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紙の本

「私は、未来ちゃんを幸せにすることで、私も幸せになりたいんです。だから……、里親を希望したのです……。」

2010/03/26 00:32

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildcat - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、『命のバトンタッチ』で語られた、
「右目負傷、右うしろ足切断、左足の指がすべてない」という
人為的な障害を負った柴の子犬・未来の物語の続編である。

『命のバトンタッチ』では、未来が
千葉県動物愛護センターの見学に訪れた
ペットシッターの山口麻里子さんに引き取られ、
里親さんのところに送り届けられるまでが語られたが、
本書では、未来が里親さんとともに学校に行き、
「命の授業」を行うことが中心テーマである。

『命のバトンタッチ』では明かされなかったが、
実は、未来の里親は著者自身なのである。

それが本書の冒頭で明かされることになる。

それがわかって『命のバトンタッチ』を読み直してみると、
ペットシッター・山口麻里子の目線で、
未来の里親としての著者自身を描いていたことに、
描き方としてのおもしろみを感じた。

山口麻里子と未来自身に焦点を当てたかったというのもあるだろうし、
そのとき(出版年は本書の3年前である。)は
まだ伏せておきたかったのかもしれない。

『命のバトンタッチ』のプロローグとエピローグは、
この『しあわせのバトンタッチ』につながる、
未来の散歩のシーンが描かれていた。

未来を散歩していると子ども達が寄ってきて、
どの子も心を開き、未来に話しかける。

それが、著者が命の授業を展開するきっかけとなったのだ。

一方、本書のプロローグは、
山口麻里子さんに助けられるまでのことが
未来の言葉で語られている。

  わたしは死ぬために生まれてきたのではありません。

  生きるために生まれてきたのです。

本書では、著者の手に未来が引取られたところから話が続けられる。

未来を散歩に連れ出すと話しかけてくる子ども達。

そのとき、著者は出前授業や講演会で出会った多くの子どもたちの声を思い出す。

  「自分が、何のために生きているかわからない―」

  「生きている価値が見いだせない―」

  「自分のことが好きになれない」

著者は、この答えは、未来が導いてくれるのではないだろうかと考える。

ここで思い出されるのは、『命のバトンタッチ』の中で、
著者が山口麻里子に語った言葉である。

  私は、未来ちゃんを幸せにすることで、
  私も幸せになりたいんです。

  だから……、里親を希望したのです……。

このときからすでに、著者にとって、未来の里親になることは、
「自分のことを好きになること」、
自己肯定感というテーマと結びついていたのかもしれない。

さて、未来は、病気ひとつせず、いたずらいっぱいで元気に成長していた。

  未来がもっとも不自由なく走れるのは、海岸だ。

  海岸の砂はやわらかく、クッションとなる上、
  短い右うしろ足が砂に埋まっても走ることができる。

  未来は走った―。

著者は、未来が1歳を過ぎ、成長したのを機に、
真剣に学校に連れて行きたいと考え始めていた。

著者は、命の授業で、『命のバトンタッチ』のストーリーにそって、
未来がすてられていた時から今にいたるまでを、写真を追いながら話を進めていく。

未来の学校でビューは、小学校3年生の78名の子ども達が最初だった。

本書ではその様子がそのまま講演のときのような話し言葉で展開されていく。

子どもたちの正直な意見もリアルに語られていく。

虐待されて、人間が嫌いで、
君を見たら唸ってくるような犬だったら、
君は飼えるのかという問い。

飼えない。

野良犬だったら生きていけるのか。

野良犬は住民からの通報があれば捕まえることになっている。

飼い主不明犬として捕まえられ、
動物愛護センターにやってきた犬たちはどうなるのか。

新たな飼い主が現れないかぎり二酸化炭素で殺処分。

かわいそうという言葉、
著者はここでもかわいそうは嫌いな言葉だとはっきり言う。

この犬のために何ができるのかと問いかける。

  誰かの責任にする……、
  誰かに罰を下すことが今日の授業の目的じゃないんだよ……。

  消えていく命に対してどう思うのか、
  みんながどう感じるのか、
  そして自分に何ができるのかを考えてほしいんだ……

未来がセンターに送られてきた時の写真を見た時の
子どもたちの反応も率直に書かれている。

そして、麻里子がこの犬を助けたこと、
だが、もしそれが自分だったら、
きっとその勇気はなかっただろうということも率直語る著者。

そして、成長し、変わっていく未来の写真。

本物の未来が登場したときの子どもたちの反応。

子どもたちの反応を見て著者は思う。

  生きていれば変わることができる―。

  どんなにつらいことがあっても生きていれば幸せはきっとくる。

最初と今の変化、それが生きていることの力だと、
著者は子ども達に伝える。

もう少し高学年に対しては、
著者は、自分のことが好きかどうかと問いかける。

それはなぜ麻里子が障がいのあるその子犬だけを
選んで引き取ったのかという問いにつながる。

なぜ健康な犬ではなく障がいのある犬を引き取ったのか。

麻里子の過去に焦点が当たる。

障がいのある犬を引き取ったのは、誰のためなのか。

その問いが自分を好きかどうかというところに返ってくる。

子ども達は、真剣に、率直に、深く、このテーマに関わっていく。

大人が思うよりもずっとずっと理解が深いのかもしれない。

しっかりと自分に引き寄せて考えている。

  どんなにつらいことがあったって、幸せはきっとくる。

  でも、それは、誰かに復習することでも、
  自分をきらいになることでもないよ。

  大切な誰かと自分自身を愛してまもれる、
  そんな生き方こそが、幸せにつながるんだ!

著者は、未来を育てて、経験したこと学んだことを、
命の授業を通して、子ども達に伝え、
同時に子ども達から学んでいるのだ。

未来の言葉で語られるエピローグは、
『命のバトンタッチ』のプロローグ、エピローグともつながっている。

本書は『命のバトンタッチ』の続編というだけではなく、
循環し、補完しあう関係なのである。

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2010/06/26 12:44

投稿元:ブクログ

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