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生物学者がヒトが老いる理由、意味、そして老いにどう向き合っていくべきかを語る一冊。
後半部分は社会的に老いについて語る展開になっていくので、もう少し生物学的な証拠に基づいた話を読みたかったかも。
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自然界に老いはない。社会的な生き物であるヒトは、老いた人がいる社会が選択されて生き残ってきた。知識や技術・経験が豊富で私欲少なく次世代を育成する「いいシニア」になり、社会の一線から退くのではなく、公共精神で社会と関わろう。
ヒト以外にはケアする社会がないから元気か死の二択で老いはない、なら理解できます。でも、サケやハダカデバネズミやゾウのように、ピンピンコロリが生物としてのデフォルトである、というのはどうかなあ。
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老いは「何かを失う」わけではなく、「役割が変化すること」という捉え方がいいなと思った。
人生の40%は老後だそうだから、年をとることを嘆くのではなく、自分でできる役割を考えて社会に貢献していきたいと思った。
そして、できれば「老年的超越」というご褒美を味わいたいと思わせてくれる本だった。
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生物学的な視点からヒトはなぜ老化が始まってからも長く生きるのかなど学べる。
例えば、「おばあちゃん仮説」では、子育てする上では母親だけでなくおばあちゃんも子育てに参加できる方が有利なので寿命が伸びたのではとのこと。
進化的には確かにそうかもと思うが、核家族化や個人主義の進んだ現代はそこが活かしにくくなっているなぁと思う。
老化改善の研究の話もあり、あと10年ぐらいで実用化の目処が立つかもというのは、希望が持ててありがたい。
他にも色々な知見が得られて面白いが、個人的にヒトとバナナの遺伝子が50%同じというのが面白かった。
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部活の同級生からの課題図書。読んでみて感想、聞かせて欲しいと。執筆当時59歳の細胞の老化の研究をしている生物学者のシニア論です。なるほど…ヒト以外の生物は老いずに死ぬ…のか。まさに「ピンピンコロリ」がほとんどの動物のスタンダードであることを初めて知りました。ヒトだけが死の前に老年期という時間を過ごすようになったことをこの前半で生物学者として、DNAの老化の専門家としてグイグイ語ります。(でも、暮らしの中で目にするおじいちゃん、おばあちゃんの犬はどう考えればいいのか?質問したくなりました。)その老いという時代を、どう生きるべきか?というテーマが後半に繰り広げられます。前半が学問の啓蒙的であるのに対して後半は研究というより著者の試論の様相を呈して来ます。人間ならではの「シニア」という存在に対する「おばあちゃん仮説」「おじいちゃん仮説」ぐらいからちょっとアレレ…って感じに思えます。そこには研究者のライフステージの移行に対する著者自らの問題意識の反映も感じます。本書ではシニアを『生物学的な「年齢」とは切り離して、知識や技術、経験が豊富で私欲が少なく、次世代を育て集団をまとめる調整役になれろ人」と定義づけします。いわく「徳のある人」…ホント?これって定年延長で給料が下がる説明会に集まったおじさんたちの心のモヤモヤを顕在化したみたい…。こうならばいいな、という願望としては理解できます。当事者の願望と社会のニーズがうまくマッチングするためには本書に書かれている以外の新しい仕組みが生まれないと難しいような気がします。死の前の「老い」という季節は個人の意識の問題なのか社会の仕組みの問題なのか?自分の別の友人は「高齢者に出来る社会貢献は消費だけだ!」と嘯いて高額のオーディオ商品買いまくる人もいます。ちなみにこの新書を読んでいる間に買ったばかりのスマホを紛失してしまい1時間ぐらい死んだ気分になりました。幸い直前にいた場所に落ちていて助かりましたが、確実に「老い」に直面してボロくなっている自分に落ち込みました。それがこの本に対する辛口気分の源泉かも。勧めてくれた友人と「老いの過ごし方」談義してみます。