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まずは調査と視点に感服する。
明治時代の妾の(妻も)置かれた都合よいポジションにプンプン怒りながら読み、大正の頃の”恋愛”の発生にそれもまた一種のファンタジーだよなあと思う。戦後からここまで”働く女性”となってきたわけだけれど、そこでは男女の格差やその他も解決されたとは言えず、また女性同志の格差も広がっているような気がする。
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明治から大正、昭和へと移り変わる中で一夫多妻制の許容から一夫一妻制へのシフト。妾の文字がなくなり愛人の意味も変わっていく。時代ごとに文献を当られた丁寧に調べられている。そして、またこれからも変わっていくに違いない愛人の意味についてフェミニズムにとっても好ましいものになっていって欲しい。
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「玉木宏の100番目の妻とかでも全然良いのだが…」と書かれたTwitterが少し前に話題になった。非モテより、イケメン俳優の妻になりたい。毎日じゃなくても良いから、定期的に構って貰えれば満足だと。ポリガミー的な視点であり、ポリアモリーとは異なる。つまり、複数女性によるハーレムが希望だが、別に、複数男性は不要だと。
本著では、男性の視線の中で女性が女性を価値づけることの暴力性について、その視点から発生したと思われる、妾や愛人についてを探る。古来、妾は男性に所有される禽獣に近い賤隷として、日本では1882年に妾は法的に廃止されるまで、制度としても存在した。結婚自体が家の存続や政治関係から当人同士以外の意向による面もあった中、世継ぎの必要性からも認められた制度だった。
女性が偏見に晒され経済的弱者となり、仕方なく、性を商品化する構図は、経済的弱者となるスタート地点から是正する必要がある。教育格差や就労差別、出産や家事、育児の負担、表向きは差別がなくとも、そもそも肉体的、生理的に不利でもあるから、経済弱者になり易い。仕方なく、男性性に従わざるを得ない。これが是正された後、自らの意思で、玉木宏の愛人になりたいなら、またそれは別の話。消極的動機と積極的動機の二パターンがあるが、消極的動機の解消を進める際に積極的動機まで混同して否定しない事が重要だ。AV新法然り、だろうか。
女房の役割がその「日常性」にあるように、愛人の役割は「非日常性」にある。一夫一婦は夫の生産労働と妻の家庭内の再生産労働によって資本主義社会のシステムを稼働させる一つの単位とされた。このモデルが崩れ、妻による所得税も必要となり、女性活躍が叫ばれる。しかし、家庭内の仕事をしたい女だっているのだ。繰り返すが、積極的動機まで、一緒くたに議論しない事が重要だ。
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珍しく肌に合わず、途中から各章のはじめにとおわりにだけを読んで読了とした。
テーマは非常に興味深く、この研究の視点は新鮮なものであったから期待を持って読み始めたが、なぜか私の肌に合わない。テーマを面白いと考えるのになぜだろう。
妾にしろ愛人にしろ、その歴史上の変遷を辿りながらもなかなか変わらない両者の立場。愛人と言われるとふしだらな女性を思い浮かばせられるこの偏見にメスを入れた本書はすごいと思う。今までその発想に至った事がなかったから。
今愛人といえば女性で、同じことをしているのに男性を愛人とは呼ばない。確かに不思議でフェミニズムの視点からもっても外せないものだ。
今後また本書を手に取る機会があれば、今度こそ完全に読了したいものだ。新たな発見があるはずだから。