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紙の本

帝国陸軍の将校団とは陸士出身者だけだったのか?

2021/07/11 22:30

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

海兵出身者しか「海軍士官」として扱われなかった帝国海軍は機関学校出身の機関士官や商船士官の予備将校などとの葛藤があるが、この本で論じられているのは陸士出身者のあり方なので、まるで帝国陸軍の将校とは陸士出身者だけみたいだ。この本で出て来る撫順の抑留経験者が憲兵だったので兵士から昇進する道として上等兵以上でないとなれない憲兵が強調されているが、それ以外の兵科の下士官はどうなるのか?、になる。下士官から将校への道を開いた少尉候補者制度の成立は宇垣軍縮と時期が重なるが、帝国陸軍は、韓国併合時に侍従武官府や東宮武官府、親衛府などに在籍していた旧韓国軍の将校で勅令によって朝鮮軍人から正規の陸軍将校に任官された人を含めて、色々な方法で将校になった人は全て将校団の一員だ。少尉候補者や幹部候補者などの教育方法には目を向けなかったのだろうか?まさか、「陸士出身者以外の将校とは海軍の特務士官に等しい」とは言わないだろうか?
 陸幼・陸士生徒と天皇との距離を論じる個所で、観念的な天皇との距離と実際に陸幼・陸士生徒だった皇族王公族との距離が混同している感じがする。天皇と皇室は違う概念だ。
 引用されている陸幼生徒の日記にある「李公子」とは後の李鍵公だ。大正13年当時は公族家の当主ではなく、まだ王公家軌範が成立する前々年なので、義親王家の嗣子であるが、まだ公族としての身分が確立していない李鍵公子だ。「日本の肖像」11巻に陸幼の制服を着た竹田宮や李鍵公子の写真が掲載されているが、まだ身分が確定していない時期にあるにも関わらず、李鍵公子にも御付武官が配属されている。第一、大正時代には一般の朝鮮人には門戸を開いていない。
 「陸軍将校の教育社会史」という表題ならば、少なくとも陸士出身の朝鮮人の陸軍将校についても触れるべきだと思うが、たまたま引用した日記で言及された李鍵公以外は出てこない。「李青天将軍のように抗日の道を選んだ愛国者はいるが、日帝時代は帝国陸軍将校として勤務し、光復後は朝鮮民主主義人民共和国に対する侵略戦争を起こし、北南分断の固定化に責任のある南朝鮮の傀儡軍で出世して、日韓癒着に暗躍した連中」と切って捨てるのだろうか?
 この本の親本が出た頃に、陸軍の将校だった人を取材していない、という書評を読んだ記憶があるが、平成9年に出ているのだから、昭和の陸幼・陸士の雰囲気は取材出来るのではないか?他の人が陸士・海兵出身者に行ったアンケート調査を使っているのだから、何故、同じ事をしなかったのか?著者は大正天皇の崩御を「天皇が死んだ」と書いているが、マルクス主義の公式史観を無理矢理、「独占資本の利益の代弁者」という教条的なスローガンを日本軍に結びつけた論文が引用されている陸士出身の藤原彰大尉や撫順のようなところに抑留されて新中国式の「人間改造」の対象になった将校ですら取材しなかったのだろうか?

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2021/10/11 21:49

投稿元:ブクログ

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