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吉敷竹史シリーズ、第16弾。表題作含む3作。前作が凄く重かったので、今回も冤罪死刑囚がテーマで重さを覚悟して読んだけれど、重くはなかった。十八歳の吉敷の話はすっきりしない。最後の「電車最中」が、気分的に一番楽に読めるけど、主役は鹿児島の留井刑事なので、吉敷さんは後半にならないと出てこない。
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中篇作品は何となく中途半端な余韻が残る。でも最近の作品を読むに、短篇や中篇がこの作者にはちょうどなんだろうと思ってしまう。表題作は、作者のライフワークでもある「秋好事件」がベースになっている。冤罪ものは嫌いではないのだが、少し都合が良すぎやしないか。二十六年費やした事件をたった二日でひっくり返そうとする展開に無理がありあり。シリーズを通して感じるノスタルジックな筆致は健在だが、もう少し深みがほしかった。「電車最中」は、真相よりもその経緯が面白く読めた。しかしラストの展開がいまいち理解できない。謎解きは二の次なのか?
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新規購入ではなく、積読状態のもの。
2011/7/8〜7/9
吉敷シリーズの短編集。死刑囚の冤罪を晴らそうとする「光る鶴」、吉敷が刑事になろうと思った動機を描く「吉敷竹史、十八歳の肖像」、鹿児島県警の古い知り合いに捜査協力する「電車最中」の三編。久しぶりの吉敷シリーズであったが、相変わらず吉敷さんはストイックでかっこいい。最近自分が歳をとったせいか、御手洗シリーズより吉敷シリーズの方が良いかも。最後の作品などに深く感情移入してしまった。
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あれ?なんか読んだことがある・・・と思いつつもう一度読んでしまった。短編集。秋好事件を元にした光る鶴以外は初めて読んだ。
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久しぶりに吉敷竹史シリーズを読みました。
このシリーズはこんなにシリアスな感じだったのかな?
御手洗シリーズの軽やかで楽しい感じとは違いテーマも重い。
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捜査一課の吉敷竹史は、知人の葬儀で九州・久留米市へ。そこで出会った青年から、義父の再審への協力を頼まれる。二十六年前、三人の女性を殺して死刑判決を受けた「昭島事件」。すでに人の記憶は風化しており、冤罪事件を覆す証拠は見つかるのか(「光る鶴」)。―吉敷竹史は、なぜ刑事になったのか(「吉敷竹史、十八歳の肖像」)の他、文庫書下ろし(「電車最中」)を収録。
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冤罪事件を覆す表題作の「光る鶴」、吉敷が刑事になった理由を描く「吉敷竹史、十八歳の肖像」、そして吉敷がゲスト出演する「電車最中」の三篇を収めた、吉敷ファンにはたまらない一冊。
私のお気に入りは「電車最中」。事件を解決した留井刑事が、喜びのあまり居酒屋で初恋話まで披露する。話を聞く吉敷。情景が目に浮かび、とても微笑ましい。ストイックな吉敷の意外な一面を窺うことができる。
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こーれは、ちょっと、ダメでしょ。めちゃくちゃ期待外れ。
「まさかこれで終わるわけはないだろう。どんなどんでん返しが待っているのか」
とドキドキしながら読んだが、まさかそのまま終わるとは。。。
吉敷シリーズは好きなシリーズなんだけどなあ。。。
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吉敷シリーズですが。
冤罪が題材が多くて、あまりミステリーっぽくないなと思いました。
やっぱり、御手洗潔シリーズがいいですね。
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御手洗シリーズより吉敷ものが好きな自分には嬉しい作品。
『吉敷竹史、十八歳の肖像』ではまた宮沢賢治が出てくる。
島田荘司は宮沢賢治が好きなんだなと思った。
宮沢賢治は読んだことがないので今度、読んでみようと気になった。
吉敷ものは御手洗ものに比べて流れを追って話しが進むので読みやすくてよい。
また、『電車最中』の最後に、いつもの女性論がかいまみえたのも嬉しい描写だった。
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実話をもとにしてると知らなかったから、後半になにかがひっくり返ったりするのかと思って読んでたらなにもなかった。
他二偏もなにごともなく終わった。
吉敷シリーズをすでにけっこう読んだあとだからいいけど、いきなりこれから読みはじめたらがっかりするだろうな。
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やっぱり島田荘司は読みやすくて面白い。
死刑冤罪問題に取り組まれているとは知らなくて、これも実際の事件を基に作られた話だとは驚き。
サクッと読めて良い感じでした。
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本作は2002年に当初『吉敷竹史の肖像』として刊行された短編集からエッセイや対談などを取り除き、純粋に吉敷シリーズの短編集として編み直した物で、文庫化に際して新作の「電車最中」という短編が書き加えられている。
まず冒頭の「光る鶴」はかつて島田氏が物したノンフィクション大作『秋好事件』をモチーフにした吉敷シリーズの中編だ。
秋好事件が同じく福岡の飯塚での事件、そして一家惨殺事件である事からかなり類似性が高い。
題名の「光る鶴」とは事件当時、駅のホームに捨てられていた赤子の悟の胸に置かれていた銀の折鶴に由来する。これが冤罪の証拠となるのは自明の理だが、相変わらずの吉敷の粘りの捜査が描かれている。
事件の真相は物語中盤で早くも吉敷と昭島との面接から明らかになるが、この作品の意図は昭島義明の冤罪をいかに証明するかに主眼が置かれているので当然だろう。この事件解明は島田氏の秋好事件に対する願望に外ならない。
続いて「吉敷竹史、十八歳の肖像」は吉敷がいかに警察官になるに至ったかを描いた物語だ。
幼稚園児が快刀乱麻の名探偵振りを発揮する御手洗シリーズを書いた同じ作者とは思えぬほど、この物語は対極にある。
御手洗シリーズでは、幼稚園児の御手洗が事件を解決するのに対し、本作では結局、吉敷は桧枝殺しの犯人を捕まえられないのだ。つまりここに作者の二つのシリーズの創作姿勢が現れているように思う。
吉敷シリーズが極力現実の警察の捜査に即して描く事を主眼にしたリアルなシリーズにあるのに対し、御手洗シリーズは幻想味と奇想をテーマに掲げた一種のファンタジーだという事だ。
あとラストに出てくる最後の宮沢賢治の詩、『雨にも負けず』は、確かに吉敷の人と成りを語るにこれほど雄弁な物はないと感心した。
そしてラストの「電車最中」。
まさにこれこそシリーズを読み通した者が得る醍醐味というものだろう。留井が語る数年前の事件とは私の好きな『灰の迷宮』である。
電車型をした最中を探す、これだけ単純な捜査にこれほどまでに物語性を持たせる島田氏の手腕に改めて脱帽。都電最中の存在、そして全国に電車の形をした最中がないという話は本当なのだろう。いやはやどこからこんな話を拾ってくるのだろうか?
そしてこの作品でも御手洗シリーズとの相違がはっきりと書き分けられている。
御手洗シリーズのスピンオフ作品では御手洗が電話や手紙での出演だけなのに、あっさりと事件の真相に迫るヒントなんかをアドバイスする超人ぶりを描いているのに対し、本作では吉敷は留井の捜査のお手伝いをするのみで助手に徹している。あくまで事件を解くのは留井である。この辺の身のわきまえ方が私をして御手洗よりも吉敷の方を好きにさせているところなのだ。
そして最後の蛇足ともいえる留井の若かりし頃の東京での恋愛話もまた昭和を語る一つの因子となっている。
今後の島田氏はこういった情の部分を積極的に取り入れるらしい。なんとも嬉しい話ではないか!