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岩田温氏が、産経新聞や正論、ユーチューブなどで発信した内容をまとめた本。保守派の論客として、切れ味鋭く正論を述べている。やや過激な面はあるが、知識は深く勉強になった。
「立憲民主党、日本共産党、社民党、れいわ新選組。彼らが左派であることは誰でも知っている。もちろん、闘わなければならない相手である。だが、獅子身中の虫というものがいる。それは、自民党に所属しながら左派の主張を保守派の主張であるかのように騙(かた)る政治家たちである。具体的に言えば、夫婦別姓を実現させようなどと主張する自民党議員が、その代表例である」p18
「(岩田氏の信条)「義理と人情とやせ我慢」」p21
「他国に侵略され、領土が蹂躙され、国民が殺戮されても、平和だと主張するのは愚かなことだろう。祖国を守らないことを誇り「平和主義」などと主張するのは、極めて退嬰的(たいえいてき)である。極めて不道徳でもある」p29
「日本が本当に守るべきは我が国の皇統であり、我が国の独立、繁栄である」p43
「「平和憲法を守れば日本は平和である」との幻想から脱却すべき時を迎えている。仮にウクライナに憲法九条があれば、ウクライナが侵略されなかったのかを考えてみれば、この幻想の馬鹿馬鹿しさに気づかずにはいられないはずだ」p44
「そもそも、憲法一条が掲げる「国民主権」という理念がフランス革命期の政治家、エマニュエル・ジョセフ・シェイエスが編み出したものだ。彼は国民主権を君主主義の対概念として位置付け、王の主権を、人民が奪い取るべきだと考えた。このような経緯を持つ概念は、我が国の歴史にはなじまない」p57
「(侵略後の状況)ソ連に侵略された満州における悲劇だ。ソ連は逆らう者、逆らう可能性のある者を虐殺し、無抵抗な婦女を強姦し、奪える限りの財を略奪した。さらに日本人捕虜、民間人をシベリアに強制連行し、奴隷的な待遇で強制労働に従事させた。多くの人々が祖国の地を踏むことなく異国の地で斃(たお)れた(厚生省調べでは約5万5000人)二十世紀の悲劇の一つだ」p63
「戦後日本人の多くは「世の中で一番怖いのは戦争だ」と考えている。「戦争なんか早くやめろ。降伏してしまえばいい。他の国に逃げてもいいんだ」と思っているかもしれない。だが、一番怖いのは、戦争よりも「圧政」だと言える。ポーランド、ウクライナ、ベラルーシ、バルト諸国、そしてロシア西部。この地域を歴史家ティモシー・スナイダーは「ブラッドランド」と名付けた。「流血の地」との意味だ。1933年から45年までのあいだに、1400万人もの人々が殺されている。驚くべきことに、この1400万人に戦死者は含まれていない。全て圧政、暴政による被害者だ。罪なき女性、子供、高齢者が、圧政の下で殺戮された」p78
「橋下氏の論理では「独立にそれほど意味がないから、降伏してもそれほど問題がない」となる。とにかく「長期戦」より「短期戦」で妥結するほうがよいと考える。そして「人命を守るために投降してもいいし、譲歩しても構わない」と言って、鈴木宗男氏の主張と同じ結果になっている。だから、この橋下氏の意見もどうしようもない意見だと言わざるを得ない」p88
「現在の国際秩序とは「一国の主張を軍事力で無理やり屈服させるような帝国主主義時代にしてはいけない」というものだ」p131
「1919年、日本は国際連盟で人種差別の撤廃を世界で初めて訴えた。これは人種差別に苦しんだ日本人がその憤りを「公憤」に昇華させた瞬間だった。日本人こそが、人種差別撤廃を世界に訴えたのである。当時、人種差別は当然とされていたが、その常識に異を唱えたのである」p147
「共産主義者は富裕層を憎む」p149
「福沢諭吉は「学問のすすめ」の中で、人間交際において、最も害あるものとして「怨望」を挙げている。人間の「怨望」は、自らが幸福になるよりも、他者が不幸に陥るのを望む。「擬猜(ぎさい)」「嫉妬」「恐怖」「卑怯」の類は全て「怨望」から生じる悪に他ならない、というのが福沢の主張である」p149
「(ドラッカーのフランス革命論)ドラッカーが嫌悪するのは、ルソーをはじめとするフランス革命の原動力ともなった啓蒙思想家たちが信奉した理性万能主義である。理性的でなければ、破壊してしまえという思想家、革命家の態度こそが全体主義の萌芽(ほうが)に他ならない。ドラッカーは、理性万能主義の愚かさを次のように論じている「理性万能主義は、手当たり次第に既存の制度に反対し破壊する。しかも破壊の後に据えるべき新しい制度を生み出す力を完全に欠いている。抑圧的な悪しき制度を攻撃して葬り去りさえすれば、仕事は終わったと考える。だが、政治や社会においては、代わるべき制度を生み出さなければ意味はない」」p152
「日本学術会議は日本共産党の影響が極めて強い組織で、吉田茂内閣の当時から解体論が存在していた。日本学術会議の特異な選挙制度を日本共産党が活用し、組織票を使って牛耳っていたのだ。これが自民党内で問題視され、議論されたのが1970年代~80年代である。そして日本学術会議の強硬な抵抗を抑え、選挙制度を改変し日本学術会議の脱・日本共産党化が図られた。この改革のおかげもあって、露骨な日本共産党による日本学術会議支配は終わったかのように思われた。だが、アカデミズムの世界における圧倒的多数を左派、「リベラル」が抑えている事実、そして彼らの常識が国民の常識とは乖離している事実に目を向ければ、日本学術会議が「学問」の名の下に、国民感覚とは乖離したことを仕出かす可能性は否定できない。人事権が総理の掌中にありながら、これを行使してはならないなどという理屈は通用するはずがないのが常識だ」p265