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分かりやすく歎異抄を解説してくれている。
人生を100年として、死んだら無になるという考え方ではあまりに寂しいとは同感だ。
世の中では科学的根拠のない宗教とか輪廻転生、前世などはオカルトとして信憑性にかけるものとされているけれども、自分でもコントロール出来ない自我はどこから来ているのかもまた説明が出来ない。なぜ、人は苦しくなるほどの恋愛をするのか、自分を否定した人間にたいして心の底から沸々と沸き起こる怒りはどこから来るのか。このような宿業とは遺伝子の記憶か。説明出来ないことだらけなのに死んだら無になるのだから100年のうちになにか意味を見いださなければならないとあせるのもナンセンスだな、と読んでいて思った。
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・親鸞先生
−死者の供養のために念仏せず。
−滅罪のために念仏せず。
−攘災招福のために念仏せず。
・親鸞に弟子はおらず。
−阿弥陀如来からいただいた念仏をただ唱えるのみ。
・私たちの常識や思いが投影されているような物語では私たちに力を与えることはできない。浅原才市。
・本願念仏の教えが言う救いとは、嫌な状況が消えてなくなるとか、不幸な状況が転換されて幸福な状況になるとかではない。現実に生じていることがらを、そのまま、たじろがずに受け止めることができるということ。
・私一人が救われればよい、とくのは仏教の教えではない。
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うちは浄土真宗。歎異抄はまだ読んだことはないけど。
南無阿弥陀仏と称えはするけれどそれがどういうことなのかは、今一つピンときておらず。この本を読んでわかったのは、念仏とは「必ず救う。浄土に救う。だから安心して今しかない生を生きろ」という阿弥陀様からのメッセージだったのだなと。星4つなのは時々難しいなと思うところがあったからだけど、書物としては読むに値する本です。
南無阿弥陀仏。
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歎異抄は築地本願寺で知った仏教であるが、この本のサブタイトルのように私も無宗教であるが故これからが始まりであると考えるています。
法然の弟子である親鸞が教えた「南無阿弥陀」のについてそれが歎異抄のようだ。
親鸞の教えを、間違った解釈をしたりアップデートする人たちが出るので、唯円が歎異抄として記した。
異なることを歎くと言うものだと知りました。
一人も漏らさないと言うものがあるようで、それは大変心強いものであり救いを頂きました。
もっと歎異抄を勉強したいと思います。