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陸上自衛隊OBによる、福島原発事故対応について、特に防衛省自衛隊の活動、中でも日米の連携に焦点を当てて研究した成果を記したもの。公文書等公開された資料を中心に、原発対応の事実関係を正確に整理した上で、問題点や教訓を述べている。その教訓等の導出には、関係者への聞き取りが数多く参照されており、説得力がある。緻密な作業を重ねられており資料性高い文献である。参考となった。
「頬から顎にかけての部位に付着した放射性粉塵による汚染は、何度、石鹸で洗いこすっても落とすことができず、放射線測定器は大きく針が振れる状況だった(岩熊真司中央特殊武器防護隊長)」p29
「(3.16原子力災害対策チーム会議が急遽開催された)本会議の趣旨は、発災から五日目を迎えても福島第一原発事故の状況がわが国政府全体で共有されず、さらに米国政府にも共有されていない危機感から、原発事故に対して、防衛相及び関係省庁、東京電力が必要な知見、情報を共有し、原子力災害事故に実効的に対応しようというものであり、あわせて、米側にもその状況を共有してもらうことにあった」p85
「(当初の日米間の意思疎通)米側も、大使がこれだけ日本側に申し入れてもわかってくれない、という不信感が醸成されていったと判断される。一旦、相互に不信感が醸成されると、それを軽易に取り除くことは困難になる。日米間の情報共有や連携において、疑心暗鬼が相互理解を妨げる最大の障害になり得るということである。加えて、日本側の政務と行政の間の意思疎通も必ずしも円滑でなかったと言えるであろう。官邸の奥の院で、政治家による意思決定がなされるにもかかわらず、そこで決定されたことや具体的な指示が行政まで十分に伝わっていなかったことが複数の証言から明らかである。当初の意思疎通の問題は、日米間で相互に増幅された不信感と日本政府内の意思疎通の問題でもあった。さらに、より根本的な問題は、日米両国間の閣僚レベルで、平素から気安く電話を取り合う関係というものが構築されていなかったことにもある。この問題は、日本側の短命内閣の繰り返しによるものであったと言える」p100
「(NRC公開会話録から)日本からの情報が不確かかつ時宜を失していたものが多かったという指摘がある。東京に派遣されたNRC職員は、日本側から提供される資料が日本語であるために翻訳に相当苦労した。こうした背景を考えると、事務レベルにおける情報の提供は、速やかに英語に訳して伝えることが重要であることを物語っている」p102
「防衛相での日米協議は、日米双方の福島原発事故の関係者が一堂に会する機会を最初に設けたという点で意義あるものであった。在京米国大使館やNRCの職員が、日本側のどこに当たっても要領を得ない暗中模索の状態の中にあって、防衛相が音頭を取り関係機関に集まってもらい、そこで米側とすり合わせができた。これは、米側を深い疑心暗鬼の沼から救い出したという意義があると捉えることができる」p102
「(国会事故調)結論の中で、事故の根源的要因として、規制当局と東電による問題の先送りや不作為等によって、地震発生時の発電所は、地震にも津波にも耐えられる保証のない、脆弱な状態にあったとして、事故は「自然災害」ではなく明らかに「人災」であるとし、事故の主因を津波のみに限定するには疑義があり、継続的な検証が必要であるとしている」p147
「(畑村洋太郎政府事故調査委員長の所感)
①あり得ることは起こる。あり得ないことも起こる。
②見たくないものは見えない。見たいものが見える。
③可能な限りの想定と十分な準備をする。
④形を作っただけでは機能しない。仕組みは作れるが、目的は共有されない。
⑤全ては変わるものであり、変化に柔軟に対応する。
⑥危険の存在を認め、危険に正対して議論できる文化を作る。
⑦自分の目で見て自分の頭で考え、判断・行動することが重要であることを認識し、そのような能力を涵養することが重要である」p150
「(福島原発の体制)国際的な基準からすれば、日本の対策は極めて遅れていたことがそれぞれの委員会での検証の結果、明らかにされている」p158
「政党政治家に期待されているのは、省庁の所管をまたがり、個別業界を横断する社会の基本的な利害対立を調整し統合する構想を提示すると同時に、いまだ政府によって対処されていない新しい諸問題、あるいは官庁の業務運営によって適切に解決されていない諸問題などに鋭敏に反応し、これらを政策論議の俎上に乗せていくことである」p195
「(緊急時に開催される会議)平素から開催頻度を高く保ち、会議開催のハードルが低くなるような環境を日頃から整えておくことも有益」p196
「米側の認識は、「根拠を明確にした新鮮な一次資料」が欲しかったのであろう」p198
「(岩崎統幕長)今まで防衛力整備は各幕でやっていたが、尖閣対処などを考えると、統幕がニーズを出して、内局、四幕を含めた形で知恵を出していく必要がある。特に、従来のペースではなく、スピードが求められている」p207
「(戸部良一)日本陸軍では、しばしば幕僚が指揮官の委任もないのに独断で命令することが少なくなかった。これが幕僚統帥である。司令部から現場の部隊に派遣された幕僚が、現場の状況の急変に応じるため、混乱・動揺した部隊を指揮しなければならない場合もあったかもしれない。ただし、司令部に指揮官の命令・指示を仰ぐことが可能であった状況でも、派遣幕僚はしばしば、あえて独断で命令を出すことがあった。このような独断専行や幕僚統帥を犯した典型的な軍人が辻正信である」p211