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読みにくかった。
群像劇のように描かれる田舎町のドキュメンタリー。ドキュメンタリーのため、特に物語の盛り上がりもオチもない。何かを学び取るにはわたしには知識も考察力も足りなかった。
舞台の町が、歴史的にもリバタリアンに占拠されてからもひたすらに税金を下げる努力をしてきたにもかかわらず、そうではない行政サービスの整った隣町と比べても税率がさほど変わらないのには笑った。
飼い猫が被害に遭ったという話で登場した女性が、実は統一教会の信者だったと知った時は俄然面白くなった。教会から離れ、町を愛するようになった彼女が、しかし、町の住みにくさに耐えられず引っ越していった時にはすっかり彼女に同情する視点になってしまっていた。
クマに襲われた被害者側が、役所に煙たがられ、周囲にも落ち度があったのだろうと非難されるのは、田舎の嫌な性質は世界共通なのかとがっかりした気持ちになる。
それにしても、(リバタリアンに限らず)アメリカ人の熊への態度は納得し難い。害獣駆除になんでそこまで慎重になるのか。
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[出典]
https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp/entry/2022/02/27/080000
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管理人やドーナツなど、街を対象に実験をしている本。
日本と文化が違うので、参考になるかは疑義が残ります。
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ニューハンプシャー州西部の森に埋もれたグラフトンを舞台に、"フリータウン・プロジェクト"実現の呼びかけに応じて続々と集結したリバタリアンたちが巻き起こした社会変化を記録したノンフィクション。移住者であるリバタリアンたちを含む住人以外に、本書でその存在を大きく取り上げられるのが、グラフトンをわがもの顔に跋扈する熊たちである。主にリバタリアン代表者による呼びかけが発せられた2004年からの約15年を対象としている。三部構成、約350ページ。
ニューハンプシャー州は歴史的にも課税や規制への反発が強い土地柄らしく、本書の舞台となる片田舎のグラフトンではさらにその傾向が顕著だという。だから政府や自治体による制限を極度にまで拒否することでユートピアを実現しようとする、"フリータウン・プロジェクト"実践の場としてグラフトンが選ばれたのは偶然ではなかった。序盤は、中心人物の一人でありグラフトンに移住した消防士でリバタリアンのジョン・バビアルツと、フリータウン・プロジェクト実現のために土地選びに訪れた4人のリバタリアンの男たちとの邂逅、そして彼らの呼びかけに応じて続々と当地に集結するリバタリアンたちの様子を描くところに始まる。
バビアルツを含め、本書には先住者と移住者を問わず個性的な住人が多く登場する。本書全体を通して度々取り上げられる代表的な住人としては、ベトナム退役兵で統一教会信者の女性であるジェシカ・スール。リバタリアンたちにとっては予想外の形で移住してきた、サバイバリストで共産主義者、"テント・シティ"の代表となるアダム・フランツ。心優しいおばあさんだが、ある問題行動で注目を浴びる"ドーナツ・レディ"。神からの使命によってグラフトンに現れた、ジョン・コネル。多くの章で個々の住人にフィーチャーすることでさまざまな視点から、時の流れとともにグラフトンに起きる変化や事件を伝えていく。
リバタリアンたちの登場によって引き起こされる小さな町の変化と交互しつつ描かれ、途中からはそれらと交錯する大きな要素として扱われるのが、グラフトンに棲息する熊たちの存在だ。ニューハンプシャーは周囲の州と比較しても熊の生息数が多く、なかでも舞台となるグラフトンはとくに多い。従来からの放任主義的な州や町の性格も大きく影響し、増え続けるグラフトンの熊たちは人間をも恐れず、人々の生活を脅かしつつある。このようなある種の自然災害と並んで、グラフトンにおける歴史的な火事の多さも彼らの日々に災いをもたらす。
著者にとっての、グラフトンにおける"フリータウン・プロジェクト"の成否は明確であり、ある程度は教訓として受け取れはするものの、この町における試みがリバタリアニズムへの評価材料に値するかについては疑問符が付く。発起人による呼びかけがあったとはいえ計画性は低く、移住者による課税の回避と削減への徹底したこだわりを除けば現実的な目標にも乏しく、参加者たちの怠惰さや身勝手さばかりが目立つ。邦題にあるような、「社会実験」としての記録に大きな期待を寄せて読むと、不満を残すかもしれない。タイトルについても「社会実験」を強調する邦題よりも、直訳すると『リバタリアン、熊に遭う』あたりになる原題のほうが、本書の内容や著者のシニカルな筆致のイメージにマッチしていると感じる。なお、本書で大々的に取り上げられる熊問題についても、リバタリアンたちが押し掛けた町の変化を伝える主旨からして、そこまで多くの紙幅を割くだけの必然性は受け取れなかった。
それを措いても、本書にそれなりの魅力を認めることができたのは、映画やドラマには表れる機会の少ない、現代アメリカのひとつの素顔を窺うことができたからだろう。個人的に「リバタリアン」と聞いて思い浮かべるのは、経済的な成功を収めた資本主義の礼賛者といったイメージだったが、本書に登場するリバタリアンたちの多くはあまり裕福ではなく、社会的にも奇異の目で見られることの多い変わり者たちに見える。そのような人々と先住者たちの言動や人間性を通して、普段は目にする機会の少ないアメリカの一面や社会のあり方を垣間見られる面白さがあった。
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途中から、飛ばし読み…。
アメリカ社会についてよほど興味のある人じゃないと、読めないのでは、と思った。
熊、怖い。
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内容に相応しい邦題をつけるなら『クマvsリバタリアン』というところでしょうか。
翻訳が生硬なせいか、ユーモラスな感じを狙ったと思われる文体がやや滑りがちにも感じられますが。
書いてあることは色々と考えさせられるところもあり興味深いです。
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第1部 野生との境界
食べられた猫
厄介な課税
論理的なリバタリアン
四人組の入植者
激した群衆
改修した管理人
自由の扇動
信念ある牧師
第2部 不揃いな成長
ユートピアの開拓
火災の歴史
牧師は紫がお好き
官僚と熊
人を襲う熊
第3部 無限の荒廃
猟師の群れ
襲撃のあと
密猟者の攻撃
牧師や窮地に陥る
隣人は苛立つ
勢いの拡張
実験の終わり
覚悟の旅立ち
あとがき 国家のあるべき姿とは
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まさかこんなに熊のことがたくさん出てくるとは驚き
と思ったが表紙のデザインや原題をちゃんと見れば
すぐに気づけたはずなのに…
とはいえ熊の行動もリバタリアンの行動も統一教会が
出てくるとかも色んな意味で面白かったが、なんか
読みにくかったかな
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読み始めたら、熊の話なので、アレ?ってなったんだけど。。。。
原題は
”A LIBERTARIAN WALKS INTO A BEAR”
じゃん。
コレって、まさに、熊の話だぞ。
熊に餌をやることに生きがいを感じてるドーナツ・レディの話とか。
実際に、ありがちな話だし、たしかに、この本の主旨は、政治や経済の話でもあるんだけど、それ以上に個別のストーリーが全面に出てくる。
この話を『リバタリアンが社会実験してみた町の話』という題名にして売ろうとするのは詐欺だよ。
少なくとも、この物語の、重要な要素である『熊』という単語は必要だろ。
でもまー、リアルな話を通して、リバタリアンって何か?それは可能なのか?
ということを、考えさせられた。
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他の人も書いているが、原題と日本語のタイトルが違いすぎ。
リバタリアンが熊のいっぱいいる町に入っていき、熊と遭遇したという話。
わかったことは、アメリカのリバタリアンという人達が、いわゆる自由主義者とかと全然違う、アナーキストであり、銃さえあれば法も警察も要らない、むしろ邪魔だという人達であること!
しかし、消防署もいらないとは凄い人達だ。
アメリカには熊がうじゃうじゃいて、人と隣接していること。
アメリカ人が銃に拘るのがよくわかった。
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ニューハンプシャー州。グラフトン。小さな田舎町。リバタリアンが移住してきた。税金は低ければ低いほど良い。公共サービスも最小限にすべき。図書館や消防署にも公金を出し渋る。個人の自由を最大限に尊重。しかしある日、町に熊が出没。熊の扱いも住民各個人の自由。熊にドーナツをあげるおばあちゃん。熊は次第に人間に危害を加えるようになっていった。
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リバタリアンというのが、どういう思想の範囲を指すのかよく分からないところもあるが、基本的には自分のことは自分でやるので、国は口出すなって感じなのか。税金払うなんてとんでもない。
かと言って、アナーキストとも違う。
要は、みんな、俺はこう思うなあ、って奴が、俺の自由のために勝手にするんだと言って集まるんだからうまく行くわきゃない。
最低限の、共生のルールすら決められず、じゃあ、動けなくなったら潔く逝けよと思うんだが、そこは公共が助けろよって、無理でしょう。
熊という否応のない条件もあったわけだが。
実際やっちゃって、それなりに続いたところが、米国の懐の深さっていうか、所詮はそういう田舎な国なんだな、と思わせた。
海外の、こういう奴系にしては、文章が読みやすくて面白かった。
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タイトル詐欺との感想もありましたが、私もそう思いました。原題は「リバタリアン、クマにぶつかる-アメリカの町とクマを解放するユートピア計画-」って感じなので、これを活かした方がよかったんじゃないかな。フリータウンプロジェクトと銘打って(「銘打った」のかもよく分からない)、たくさんのリバタリアンが移り住んだ場所ではあるけれど、戦略的に移り住んだというより、なんとなく成り行きな感じがするので、「社会実験」だとしっくりこない。そのために、特に最初の方は、私は何を読まされてるんだろう、という気持ちになってしまいました。
著者はきっと、関係が遠い話も含めてまるごといろいろ語りたい方で、原作もすごく煩雑なんだと思うけど、翻訳も分かりにくい気がしました。
最後の、訳者あとがきが最初にあれば、この本の趣旨がよく分かってよかったんじゃないかとまで思いました。
本の中身について、私はリバタリアンと比べたら断然大きな政府派ですが、放っておくと、政府はどんどん規制を強めるという意見には一理あるなと思いました。
自治も大事だし、税金を払ってる以上、政府を監視するということがセットなんだと思う。
単に税金を出し渋るだけでは、よい結果にはならないということは、この「社会実験」で明白だと思うけど、でも、こんな町もあるってことがアメリカの面白いところだなあ。
クマの話はクマの話で、リバタリアンとは別の話のような気もします。
餌やりなんて言語道断だけど、日本でも、クマ擁護派はいる。殺すのは可哀想っていうなら、じゃあどうすればよかったのか、ちゃんと知見が積み重ねられればいいな、そして、それが正しく人々に広がればいいなと思いました。
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アメリカの田舎町を舞台にした自由と管理、人間とクマをめぐるノンフィクション物語
リバタリアンが思い描く官僚的組織を最小限とし、自治・自責を是とする社会の実現はなかなか大変そうだ。
要点だけでも知りたい人は訳者の解説を読むと良いと思う
ーーー
リバタリアン
人格や財産に対する無制限の権利を求める思想
"入植者たちは、常に恐怖の中で生きていることから来る激しい憎悪を抱いて熊を嫌った。だが、彼らがもっと嫌うものがあった。税金である。"
"死は最悪の災いじゃない。最悪なのは服従だ。人間の心を奪うシステムの中で絡み合う、長年にわたる残酷さや欠乏や隷属に比べたら、すぐに死ぬほうがよほど思いやり深い。"
"言い換えれば、グラフトン納税者は1日に70セントほどを節約するために、カナンの住民が享受するものを手放してきたのである"
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もう、私達は熊とどう生きるかでいいじゃないですか?まぁリバタリアンと言っても軸は変わんないけど細分化されるし、個々の自由を希求するんなら群れるなとも思う。イデオロギー(グ)にしてもそうだけど、個人で消化しないから最初の理想から遠ざかる。しかし、個人で消化できないモノでもある。個人的に本書で引きを強く感じたのは、トキソプラズマに感染した人の症例。ネガティブな感情を恐れなくなり、陰謀論にハマりやすいって矛盾を両立させる正にカネボウに鬼。(鬼に金棒の間違いです。)