るところは警戒しないといけないという気持ちを、あらためて持つことができた。
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陰謀論とそれに関連する流れや繋がりを、広く浅く網羅した本。やや内容を詰め込みすぎな感じはしますが、知っていれば自衛にもなるし、荒唐無稽な話ばかりだと思っていた説にも、前段で色々な歴史があることが知れて面白かったです。
また、今まで読んできた本(特にホラーなど)にも、スピリチュアルやオカルト、陰謀論が背景にあるものが多くあると知れて、そういう意味でも興味深く読めました。
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主にニューエイジを中心とした,現代に蔓延る陰謀論の構造を独自に読み解く。陰謀論といってもその種類は膨大で,本書はその一部に過ぎないが,現代への影響力が大きいものに絞っている。
普段手につけるタイプの新書ではないが,以下の点が優れていると感じた。
・20世紀後期から現代に至るまでの流れを独自に整理している,単純にこの手の成果は貴重
・補助線の引き方が良く,一見理解し難い概念を理解する手助けとなっている
・ところどころ陰謀論に対する警告を発しており,知的好奇心だけで進まないようにしている
・(個人差あり)感情のバランス感覚がちょうど良く,陰謀論者の過度な全否定ではない,あくまで敵は犯罪であるスタンス
・参考文献が充実している,アクセスしやすい資料も多い
題名や表紙が内容にあっていない点が主なマイナス点だが,これは出版社の問題なので致し方ない。
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新興宗教の問題が注目されていますが、そういえばおかしな話はテレビやネットに限らずあちこちで聞こえてきます。自分は大丈夫と思ってきたけど、都市伝説やスピリチュアル番組など結構受け入れてきたかも。意図を感じながら、接していきたい。
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「スピリチュアル好き」の方も、
「スピリチュアルちょっと苦手」な方にも読んで欲しい一冊。
ところで、みなさん、「スピリチュアル」や「引き寄せの法則」や「風の時代」や「思考は現実化する」や「癒し」や「ヨガ」や「自己啓発」や「成功哲学」や、、、のルーツってご存知でしょうか?
「好きでやってるけれど、実は知らない」方が結構多いのではないでしょうか。
私の場合、10年以上、精神世界を探求し続けてきて、
「こことここ、繋がっている!こことここも繋がっている!
別々の立場の人が、結局同じことを言ってる!
どうもみんな、地下水脈で繋がってるんじゃないか?」
と気がつき始めて、色々調べ始めると、
ほぼ全ての分野が、「カウンターカルチャー」「ニューエイジ」「ニューソート」「神智学」という分野に端を発していることを知りました。
普段ほとんど説明されることのないこれらの思想が、実はかなり身近なものの生みの親になっており、現在も影響を与え続けていることに気がつくはずです。
で、注意すべき点は
全てがインチキと言いたいわけではないですが、
中にはやっぱり人を食い物にするものや、依存させてしまうものも少なからずあります。
宗教の形態を取らないものの、「ミニカルト」みたいなのがたくさんある。
実は、自己啓発とマルチ商法は一緒に日本に輸入されてきています。
自然派とスピリチュアルとマルチ商法はその出自からして近く、さらにスピリチュアルと陰謀論は相性がいいために容易に合体してしまいます。
また発想から言っても、反近代合理主義とスピリチュアルは自然派と相性が良く、自然派は健康食品や擬似科学と相性が良く、健康食品や擬似化学はマルチ商法と相性が良く、
そして陰謀論は大企業を嫌う傾向にある自然派、さらにはエビデンスを重視しない姿勢や、現実的には考えられない理屈で離れたもの同士をつなげてしまう思考回路が共通するためにスピリチュアルとも相性がいいのです。
もちろん、それらを全否定するわけではないのですが、
スピリチュアルや自己啓発で言われている
「一見良さそうに見える考え方」も少し考えると危険な考え方になっていることがあるので、少し立ち止まってみた方がいいと思うのです。
例えば、
「子供は親を選んで生まれてくる」も虐待があるケースだったら、「子どもの自業自得」となるわけですし、
引き寄せも同様に、「うまくいかないのは環境ではなくあなたが100%悪いから」と、悪徳商法を正当化する理屈にも使われてしまいます。
◆
無害でポジティブなものと、危険なものとの見分けかたは決して容易ではなく、無数のグレーゾーンのグラデーションが広がっている状態かもしれません。
今の時代、おそらくスピリチュアルや精神世界の一切を排除して生きていくことはほとんど不可能だと思います。
「ウィズコロナ」ではないですが、
無知な状態で、「一見良さそう」と思えるものからどんどんハマっていって、いつの間にか、「闇の勢力と戦う目覚めた人」として、家族や周りの人を不幸にしないように、
多少、その思想の背景を調べておいて、
「この先はちょっと危ないかも」という感度を免疫のように持っていてもいいのではないでしょうか。
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思ってたよりも、つまんなかったかな?(^^ゞ
とにかく、書いてあることの情報量が多すぎちゃって。
衒学的とも言えるその内容に、「へぇー」っと感心するばかりで、結局何も残らない…、みたいな?w
著者はあとがきで、こう書いている。
“「一見『いいこと』を言っているように思える」ものを見ても、「これは悪徳商法や疑似科学なのではないか」一歩立ち止まるアンテナを立てていただけると著者として幸甚の極みです”と。
これなんか見ても、著者はたぶん善意でこの本を書いたんだと思う。
ただ、まぁー、そうは言っても、そういうものや人に巡り合っちゃった時、一歩立ち止まってアンテナを立てられないのが人間だと思うし。
いったん信じちゃったらそれをどんどん突き詰めちゃったり、もしくは、いったん疑心暗鬼を抱いてしまったら疑念をどんどん膨らましていっちゃうことからは逃れられないものだと思う。
だってさ。
相手は騙そうとして、あるいは、自分の考えに取り込もうとして、それを言ったり、したりしているんだもん。
でも、人は普通、騙されることを前提に人の話を聞いたり、情報を得ようとしない。
それは、熊本の地震の時に「ライオンが逃げた」みたいなツイッター(だったけ?)の嘘を信じちゃった人がいたのを見ても明らかだし。
新型コロナが流行りだした頃、「トイレットペーパーがなくなる」みたいなSNSに、たちまち多くの人が反応したのを見ても、そんなもんだと思う。
自分はケチなので(爆)
他人やマスコミが、「自分にいいように思えること(得になること)」を言っていたら、その人やマスコミはそれを言うことで金儲けしてるだろうなって思う方だし。
根性もねじ曲がっているのでw、自分が考えていることと同じことを他人が言っていたら、自分の考えは間違いだと考える。あるいは、みんなが同じ意見を言っていたら、その意見はたぶん間違っている。なぜなら、みんなが同じこと言っているから…、と思う方だ(^^ゞ
そういうケチで根性がねじ曲がった人間ですら、あっさり信じちゃうことは多々あるし。
いったん抱いた疑念をどんどん膨らましていっちゃうこともある。
いや、ま、「ケチで根性がねじ曲がっているからこそ、むしろそうなんじゃない?」と言う人もいるかもしれないが、うん。確かに、その傾向はなきにしもあらずなのか?(爆)
著者は、たぶん真面目な人なんだろう。
真面目に、“一見、いいことを言っているようで、実はたんなる金儲け”とか、“一見、新たな人類の叡智みたいなことを言っているようで、実はたんなるデタラメ”みたいなことが、いかに世に蔓延っていて。
多くの人がそれに騙されているんだけど、実は、その“一見、いいこと”とか、“一見、新たな人類の叡智”みたいなことって、多くは過去のニューエイジやニューソート等々のデタラメとデタラメを組み合わせた論理(?)にルーツがあったりする。
それこそ、船井幸雄と江原啓之が同列に語られていたりで、ちょっとビックリ!(と言うか、目からウロコ?w)だったが(^^;
(ていうか、それ、船井総研から怒��れないの?w)
とはいえ、マーケティングだの広告だのって、考えてみれば、いかに消費者を騙くらかして最大限の金儲けをするか?ってことだもんなぁー(爆)←あくまで個人的な見解ですw
ていうか、その手の会社(広告代理店、コンサルティング、マーケティング等々)って、そこそこ縁があったりしたんだけど、思い返してみれば、そーとー胡散臭い人やヤバい会社が多々あったっけ。←あくまで個人的な見解ですw
…って、著者は真面目な人なんだろうという話から全然外れちゃたけどw
つまり、著者は、著者なりにその手のヤバい話や人が、いかに世に蔓延っていて。
世間にそれなりに受け入れられていることや人でも、裏を返せばルーツは、その手のヤバい話や人に繋がっている。
だからこそ、 “「一見『いいこと』を言っているように思える」ものを見ても、「これは悪徳商法や疑似科学なのではないか」一歩立ち止まるアンテナを立てた方がいい” と警鐘を鳴らしてるんだと思う。
思うんだけど、でも、それらって「陰謀論」という言葉でくくることが適当なの?
…という風に感じてしまうことが、たぶん、この本を「思ってたよりも、つまんなかったかな?」という感想を抱いてしまう原因なんだと思う(^^ゞ
「陰謀」という言葉の意味をネットで見てみると、“ひそかにたくらむ悪事。また、そのたくらみ”とある(goo辞書より)。
そう。「陰謀」って、なんとなくのイメージとしては“悪企み”なんだよね。
でも、この本で紹介されている数々の「陰謀論」は、これは“悪企み”とは言えないんじゃない?ということもある。
一方で、例の「Qアノン」が自らの理想(?)を果たそうとして世に送っているデタラメは、たぶん“悪企み”だ(正しくは、自らの主張を牽強付会して無思慮に大衆を煽っている)。
つまり、江原啓之が人の頭の上辺りをニヤニヤしながら見て「アナタの三代前のお祖父ちゃんが、アナタが毎日頑張っているのを見守ってますよ」と言うデタラメ(?w)と、Qアノンやトランプさんが「大統領選挙が盗まれたから議事堂に突入しろ」と煽るデタラメを、同じ「陰謀論」という言葉でくくっていいの?
ということなのよ。
ただ、ま、それは。
とりあえず「陰謀論」という、ある程度世間に広まっている言葉で話をしないと、読者が何について書いてある本だとわからない、ということなのかなーとは思う。
でも、なら、あとがきでもまえがきでも、そう書いておけばいいんじゃない?と思ってしまうのだ。
そう。つまり、自分みたいな根性がねじ曲がった人間は、この著者って、「世にこれこれこういう陰謀論があって、それは一見いいことのように聞こえるけど。それは、こういう過去のデタラメが元になっているヤバいことなんだよ」と、一見いいことを教えてくれているようで、実は、この本に紹介されていない「陰謀論」を隠そうとしているんじゃないの?と、つい勘繰ってしまうのよ(爆)
そんな風にいったん勘繰ってしまったら、疑心暗鬼をどんどん膨らましてしまうのが人間なわけだ(^_^;
つまり、実はこの本は、爬虫類型宇宙人みたいなアホバカ型のデタラメや、オカルトブームのようなたんな���バカなデタラメw(←個人的には大好きだったりするw)。あるいは、マクロビオティックや菜食主義みたいな健康バカ的デタラメ(←個人の見解ですw)と、Qアノンやトランプさんの言動みたいな社会を壊しかねないデタラメを同列にすることで、どれも根っこはアホバカの類で他愛ない話なんだよと矮小化させてしまう「陰謀」なんじゃない?wというデタラメ(?)が次から次へと湧いてきてしまうのだ。←コイツが一番ヤバい(^^ゞ
いや。この著者は真面目な人だと思う。
それは、著者が「ノストラダムスの大予言」を信じていたと白状しているのをみてもそうだと思う(爆)
もちろん、「ノストラダムスの大予言」の“1999年7の月、人類は滅亡する”は、アホバカ型のデタラメだ。
でも、今、単純にそう言い切れるのは、「いつ、また戦争が始まるかもしれない」という冷戦が終わっているからだと思う。
「ノストラダムスの大予言」があんなに流行ったのは、ソ連の脅威が身近にあって、また世界大戦が起きて核戦争になるという想像が、当時は誰しもの頭の中にあったからだ。
そういう意味では、ロシアがウクライナに戦争を仕掛け、次は中国が台湾を侵略するかもしれないという今、再び、“20XX年に人類滅亡”というデタラメのエンタメが出てくる可能性はある(^^ゞ
そんな風に、この本に書かれている数々の「陰謀論」を知ったところで、その手の話は次から次へと湧いて出てくるわけだし。
そもそも、この本に書いてある「陰謀論」が全てではないはずだ。
個人的には、60〜70年代の左翼によるデタラメと今もある左翼的思考によるデタラメがこの本に一切触れられていないのは、とっても不満だし。
例の「あるある大辞典」や「ためしてガッテン」みたいな番組でよくやっていた、“毎日○○を食べれば/毎日☓☓を3分すれば健康になる”的デタラメ(?w)がないのもスゴく不思議だ。
(著者は、ノストラダムスや爬虫類型宇宙人みたいなデタラメは大好きだけど、その手のデララメはあまり興味がないってことなのかな?)
それら、左翼的思考によるデタラメや毎日○○すれば…的デタラメっていうのは、世間がそれを歓迎して受け入れる、いわばニーズがあるから広まるんだと思うのだ。
つまり、戦後に左翼思想が広まったのは、戦前戦中の「お国のためなら」的全体主義(というより日本の場合は「空気」なんだろうけど)への反動が世間にあったからだろうし。
毎日○○すれば…的デタラメが流行るのは、お悩みが楽に解消出来るからだろう。
そう考えると、デタラメという陰謀論を流す側は、騙そう/煽ろうとする相手のニーズ(不平や不満、願望等)を巧く掴んだうえで嘘を吐くということなんだろう。
そうなってくると、著者が言う“一歩立ち止まるアンテナを立てる”というのは、相当難しい。
だって、そのデタラメという陰謀論は、いわば自分の気持ちや考えを代弁してくれているんだもん。
でも、それは第二次大戦前のドイツがヒトラーに熱狂した、あの状況と同じだ。
つまり、誰かや何かが言っていることが、自分の気持ちを代弁してくれていると感じたり、自分の考えていることと同じことを言っていると思ったら、著者の言う“一歩立ち止まるアン���ナ”を立てなければならないのだけれど。
でも、それは、自分の考えや気持ちこそが間違っているではないか?と、常に自らを疑え!ということなわけだ。
つまりだ。
痩せたいんだけど毎日ランニングするのはキツイなぁーと思っていた時、TVで「毎日バナナを食えば痩せますよ」と言っていたら、人はそれに飛びつく(すがる)のが普通なのだ(^^ゞ
この本で言う「陰謀論」というのは、「毎日バナナを食えば痩せますよ」ということなんだろう。
とはいえ、馬の前にニンジンぶら下げれば馬は走るがごとく、痩せたいけど運動するのはイヤな人は「毎日バナナを食えば痩せますよ」がデタラメだとはわからない。
なぜなら、その人は、痩せたいけど運動するのはイヤだから、楽に痩せられる、そっちを信じたい。
だから、それを信じて、毎日バナナを食う。
そういうことなんだろう(^^;
(もっとも、それをすることで自らの毎日に変化をつける、たんなるレクレーションという側面もあると思うが)
話は変わるようだけど、2000年代の初めくらいだったかな? 確か「名言セラピー」というタイトルのメルマガの登録をしていたことがあった。
要は、いろんな人の「名言」を毎日、登録したメールアドレスに送ってくれるメールマガジンで。
「セラピー」とあるように、仕事の合間なんかにそこにある過去の名言を読むと、ちょっとホッとさせてくれたり、身近にあったことを考え直せたりするので結構重宝して読んでいた記憶がある。
そんな「名言セラピー」というメルマガだったが、ある時、“トイレ掃除をすると幸運が訪れる”みたいなことを言いだして。
さらに、ウソか本当か、“僕も/わたしもトイレ掃除したら、こんな幸運が訪れました”的な読者の話を紹介するようになった。
しかも、それはさらにエスカレートしていって。
やがて、そのメルマガの内容は、“素手でトイレ掃除したほうが、より大きな幸運が訪れる”とか、“掃除するトイレは汚ければ汚いほど効果がある”みたいな話ばかりになっていった。
あぁ〜あ。また、ヤバい宗教が発生しちゃったよ…、と気味が悪くなって(^^;
即座にメルマガの登録を解除したので、その後どうなったのかはわからない。
とはいうものの、人って、いったんそれが良いと信じたら、どんどんおかしな方向に暴走していくってことなんだなぁーって。
あれは、まさにその始まりを見ちゃった、気持ち悪い出来事だった。
オウムの記憶もまだ鮮明だった頃だったから、あの連中もそんな風におかしくなっていったのかな?なんて思った記憶がある。
ヤバい宗教といえば、西日本のある街に出張に行った時。
駅から近くのカフェで時間つぶしをしていたら、隣の席に若い男女+若い女性という客が座った。
その3人、来た時から、な〜んか雰囲気が変で。
何気に見たらw、3人ともテーブルの上に聖書を置いているのが目に入った。
やがて、男が「何ページの何々を読んでみて」と言うと、向かいに座っている女性はボソボソ小さな声で聖書を読み出した。
読み終わると、男はすかさず、「○○子ちゃん。それはどういうことだと思う?」と向かいの女���に読んだそれの解釈を求めた。
それに対し、女性はうつむいて自信なさそうに、なんとかかんとか言っていたのだが。
いきなり、男はそれをキッとした口調で「違う!」と遮って。
すかさず、「○○子ちゃんは、イエスさまのことがわかってないっ!」とかなんとか、のたまわったら。
その隣の女も、それに続くように「○○子ちゃんは、イエスさまのことがわかってない!っ」とのたまわった(爆)
なにも言い返せず、うつむいたままの女性に男は、「じゃぁ次。何ページの何々を読んで」を読んでと(^^;
後は、延々おなじことの繰り返し。
女性にそれを読ませて、解釈させて。「違う!」と遮って。
「○○子ちゃんは、イエスさまのことがわかってないっ!と男が言うと、すかさず隣の女も「○○子ちゃんは、イエスさまのことがわかってないっ!」と言う。
もおー、延々(^^;
そのあまりのコワさに、「オレ、イエスさまにだけは絶対かかわらないよ〜にしよぉ〜っと!」と神さまに誓った(爆)
もちろん、キリスト教徒が全部そんな変な人じゃない。
たいがいは、普通の真っ当な人たちだ。
それは、仏教だって、イスラム教だって、その他どんな宗教だって同じだ。
たいがいは普通の真っ当な人たちなんだけど、でも、変な人やヤバい人も少なからず絶対っ!いる。
つまり、それは我々日本人が暮らす世間と全く同じだ。
ていうか、その我々日本人が暮らす世間にも、真っ当な日本人を装って、イスラム原理主義者が起こすテロの不安につけこみ、イスラム教の教えの曲がった解釈を口実にして犯罪を犯すテロリストと、大半の普通の真っ当なイスラム教徒をを一緒くたにすることで、差別を煽って金儲けしている飯山陽(+その本を出している出版社)のような不届きな輩だっているわけだ。
つまり。
どんな宗教も大概は普通の真っ当な人なのだが、でも、一部おかしな人がいるように。世間もそれは同じだということだ。
(ま、統一教会のように、まっとうじゃない人しかいない宗教も少なからずあるが)
宗教に限らず、常識や社会ルールを自分のいいように曲げて解釈して、それを自分の主張や利益誘導に使ったり。もしくは、それを正しいと思い込むがあまり、それをどんどんエスカレート(暴走)させることは普通にある。
それは、(こういうことを書くと怒り出す人もいるかもしれないが)「二礼二拍一礼」や「神社の参道の真ん中は神様が歩くところだから人は端を歩かなければならない」みたいなこともそれと同じだと思う。
だって、神様が「神社にお参りする時は二礼二拍一礼しろ!」とか、「神社の参道の真ん中は神様が歩くところだから人は端を歩け!」なんて言うわけがないし。
神様がそう言ったのを、人が聞けるわけもないんだもん(^^ゞ
てことは、「二礼二拍一礼」は、たぶん神社の関係者、つまり人間が決めたことだろうし。
「神社の参道の真ん中は神様が歩くところだから人は端を歩くこと」は、少しでも神様のご利益にあやかりたいヤツが、“オレ/わたしはこんなにも神さまのことを敬ってるんだから、神様さまは他の人よりご利益を授けてくれるはずだ”みたいなスケベ根性で始まったに決まっている!←あく���で個人的見解です(^^ゞ
ま、とはいえ。
物見遊山と言うように、「お参り」という娯楽や趣味の決まりごととして、それをしている分には何の問題もないし。
そういうことを規律として自分に課すことで気持ちをシャッキリさせたり、あるいは心の安らぎを得ている分には、そういう決まりはいいことだと思う。
ただ、それを「正しいこと」と思い込む(信じすぎる)のは危険なわけだ。
なぜなら、人というのは、人生において何か困りごとが起きたり、不平や不満、あるいは不安が発生した時、それらの解決するために「自らが正しいと信じすぎナニカ」にすがって、周囲の人に「自らが正しいと信じすぎナニカ」を強要したり、その行為をエスカレート(暴走)させることが往々にしてあるからだ。
そういえば、トランプさんが不倫口止め料で起訴された時、起訴後24時間で寄付が5億3千万円集まったという話があったが。
ま、その話はトランプ氏の側から出てきた話なので、どこまで本当なのかわからないし。集まったにしても、いかに自分が指示されているかを誇示するために、身内や自分が自分で寄付している可能性だってあるわけだが。
ただ、もし本当に一日で5億3千万円が一般支持者からの寄付で集まったのだとしたら、岩盤支持層と言われる人たち、つまり、経済的に裕福とはあまり言えない中西部の中間層がみんなでそれだけの額をトランプさんに寄付したということになる。
でも、寄付されたトランプさんは誰もが知る、超お金持ちだ。
地域経済が落ち込んで、かろうじて中間層を維持している人たち、あるいはすでに低所得層に転落した人たちが超お金持ちに寄付をするという、この矛盾。
さらには、(おそらくは)超がつくくらいの白人優位人種差別主義者であるトランプさんにアフリカン・アメリカンが寄付をするこのワケのわからなさ。
それは、つまるところ、人は他者や他者の考えを信じれば信じるほど愚かになっていき、その愚かさゆえに愚かな行動や選択をしてしまう。
そういうことなんだろう。
著者は、この本でそれを「陰謀論」という言葉を使って説明している、ということなんだと思うんだけど。
ただ、ちょっと衒学的な方向に流れ過ぎちゃったかなぁ…┐(´д`)┌
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陰謀論御三家の一人「雨宮純」の陰謀論入門書。陰謀論に堕ちないように周りの人々に読ませておこう。勧めたり/読んだりして、相手が怒り出したら距離を取るしかない。
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コロナ禍になって、ワクチンを打つと5Gに繋がってコントロールされるという陰謀論者たちの存在が急にSNSなどで目に入るようになってきたように思う。彼らはいったいどのようにしてそんな思想を持つようになったのか、その思想はどこから来るのか気になって本書を読んだ。陰謀論そのものの話は全381ページ中322ページからだが、そこに至るまでの膨大な裏・思想の歴史が、300ページ近くを使って述べられている。「陰謀論には陰謀論の歴史と蓄積がある」のだ。
大量生産・大量消費社会に対抗するものとして生まれたカウンターカルチャー、そこに含まれていたスピリチュアルな部分が発展したニューエイジ、そしてニューエイジ的な思想を大いに含みながらも様々な思想を取り込んで成長していく陰謀論。
お金やデータや科学的エビデンスなど目に見えるもの以外の価値を求めた人たちがハマりやすい界隈なのだといえる。