電子書籍
信念・信仰・伝道
2023/07/23 01:16
7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ろんどん - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説と批評の中間のような作品というか、小説とプロパガンダ(いい意味でも悪い意味でもなく)の中間というか、そういう読み物を読んだという読後感だ。物語として批評したり感想を言ったりするのがしっくりこない(これは褒めていない)。
感想をここに書くにあたって、「市川沙央・荒井裕樹 往復書簡」も読んでみた。それを読んで思ったのは、多分私がこの小説を好きになれないのは、作者の根底にある「生命への賛歌」「生きることへの肯定」への拒否感があるからだ。
その点に共感する読者はこの小説を肯定的に捉え、強く響くのかもしれない。
私には響かなかったので「あらはないけれど刺さるところもない、欠点も美点もない作品」と感じた。
作者は伝道として書いているのかもしれない。私はそういった物語を歓迎しない。
1点か2点か迷ったが、1点は読んだ人の人生を損なうような本に与えるべきだろう。この本は問題提起もしているし、読者のためになる視点や知識も提供しているし、読んだ人はそれぞれ得るものがあるだろうからプラス1点。
紙の本
比べられないこと
2024/04/03 11:46
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:302 - この投稿者のレビュー一覧を見る
障がい者がかわいそうで健常者は幸せという偏見。
他人の苦しみは絶対にわからないもので、お互い様。
自分だけが苦しいわけではないし程度も比べられない。
お互いのことをどれだけ想像できるかが大事だと思う。
電子書籍
新鮮な切り口の作品だった
2023/07/24 15:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さくら - この投稿者のレビュー一覧を見る
場面の描写がリアルで、一息に読み終えました。
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【私の身体は、生き抜いた時間の証として破壊されていく】重度障害者の井沢釈華は、十畳の自室からあらゆる言葉を送り出す。圧倒的迫力&ユーモアで選考会に衝撃を与えた文學界新人賞受賞作。
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書き手のエネルギーをビシバシと受けながら、読み進めた。著者が実際に登場する病気に罹っているものあるけれど、全てがリアルに感じられて、強烈だった。市川さんの次作を期待してしまう。
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最後の部分がどう解釈したらよいのか分からず、頭に?が浮かんだまま終わってしまった。それまでが素晴らしいだけにあのラストはやはり残念。しかし、デビュー作らしからぬ作品のクオリティーは文學界新人賞受賞も納得の出来だ。
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芥川賞受賞作。
過激で衝撃的だった。読んでて主人公にイライラしてしまった。
知らない単語が多いのと、最後の章がどういうことなのか、私の読解力不足で誰かに解説してほしい…。
あと、人間の尊厳の箇所、私は全然その境地に達していないなと思った。
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言葉が根っこに持っている熱を感じた。
気持ちの熱でもあると思う。
最後は3度読んだ。
???な部分も純文学らしく嫌いではなかった。
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芥川賞受賞ということで読んでみました。
障害者でも生きる力、生きる意志は同じで思うことは一緒なんだなと思った。
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軽いテンポでエンタメ的要素も多かった。「ミサトさん」がでてくるとは思わなかった。
話の骨格に触れるとき、たびたび叩きつけられるような気持ちになった。
「釈華」「蓮」「涅槃」という言葉が、開いていたものが段々と閉じていく雰囲気と繋がっていてよかった。
読後、誰かがいなくなったような淋しさを感じた。
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筆者の市川さんが障がい者と健常者が共に生きていく暮らしの中での問題提起を世に打ち出したこの作品は メッセージ性が強く 素晴らしい作品だった
この本が芥川賞を受賞したことで より多くの読者層に読まれ 読者が市川氏さんの心の声及び障がい者の声を受け止め 何らかの変化やアクションを起こすであろうことも含め響の強い作品である
タイトルのハンチバックだが 本文に「せむし」という表記があった際 カナのルビでハンチバックと記されており そういう意味だったのかと初めて知る
では 表紙のあの絵は骨の部分を表しているのだろうか
この作品で1番心を打ったのはミオチュプラー・ミオパチーの主人公「釈華(しゃか)」の「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です』という一文
あまりに重くて でもそう言わしめる世の中なのだと思うと息が苦しくなるようで 胸が押しつぶされそうな気持ちでいっぱいになった
私にはその苦しさが実際どのくらいなのかは分からないけれど そう思う状況に生きている釈華の気持ちを想像することはできる
だから そこは涙が落ちた
『硬いプラスチックの矯正コルセットに胴体を閉じ込めて重力に抵抗している身体の中で、湾曲した背骨とコルセットの間に挟まれた心臓と肺は常に窮屈な思いをパルスオキスメーターの数値に吐露した。息苦しい世の中になった、といヤフコメ民や文化人の嘆きを目にするたび私は「本当の息苦しさも知らない癖に」と思う。こいつらは30年前のパルスオキスメーターがどんな形状だったかも知らない癖に。』
(本文より)
好きな比喩があった
『語尾がいつもウフッとした笑いで終わる須崎さんは空気の調べを明るい長調(メジャー)にするムードメイクのベテランだ。』
(本文より)
時に 音楽用語や作曲家 曲名が上がり 著者の市川さんは音楽が好きなのかもしれないなと思った
『胎児殺しを欲望することは、56歳脊損男性の明るい下ネタとは次元が違う。
せむし(ハンチバック)の怪物の呟きが真っ直ぐな背骨を持つ人々の呟きよりねじくれないでいられるわけもないのに。』
(本文より)
この思いを知っている必要がある
これは著者の心の叫びだと思う
『厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。
私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買い物に行けること、ー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。』
(本文より)
非常にメッセージ性が強い
私は受け取ったよと伝えたい
傲慢であったこともこの文章を読んで省みる
障がい者理解の中に 読書はどうだと考えたことがなかった(点字や音声 大活字本があるという認識のみ)
自分が読書する時 何かいい案が閃かないか 障がい者の読書について考える時間を作ろうと思う
ここに「マチズモ」(男性優位主義)いう言葉が出てきたが 市川さんはこの作品で多くのカナ文字や略語を取り入れている
それらが 今よく使われている言葉であるために 作品の「今 考えてほしい」というメッセージ性の「今」を際立たせているように思う
しかしながら時は移る
青地に白い鳩のTwitterは今や✖️に表記が変わっている
障がい者への社会的理解の移り変わりの記述もあった
が それはTwitterのマークの変更に及ばないぐらいの
小さな理解度のアップでしかない
『あの子たちがそれほど良い人生に到達できたとは思わないけど、背骨の曲がらない正しい設計図に則った人生を送っているに違いない。ミスプリントされた設計図しか参照できない私はどうやったらあの子たちみたいになれる?あの子たちのレベルでいい。子どもができて、堕ろして、別れて、くっ付いて、できて、産んで、別れて、くっ付いて、産んで。そういう人生の真似事でいい。
私はあの子たちの背中に追い付きたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追い付きたかった。』
(本文より)
「産むことはできずとも、」の部分が釈華を苦しめているのだ
でもそれを享受して生きていかねばならないところが私と釈華の違うところなのだ
この釈華の思いを どう受け止めてどう理解すればいいのだろう
難しいけど 考えるよ ちゃんと
『苛立ちや蔑みというものは、遥か遠く離れたものには向かないものだ。
私が紙の本に感じる憎しみもそうだ。運動能力のない私の身体がいくら疎外されていても公園の鉄棒やジャングルジムに憎しみは感じない。』
(本文より)
『生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていく。死に向かって壊れるのではない。生きるために壊れる。生き抜いた時間の証として破壊されていく。そこが健常者のかかる重い死病とは決定的に違うし、多少の時間の差があるだけで皆で一様に同じ壊れ方をしていく健常者の老化とも違う。』
(本文より)
『壁の向こうの隣人が乾いた音で手を叩く。私と同じような筋疾患で寝たきりの隣人女性は差し込み便器でトイレを済ませるとキッチンの辺りで控えているヘルパーを手を叩いて呼んで後始末をしてもらう。世間の人々は顔を背けて言う。「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ。」と。だがそれは間違っている。隣人女性のように生きること。私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。本当の涅槃がそこにある。私はまだそこまで辿り着けない。』
(本文より)
「人間の尊厳」これは著者が読者に今一度考えてほしいと願う この作品の1番の問題提起であると思う
釈華の言葉や思いを通して訴えられたこのメッセージを
しっかり受け止めたい
作品は 性描写で始まり性描写で終わる
冒頭の性的表現(釈華はBuddhaというアカウント名でのコタツ記事を書く仕事をした…収入は全て寄付)とラストの性描写(釈華は紗花というTwitterのアカウントで思いを表出する…)が釈華の望む『普通の人間の女のように子どもを宿して中絶する』に繋がるだけに 必要不可欠な描写である
性行為は妊娠出産 ひいては中絶に繋がる可能性を孕��
ことを改めて示唆したストーリーだ
しかしそこには可能性がない部分 もしくは全てに可能性を見いだせない障がい者もいるのだという現実を投げかけている
深く考えずにいられない作品だった
近年の芥川賞受賞作品では 私はベストだった
ルビがなく読めなかったので調べたら『涅槃』は「ねはん」と読むのだそうだ
第八版三省堂国語辞典によると『涅槃』とは「煩悩のない、さとりの境地。ニルバーナ。」と記されている
つまりは死を表す
サンスクリット語ではニルバーナというらしい
涅槃会(ねはんえ)というお釈迦さまが亡くなった日に行う法会もあるらしい
「ああ、神様 仏様!」…とすがることも多い人生なのに 大事な儀式すら知らずに反省
読めない熟語 分からない略語は流しがちだが 調べることに意義があると再認識する
障がい者への理解も同じなのだ
分からないからこそ分かろうと思いを寄せることが「人間の尊厳」を築く一歩になるに違いない
そして なんらかのアクションを起こすのだ
追記: ハンチバック ミオチュブラー・ミオパチー
マチズモ インセル ルサンチマン
涅槃 ゴグ
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重度障害者の中年女性である主人公が、自分もふつうの人間と同じようにと、堕胎を夢見て、淫靡な自分の姿を想像するのは、ブレードランナーのレプリカントが「自分が人間である」という夢を見るように、越えられない壁を思わせる。いったん健常者の人生を手に入れたうえで台無しにしてやりたいと希求する主人公や、彼女に対し憐みと軽蔑を抱く弱者男性ヘルパーの感情は、人それぞれが自分の今生きている人生の現在の地点におけるルサンチマンな感情として共感できると思う。生きるための日常が日日自分の身体を壊し続ける行為であって、「何のために生きるか」ではなく「何で生きているのか」というほどに生と向き合っている重度障害者や周囲の人々の本当の苦悩など自分にはわかる由もないが、主人公が夢を見ることでなんとか生にかじりつきながら生きていく姿を通して、人が生きていく意味、自分が今生きている意味について思いをはせるという普遍的なテーマとして語られているのが素晴らしいと思う。
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女性としてやり残したことの無い事への執念についての描写が絶妙だった。障がい者の性欲については他書でも気付いていたが健常者基準で世の中が成り立っていることへの不満感や諦めの気持ちがクリアに表現されていた。
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第169回芥川賞の候補作。文學界5月号に掲載されているものを読んだ。第128回文學界新人賞の受賞作でもある。
主人公はミオチュブラー・ミオパチーという難病にかかっている。身の回りのことをヘルパーさんにやってもらいながら生活している。お金は余るほどある。風俗のライターの仕事もしている。妊娠、堕胎することを夢見ている。
この夢に対する欲求の強さ、生に対する欲求だけでなく、それを超えた欲求の力強さに圧倒された。
最後が、自分の読解力が足りないせいでよくわからないまま終わってしまった。
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一冊丸ごと鈍器で殴られたかのように、すごい感情も欲望も剥き出しって感じだった。
だけど何だか急に現実を突きつけられたような、出口がないような。
当たり前は当たり前ではないし、それは紙の本のページをめくりながら姿勢を正してページをめくるという行為でさえ
腹立たしかったり妬みや嫉みで溢れていて
どんな病気になっていたとしても、清きものとしてではなく
事実、非常に人間臭くてそこには健常者も障がい者もへったくれもないってこと。