電子書籍
芥川賞受賞作
2023/08/21 19:00
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投稿者:MA - この投稿者のレビュー一覧を見る
芥川賞受賞作ということで、普段から小説を読まない人間には難しいかと思いきやさくさくと読めた。
推しが殴った理由の解明などはなく一貫してファンの視点で進み、推しがいる人の心情を知ることができた。
純文学に興味を持つきっかけになった。
紙の本
推しの存在
2023/08/12 03:24
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投稿者:ゆかの - この投稿者のレビュー一覧を見る
昔はそれこそアイドルの推しがいて、使えるお金は本を買う以外ほとんど推しに使っていた。
主人公ほどのガチ勢ではないけど、それでも推しは生活の大きな一部だった。
だからその当時に読んでいたら随分しんどい読書になったかもな、なんて思いました。
主人公がこれからどう生きていくのか、生きていけるのか、そこがとても気になります。
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うーん,分からん.とても共感できないのだけれども,何か心に引っかかり感じてひどく気になる.そんな作品.さすが芥川賞受賞作といったところか.
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最初にページを開いて驚いたのは、行すくな!字でか!ってことですね。読んでいるうちに気にならなくなるけれど。
最初の一文がドストライクでずっと読みたいなーと思っていた本。わたしより年下の作家なのか。すごいな。
文章表現はすごく好みだったけど話の内容はそんなに。こんなに推しにはまったことないし、あかりみたいに不器用に生きていないから。
でも推し活の尊さについてはわかるわかる~って思った。背骨って表現と、青に統一した部屋と祭壇のシーンが特に好きだった。
あとがきを読んで、前作の表現に引きずられて大変だったことと、あえてこんなふうに読みづらい文にしたのだと知って、なるほどと思った。
話の面白さというより、表現を見返す本になりそう。
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「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい」
高校生のあかりを襲った衝撃的なニュースを皮切りに人生における"推し"の位置付けを考えさせられる1冊。
一概に推し活と言っても多様。
主人公のあかりはライブに行きCDを買い感想をブログに書くいわゆる正統派タイプ。
一方友達は裏で繋がりあわよくば付き合おうと目論む同担からしたら厄介ファンタイプ。
推しに迷惑が掛からない以上どれがダメとは言いきれない。
ファンの数だけ推し活があるのだ。
本書で推しを"背骨"と称したことが腑に落ち印象的だった。
背骨を抜いたら人は立っていられない。背筋が伸びている姿は自信に満ち溢れていて美しい。
そんな、自分がこの地に足をつけて立つための"背骨"という表現がとても素敵だと思った。
劣悪ながら推しという背骨に支えられていたあかりの私生活は背骨を失い破綻していく。
他者から見れば「そんなことで」で済む話かもしれない。
しかし、推しが、推しだけが、世界であり自分の生きる意味だと感じているあかりの心情を思うと胸が張り裂けそうだった。
余談だが、私にも推しという存在がいる。
世間には引退や卒業という概念がない推しもいるが、私の推しはあるタイプなのでいつかはその日がくる。
推しが更新されない世界で私の背骨は真っ直ぐあるのだろうかと思うと少し不安になった。
"推しは推せる時に推せ"
こんな怖い言葉はない。
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第164回芥川賞受賞作品。初の宇佐見 りん作品。芥川賞というと、個人的にはもっと読みづらい印象を持っていたので、予想以上にサクサク読めることに、驚きながら読み進めました❗
推しを愛するという、ちょっと怖いほどの偏った愛情を持っているあかりは、果たして本当に幸せなんだろうか?と考えながら、読み終えました。
著者によると本書は、題材自体は明るく文体はポップであり、もう書くことはないだろう雰囲気の作品であると述べているので、何れは宇佐見 りんを感じられる『くるまの娘』を読みたいと思います♫
本作は、個人的には好きな作品だけれども、面白いかどうか?と問われたら、決して面白いとは言えない作品でした❗
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読む人の環境やその時々の状況や気持ちによって、
捉え方が全く変わってくると思う。
思ってたよりも暗い話だった。
あかり目線で描かれており、
分かって欲しいことが伝わらなくて辛くやるせないあかりの気持ちも分かるし、
あかりのだらしないところが目についてしまって呆れてしまう周囲の人の気持ちも分からなくはない。
推しがいる女の子の話というよりも、
生きづらさを感じている女の子の話だと思った。
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推し、燃ゆ 宇佐見りん
昔、推し活をしていた自分は読み進めながら常に効いた。文体も所謂、『純文学』のそれではなくキャッチーさすら感じる。
推している人の心情を絶妙な按排で描写していると思う。特に、結末にかけての部分は読んでいて何か分からない感情を呼応させられた。
文庫本あとがきも、作者の他のことがもっと知りたくなる内容となっていたと思う。
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ポップな文体なのに推しがいない私でも読んでて辛くなった。
文庫本あとがきの学校のくだりの最後の部分は本当にわかる。
本編ではないけれどあの言葉が広がることを祈って。
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情景描写が文学的ですごいなと純粋に思いました。
さすが芥川賞。
ただ主人公のあかりに共感しきることは出来ませんでした、、
推しを持って自分を支えることはとても良い事だと思いますが、それが逃避でしかないのは良くないなと思ってしまいました。背骨ではなく杖として自分を支え、好転に向けて動く必要があるんじゃないかと、
ただ自分の想像力が及ばない部分もあるはずで、考えるきっかけを与えてくれる本でした。読んで良かったです。
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「推し、燃ゆ」宇佐美りん
オタ活をテーマにした現代の若者の考え、生き方が描かれた作品。
自分が好きなものを何故好きなのか、自分にとってそれの存在とは。
何かについてオタクと語る人なら共感できる部分が少しはあるかもしれない。
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恋愛感情の好きとは違う、別に向こうがこちらに気づかなくても良い、その方がいい、一方的に推すことに喜びを感じる。そこに生きがいを見出している。
程度の差はあれ、一度「推し活」をしたことがある人なら共感できる言葉が並んでいて勝手に嬉しくなった。同年代として、私たちのこういう気持ちも文学として受け入れてくれるんだな、という気持ちになった。
個人的には前作の「かか」の方がわたしには刺さった。読んでいる途中、「かか」とは結構テイストが違うな?と思っていたら、最後に作者本人が理由を述べてくれていた。本人の言葉でそこを説明したいと載せてくれたことに、すごく好感を持った。
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「TikTok世代のキャッチャーインザライ」、まさにだな。芥川賞!!!って感じ。いつの日かの川上未映子さんの作品を思い出す。
個人的には作品に深くのめり込んだわけでも、深く共感できたわけでもないが、金原ひとみさんの解説はわかりやすくて、痺れた感じ。こう解釈したら良いのか、ここまで深く広く理解すれば良かったのかと。もしかしたら、この主人公・あかりは発達障害だったのではないか。ままならない勉強、うまくいかないバイト、ひとつのものに熱中すること、この生きづらさは、まさにそうでは?と。
p.162 「あたしには、みんなが難なくこなせる、何気ない生活もままならなくて、そのしわ寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど、私を押すことが私の生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな」それがなければ、日常生活はおろか、立っていることすらできない、体を貫く骨。これは主人公が終盤で這いつくばる心にも聞いてくる、重く、切実な、唯一無二の比喩だ。
「重さを背負って、大人になることを、辛いと思っても良いのだと、誰かに強く言われている気がする」「その目を見るとき、私は、何かを睨みつけることを思い出す。自分自身の奥底から、生徒もふたもつかない膨大なエネルギーが湧き上がるのを感じ、生きると言うことを思い出す」これらの言葉に象徴されるように、あかりにとっては、人は生きる糧であり、術であり、目的でもある。そして同時に、今を生きる多くの人々にとって、押しが切実なものであると言う事実は、私たちが生きる社会の寄り方なさをも表している。例えば、かつて戦争中の日本では、兵力と労働力確保のため「産めよ殖やせよ」と言うスローガンが、打ち出され、国からの圧力により出生率が高まった。当時は、国と個人が簡単には切り離せない時代だったのだ。だが、現代人はもはや国とそのような関係性を保っておらず、各家族が指摘された時代すらも超え、家族と言う最小のコミュニティーへの帰属意識すら薄まっている。例えば、あかりの母は祖母に引き止められ、夫の海外赴任についていけず、涙を飲んだが、あかりはそのような家族の引力からも解放されているように見える。最後の砦であった家族すら解体されて個として生きるほかない人々が何を求めるのか、何と共に生きることを選ぶのか。本書はその問いの1つの答え、そしてその答えの先に見える景色を描いている。
現代人の多くは、この糸の切れた凧のような浮遊の中で、無意識に、自分を世界に、自分を日常に、自分を正に結びつけてくれるものを求め、押しをしているのではないだろうか。コロナ禍で、推しを持つ人が増えたのも、社会はいとも簡単に機能不能になる、死ぬ時は1人である、と言う事実がわかりやすく提示されたと言う理由からかもしれない。あかりも身をもって体験するが、自分自身の背骨を誰かに委ねるのはリスクを伴う行為だ。しかし、背骨のない生を、世界と自分をつなぎとめるものが何一つないまま整然と生きられるほど、人間は必然的な存在ではない。
しかし、本書を読んだとき、彼らの背骨とその喪失を描いた本書もまた、誰かの背骨となり、この世界を生きていくために足りない何か1つになり得るだろうと言う確信があった。誰かの手に取られ、背骨肋骨として埋め込まれ、誰かの中で行ける無数の「推し、燃ゆ」思うと、嬉しさと愛しさで爆発しそうになる。なんと愛おしい背骨、なんと強靭なたこ糸だろう。小説とは死ぬまで体を支える、消えない背骨になり得るのだ。喪失を描いた作品が、喪失を埋める。そんな神業を実現させた著者が作り出していくものを、ずっと何か1つ足りないこの体で、私は待ち望み続けるだろう。
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ずーっと読みたくてやっと読めた。
推しがいるのは今や当たり前?なようだが、控えめに言って生きる力をくれる存在なのかな、と。
主人公はやりすぎだと思うけど、ここまで好きなことがあるのは強いなと思った。
うまくいかない現実を推しへの気持ちで埋めて毎日をなんとか進んでいく、そんな主人公が少し痛々しくて悲しかった。
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私にも推しがいる。だから、物語の中の推しに対する主人公の気持ちや、周りの状況などはとても理解できた。
ただ、文章が残念ながら私には合わなかった。私の読解力が足りないからかもしれないが、頻繁に出てくる比喩表現がまどろっこしく感じ、共感できないものが多かった。そこで引っかかってしまい、あまり楽しめなかった。
だから、ラストの主人公がこれからどうするかという場面も結局どうしたいのか、文章から読み取れず、モヤモヤして終わってしまった。
評価が高く、話題になった本だったので期待し過ぎてしまったのかもしれない。