投稿元:
レビューを見る
問いに対して明確な答えが無い禅問答。
なんとなくモヤモヤしそうだけど答えがないからこそ思考が深くなりますね。
投稿元:
レビューを見る
うむうむ、文章は分かるが理解はほんの少しだけしか出来なかった。
まあ、大変失礼だと思いますが、ビジネスマンには箸休め的なイメージでお読みください。
投稿元:
レビューを見る
中国禅の高僧・臨済義玄の語録『臨済録』を、在家の中国思想研究者が余計な補足を交えず言葉通りに現代語訳。その後にこちらは余計な憶測たっぷりに独自の解釈が添えられます。本来は禅の修行僧が体を張って取り組むべき公案を、修行もせず寝そべって読むのは何とも不謹慎な気もしますが、怒鳴られたり殴られたりする心配もなく、ちぐはぐなやりとりにじっと向き合えるのはありがたいことです。
投稿元:
レビューを見る
「臨済録」を理解するには修行が足りないのか、と思わせる「禅問答」集。答えは自分の体を使って考え、「わからないもの」を分りたいと考えを変えることだ、と言うことか。さらに「考える」とは他人と分かち合うことで豊かになる、と言う。見方、読み方など視点を変え、解らないことは素直に聞き、自分なりの答えを導き出すと言う「考える」行動をしろ、と言う事なのだ。
投稿元:
レビューを見る
禅問答というと勝手に物事の真理を問答により、考え、気付くようなモノだと考えて読んだ。
しかし想像とは違い、かなり共通認識や背景知識が必要であり、トンチのようであり、正直考えも及ばない「わからない」問題ばかりであった。
著者は「わからない」ことも楽しんで欲しい、とあったので自分の頭の硬さを感じた。
反面、これらは逸話かもしれないが、禅僧というのは深く物事を観察し、人の気持ちも深く考え、ユーモアも持ち合わせるすごい方達だと感嘆した。