投稿元:
レビューを見る
慶長5年の関ヶ原の戦いの巻です!
この巻は歴史的読み物として特に面白かった。
ちゃんと布陣が図になって載ってたし、合戦のようすがわかりやすかったよ。
真田昌幸・幸村親子は、西軍についたってことで高野山へ追いやられることになりました。
秀忠軍を関ヶ原の戦いに間に合わせなかったってことで、秀忠くん大激怒だけれども、殺されなくて良かったね~。
その辺りの理由も池波さんの解釈が書かれています。
真田の「草の者」たちはほとんど根絶やしにされちゃったし、さぁこれからどうなるのかな~♪
投稿元:
レビューを見る
関ヶ原の戦いが終わり、真田昌幸・幸村の配流が決まるまで。決戦を前に石田三成が西軍の期待を失っていく姿が自業自得とはいえ哀れ。
投稿元:
レビューを見る
忍びたちの活躍はフィクションだと知っていても、ドキドキしながら読めた。
ああいう働きをして死んでいった忍びたちが、実際もたくさんいたのかなと思うと、哀しく思った。
投稿元:
レビューを見る
関ヶ原の合戦。正義の石田三成が西軍諸大名の結束を固められず、策士家康に敗れる。家康は勝ったから崇められるが、ここで破れていたら、史上最悪の叛逆人の一人と伝えられているであろう。2016.1.19
投稿元:
レビューを見る
慶長五年九月十五日早朝、関ヶ原で天下分け目の決戦が始まる。この関ヶ原の決戦前後の真田父子を中心に描く。
最終的には東軍が勝ち、西軍の昌幸、幸村親子は高野山に流される。が、これからが・・・・。
投稿元:
レビューを見る
やっぱり西軍には核となる人物がいなかったんだなぁ。
戦意のない人物が大将に担がれても、担いだ人間にまとめる力がなくては如何ともしがたいよね。
それにしても分からないのが、真田の「草の者」たちの動き。一発大逆転というか起死回生の一手ということなんだろうけど、なぜその手にでるのかがどうしても分からないんだなぁ。
投稿元:
レビューを見る
戦闘に勝って、戦争に負けた真田昌幸。
本来、真田氏を主人公側に据えつつ関ヶ原合戦の描写をすることは、ただの史実からは難しいはずだ。
にも関わらず、草の者を活用することでかえってビビッドに感じるのは著者の手腕か。壺谷又五郎の存在感の大きいこと…。
一方、三成描写はややステレオタイプ的だが、まぁこの解釈が普通なんでしょうなぁ(堅物・清廉を加味すれば司馬「関ヶ原」での三成像かも)。
しかしまぁ、「生きていればおもしろきことがあるやもしれん」…。信幸と本多忠勝の実直さに比して、どこまでも不敵な兵どもよ…。
投稿元:
レビューを見る
7巻は一冊丸々関ケ原の戦い。
勝利した東軍の武将たちへの論功行賞、西軍の武将の処罰までを丁寧に描く。
真田昌幸・幸村父子、信幸の出番が少なく寂しい。
【名文引用】
人の世は、何処まで行っても合理を見つけ出すことが不可能なのだ。合理は存在していても、人間という生物が、
「不合理に出来ている……」
のだから、どうしようもないのだ。(新潮文庫、p127)
投稿元:
レビューを見る
関ヶ原の戦い。東軍・徳川家康の勝利、西軍・石田三成、小西行長、安国寺恵瓊の処刑。東軍に真田信幸、西軍に真田昌幸・幸村。本田忠勝の計らいで真田昌幸・幸村は切腹を免れ、高野山へ流刑。
投稿元:
レビューを見る
第7巻「関ヶ原」
三成側についた昌幸、幸村親子は上田城に篭ります。
もし三成が勝ったら真田家は豊臣政権の中心に抜擢されるかもしれません。
真田親子は、距離的に三成と家康がぶつかり合う合戦場に行くことはできません。
だから家康の嫡男、徳川秀忠の率いる徳川本体を家康の元に行かせないための時間稼ぎをします。
信幸は徳川側についたので、父のもとに城明渡しの使者として訪れます。
昌幸は安房守、信幸は伊豆守です。
NHKドラマで丹波哲郎さんが渡哲也さんを「ずしゅう(豆州)」「ずしゅうどの(豆州殿)」と呼ぶその呼び方が何とも印象的でその声と口調で頭に浮かびます。
昌幸と幸村親子は知略と武力を尽くして徳川本体を足止めしたので、あとは石田三成率いる西軍に任せるしかありません。
真田家の草の者、壺屋又五郎やお江さんたちもそれぞれが主家と離れ自分の意思と知略で家康暗殺を謀ります。ここが真田家の忍びが一般と違うところ。普通は忍びが主家から離れて独自の頭脳で動くことはあり得ないという立場。
しかし徳川軍と石田軍は前哨戦を経て思いがけず関ヶ原にて野戦となり、石田方は7時間の決戦で大敗します。
ここでも真田家草の者は家康本陣に詰め寄り家康の首級にあと一歩と迫りますが…、
講談?か時代劇のお約束?で「家康の本陣に七人の刺客が切り込んできた!」というものを聞きますが、それを元にした池波エピソードですね。
関ヶ原大戦後の勢力図の変更の様子が描かれます。
後世から見るとどう考えても家康が天下を狙ってるだろうとしか思えないのですが、この当時の武将たちはあくまでも家康は秀頼のために三成を排除し、今後は皆で秀頼を盛り立てると本当に思っていたようで。
しかし関ヶ原後明らかに天下人のようにふるまう家康。
そこでやっと何かが違う…と思いだす豊臣家家臣たち。
しかしこうなっては家康に従うしかありません。
さて。
この巻は著者の個人的見解と言うか好感嫌悪がよく表れています。
まず著者が優れているとしている人物の描き方。
昌幸と幸村親子のこと
「この時代のすぐれた男たちの感能はくだくだしい会話は理屈や説明を必要とせぬほどに冴えて磨き抜かれていた」
「人間と、人間が住む世界の不条理を極めて明確に把握していたのだろう。人の世は、どこまで行っても合理を見つけ出すことが不可能なのだ。合理は存在していても人間と言う生き物が”不合理にできている…”のだからどうしようもないのだ。人間の肉体は誠に合理を得ているのだが、そこへ感情と言うものが加わるため、矛盾が絶えぬのである」(P127)
関ヶ原の激戦の最中、家康は「小早川の裏切りはまだか~~~」とうろうろしして「小早川はどっちに付きそうだ?」と問う使者を出しまくるのですが、それを一喝したのは黒田長政。
「おれはいま敵勢と戦っておるのだ。ならば何としても駅の本陣を突き崩さねばならぬ。小早川がことはその後の事じゃ。しかと申し伝えるがよい。よいか、うろたえるなよ!」「内府もどうかしているのではないか、戦っ���いるわしに松尾山の様子が分かろうはずはない。内府ともあろうものがなんたることだ、かくなれば運を天に任せ、戦って戦って戦い抜くよりほかに為すべきことはない」(P301)
さらにさんざん迷った小早川秀秋が、結局家康に味方し三成を裏切り西軍を攻めることにした…ことに対しての小早川家老。
「裏切りがいかぬと申すのではない。裏切るからには裏切る頃合いがある。今この時、東西両軍の乱戦を目の前にして、味方を裏切るとは何事か。これによって小早川の家名に深い傷がついてしまうことが分からぬのか。裏切りはならぬ。かくなればどこまでもこの松尾山から動かず戦の終わるのを待てと申せ!」(P135)
そのほか、勝敗が決まった時に敵中突破で退却した島津隊、居城に戻り立派に立て籠もった後開場に応じた立花宗茂などは、敗戦側とはいえ清廉な一念を通したということで敬意を持たれています。
反対に著者がいらだちを感じているのは、優柔不断で自分で決断できないような武将たち。
石田三成は、まさに清廉な一念を通してはいるのですが、決断が遅い!事前調整ができない!人に任せない!完璧な計画でないと実行できない!リーダーなのに細かいこと気にし過ぎ!リーダーなのにうろちょろしすぎ!…などと著者のいらだちを感じます(笑)。
著者としては、関ヶ原で石田三成が大敗したのは味方の裏切りとは別儀で、「七時間も戦ったのだからその間に家康本陣に攻め入ることができなかったとはよほど采配が悪かったのか?」と、幸村に言わせております。
さらに関ヶ原合戦真っ最中に西軍でありながら日和見を続けた武将たち、裏切った武将たちに対しても著者は「裏切るのは良いけれどタイミング悪すぎなんだよ!大決戦しているその場で、どっちかが完璧に勝つとわかるまでは裏切りさえできないってどういう奴らだ!」「○○軍が動かないから自分も動けない…って子供の使いか!」などイラついている(笑)
そして大阪城に入った西軍リーダー毛利輝元が、関ヶ原後に一戦挙げるどころか余りに容易く家康への大阪城明渡したことへ「大阪城を明け渡すにしても事前交渉も碌にせずに甘い口約束に乗っかってただで出て行っちゃって、そのおかげで難癖付けられ所領削られ、輝元を丸め込むのは赤子の手を捻るより容易い」と言う様子。
また著者は官僚タイプで机上の戦論には厳しい目線を向けているようで、
東北で戦を繰り広げている上杉景勝へは敬意を払いつつ、その重臣直江兼続に対しては「著者は世上にもてはやされているほどに直江山城兼続を買っていない」んだとまで言っている。三成も兼続も「一か八かの激烈な闘志に揺り動かされて大局を見ることができない」のが低評価みたい。
そして真田家への処遇。
本家の昌幸と次男幸村は石田方について徳川秀忠の軍を足止めし、家康と秀忠を激怒させていたのですから、死罪が妥当と思われていたようです。
そして分家した長男信幸もいくら徳川方に附いたからと言って非常に覚えが悪いです。
そこへ信幸の舅であり家康の重臣本多忠勝の説得。
「かくなるうえは、それがし伊豆守殿とともに沼田城に立て籠もり、殿を相手に戦つかまつる」
脅しでも駆け引きでもなく��一貫して家康への忠義を貫いた真田信幸に命懸けで応えようと腹を括った説得に、家康も折れるしかなく、真田昌幸・幸村親子は流罪となったところで七巻終わり。
投稿元:
レビューを見る
関ヶ原なのでこの巻では真田はあまり出てこず、草の者と関ヶ原本戦の話がメイン。
すごく面白かった。
戦の手に汗握る臨場感があって先が気になってどんどん読めた。
草の者たちの活躍もすごかったが、戦死者も多く悲しい。
島津の退却戦も逃げてるだけなのにあんなかっこいいとは…。
大谷吉継があの位置に展開したのはやはり小早川を抑えるためだったのかなぁとか、負けるだろう裏切られるだろうと思いながら参戦してのあの最後を思うとどうしても胸が痛くなる。
石田三成は真面目で筋の通った人で根が悪い人なわけではないと思うが、どうしても人情にかけるというか人との駆け引きや決断力がないと思う。
もしそこが家康ほどでないにしろもっとあれば関ヶ原は勝てていたと思う。
なんだか損をする性格なんだなと思うとやりきれない。
戦に向く性格ではなかったんだろうなあ…。
こっちにつけば有利だろうとわかっていて行動するのは賢いと思うし、それが結局我が身や領地を守ることにつながるからそれが間違ってるとは言わないし私ならそうするだろうとも思うんだけど、だからこそ自分の信じたものや義のために不利だとわかってても突き進もうとする人に感動しちゃうんだと思う。
投稿元:
レビューを見る
いよいよ関ケ原。
この小説が書かれたのは40年以上前なので、
今日では関ケ原の戦いも研究が進み、
「西軍は裏切りが無くても勝ち目が無かった」
「石田三成は西軍の主導的立場ではなく、
徳川家康と敵対関係でもなかったが、
貧乏くじを引いてしまった気の毒な人」
(腹が痛くなってきた)
という説が有力になっているらしいが、
小説なので史実よりロマンの方が大事である。
白湯を飲めて良かったね治部様。
投稿元:
レビューを見る
関ヶ原から昌幸・幸村が九度山へ流される直前まで。
史実は不明であるが、表の戦いと裏の戦い(忍び)が同時進行で描かれているのが面白い。
石田三成は、政治家・事務方としては優れているが、軍人としてはまるっきし無能といっても良いような描かれ方をしている。
石田三成に対する池波の人物評なのだろう。
投稿元:
レビューを見る
石田三成が関ケ原の合戦後に処刑されたということを、恥ずかしながら初めて知った。大坂の陣まで生きていたのかと思ってた。思い込みというのはおそろしい。
投稿元:
レビューを見る
真田家が東西に分かれて、臨んだ関ヶ原の戦い。
どちらが勝っても真田家は生き残る。
西軍側の愚ばかりが浮かび上がり、家康の優れた部分がクローズアップされる。
敗れた真田本家は、高野山に封じ込められてしまう。
ここから、昌幸、幸村父子がどうなってしまうのか、次巻からが楽しみである。