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ゆっくり読もうと思ってたけど一気読みしてしまった。言語は急速に発達してたけど心身がその進化についていけていないって感覚めちゃめちゃわかるな〜 いつもうまく言語化できないことに落ち込んでたけど進化の途中だから仕方ないやって思える笑 私は身振り手振りも積極的に使っていく
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ゴリラの集団と一緒に暮らし、ゴリラの社会や言葉と仕草でのコミュニケーションの取り方に詳しい山際寿一さんと、
小鳥・特にシジュウカラが群衆する山の中に寝泊まりして、シジュウカラの多彩な鳴き声の意味を解明してきた鈴木俊貴さん。
知能が高い霊長類と鳥類に詳しいお二人が、"言葉"という聴覚によるコミュニケーションについて対談したもの。
鳴いたり、叫んだり、囁いたり、歌ったり、声を発するには意味がある。
どのような時に声を発するかは、その生物が生きている環境によって大きく異なる。
どんな声を発することができるかという生物自身の体の構造も、どんな言葉の種類が使えるかに関係している。
犬とか猫はあまりおしゃべりをしないが、スズメなど小鳥はしょっちゅう鳴いているように思う。
集団で生活してるか否かの違いが大きいのだろう。
上手く生きていくのに仲間に何かを伝えるのは意味がある。
動物たちが鳴くのは、心があるからだと思う。
本書には「動物たちの心」という章があり、共感したり、嘘をついたりする話は面白かった。
本書の後半は、ヒトと言葉の話題になり、音楽や踊りや俳句にまで話題が広がる。
美徳と道徳、形式知と暗黙知、分ける言葉とつなぐ言葉、などの考察もためになった。
最近は文章を生成するAIまで出てきて、もはや理解が追い付かないほど"言葉"で溢れかえっている。
映画なんかも2倍速で観る人が増えていると聞くし、SNSなどでも文章を素早く読むことが要求されているのだろう。
その積み重ねで、全体が見通せず細部しか見れなくなって、文脈を読む力や行間を読む力が低下している。
人類がせっかく発明した言葉と文字なのに、全体の理解力が下がって正しく伝わらなくなってきている?
「じっくりと時間をかけて小説を読む」ことの重要性が増している時代になっているのかも知れない。
ヒトはこれから言葉とどのようにつき合っていくべきか、というテーマになってました。
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ゆる言語学ラジオきっかけ、
バリューブックスさんで購入。
鳥の研究者と、ゴリラの研究者が、
それぞれの分野から得た鳥、類人猿の「おしゃべり」についての対談。
ゆる言語学ラジオを聴いていなかったら絶対手に取っていなかっただろう本だと思う。
主にシジュウカラのコトバを解明するための実験の話なんかがラジオを聴いていて面白かった部分だったけど、その背景を知った上で読むエピソードの数々は、知っていても読みごたえがあった。
もちろんそれはゴリラの話も。
写真が豊富で、注釈もふんだんだけど読む時に邪魔になりにくい工夫があって、シンプルにとても読みやすい。
スルスルと読んでいくうちに、
気がつくと今度は人間の言葉について、現代の人間そのものについて、いろいろと考えさせられる。
お二人の対談の中に出てくる現代の人間がもつ課題、そこに至る仮説が、人間の環世界からは少し離れた、メタな視点から生まれるのがとても興味深く、これはシジュウカラやゴリラの環世界を出来るだけ体験しよう、近づこうとしてきた研究者のなせる技なんだろうなと思った。
動物好きにはたまらない、
でもうっかりスイスイ読み始めると、「人間、とは?」という思考の沼にあっさり捕まる。
面白かった!
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前半は二人の対談者それぞれの研究対象の言語・コミュニケーションについての紹介のようなお話。
文法の有無を探る実験手法のお話とゴリラの思い出の表出などが特におもしろかった。
後半では現代の人間社会の文字ベース・言語ベースのコミュニケーションの問題点というか、原始の人間や動物たちが生きていた世界との隔たりのようなものについてのお話になり、普段私も考えることのあるテーマだったので、より興味を持って読み進められた。
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動物たちは何をしゃべっているのか?
著者:山極寿一 鈴木俊貴
発行:2023年8月9日
集英社
いやはや、面白かった。
霊長類、とりわけゴリラの研究で有名なあの山極寿一さん。片や、ここ数年、マスメディアでも急速に紹介されてお馴染みになった鈴木俊貴さん(東京大学戦隊科学技術研究センター准教授)。鈴木さんは、鳥類、とりわけシジュウカラの鳴き声の研究で世界最先端を走っており、シジュウカラの鳴き声には文法があることまで発見した人。僕も、何年か前(去年か、一昨年?)にラジオでたっぷり話を聞いてファンになった。
この2人が、霊長類や鳥類のコミュニケーションについて語り、それで人間社会を分析していく。なんせ、実に興味深い話が対話のなかでどんどん出てくるので、本を1冊読んで2つ3つという原典を読むより、ずっと手っ取り早く楽しめる。
山極さんは、ルワンダで2年間、ゴリラと暮らした。抱き合って洞で寝たこともある。内戦激化で離れなければならなくなったが、26年後に再会するとゴリラは山極さんのことを覚えていて、鳴き声(言葉)で挨拶を交わし、急に子供の頃に戻ってひっくり返って遊びだした。
鈴木さんが小さな駅で電車を待っていると、まだ電車が来ていないのに「ガッタンゴットン」と音がする。よくよく見ると、カラスが止まって音真似をしていた。それを聞いた人間がぎょっとするのを見て遊んでいたのだった。
こんな話が出てきてとまらない。
Part1
シジュウカラ
見つけた天敵の種類により鳴き声が違う。ヘビなら「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」。タカは隠れればいいが、アオダイショウは木を登ってくる。対処を変えるためにこうしたことが必要。
シジュウカラに録音した「ジャージャー」を聞かせると、ヘビがいそうな地面を見回し、確認にいく。
20センチほどの木の枝にひもをつけて、木の幹沿いに引き上げながら「ジャージャー」を聞かせると、ほぼ確実にヘビと見間違える。枝を確認しにいく。
モズやフクロウに対して発する鳴き声「ヂヂヂヂ」を聞かせた場合は枝に反応しない。つまり、シジュウカラは単に枝の動きに反応しているだけという可能性は否定される。
カラス
駅で電車を待っていたら、「ガッタン、ゴットン」という音が小さく聞こえてきた。電車はまだ来ていないのに。よく見るとカラスが真似ている。それを聞いた人がぎょっとするのを見て楽しんでいた。カラスは基本的に開けた見通しのいい環境に住むため、視覚的なディスプレイでコミュニケーションが取れるため、鳴き声はあまり必要としない。
ニューカレドニアガラスは針金の先を曲げてカギづめ状にして餌のイモムシなどを穴から引っ張り出す。
東北のハシボソガラスは、道路を走る自動車にクルミの実を踏ませ、出てきた中身を食べる。
ゴリラ
1971年生まれのメスのゴリラ「ココ」に子供の頃から心理学者がアメリカの手話を教えた。2000を超える単語を使いこなし、組み合わせて短い文章も作れた。相棒が必要だろうと、カメルーンで野生のまま捕らえられたマイ��ルにやはり手話を教え、ココと手話で話してもらおうとしたが失敗した。彼らはゴリラの言葉で話すため。すごいのはその後、マイケルは捕らえられた時の様子を飼育員に手話で語り始めた。「僕は群れで暮らしていたんだけど、お母さんは密猟者に首を切られて殺され、僕は手足を縛られ、棒にぶら下げられて連れてこられたんだ」。
Part2
山極氏はルワンダで2年間、6歳の雄ゴリラ、タイタスと暮らした。雨の日に洞で抱き合って寝たことも。非常に親しくなったが、ルワンダ内戦により26年間、離れた。再会すると彼は群れのリーダーに。「グッフーム」と挨拶してもちらっと見るだけ。2日後にもう1度行ったら、今度はタイタスから近寄って「グッ、グフーム」の挨拶を交わす。顔が急に子供っぽくなり、大人がしない地面に仰向けに寝転がる。近くにいる子供ゴリラを捕まえて遊び出した。山極氏と子供の頃に遊んだことを思い出しに違いない。ゴリラはゆっくりと思い出す。
シジュウカラの鳴き声には文法がある。「ピ-ツピ・ヂヂヂヂ(警戒して・集まれ)」を聞くと集まるが、人工的に作った「ヂヂヂヂ・ピーツピ」を流してもそんなに警戒しないし、スピーカーにもほとんど近づいてこなかった。
シジュウカラとコガラが混群しているところでは、コガラの「ディーディー」(集まれ)がシジュウカラも理解し、集まってくる。人間が外国人と暮らしていると外国語を覚えるように。そして、「ピーツピ・ディーディー」を聞かせると、警戒して集まってくる。ルー大柴の日本語と英語の組み合わせ語のように。ところが、文法的に間違っている「ディーディー・ピーツピ」にはほとんど無関心。
野生のギンギツネのうち、人なつっこい個体だけを選んで掛け合わせると、40世代ぐらいで犬のようになった。人を恐れなくなり、尻尾を振り、頭が丸くなり、顔が平べったくなり、体毛に斑(まだら)が出来たりと、外見まで変わり、脳が小さくなった。オオカミが犬になるまで3万年かかったのに、キツネはたった50年。
(ソ連のドミトリ・ベリャーエフの実験)
他者が考えていることを推測し、理解する能力=心の論理を持っているのは、霊長類では、チンパンジー、オランウータン、ゴリラ、人だけ。猿はできない。社会の複雑さの違いだと思われる。猿の社会はわりと単純で、相手と自分とどっちが強いかだけが重要。
モザンビークのノドグロミツオシエという鳥は、 人と積極的にコミュニケーションを取ろうとする。ハチの巣を手に入れるため。人は焚火で巣をいぶしてハチを追い払う能力がある。ミツオシエは目がいいのでハチの巣を見つける能力が高い。みつけると、ミツオシエは人のところまで来て「ギギギギギ」と鳴いて誘導する。人間の側も見失ったら「ブルルルル」と声を出して呼び戻す。人がハチミツを手に入れたら、ミツオシエはおこぼれを頂戴する。
Part3
動物にも文化がある。宮崎県串間市の幸島のサルは海水でイモを洗って食べる。イギリスのシジュウカラには、家庭に配達された牛乳瓶の蓋をめくって、上にたまっている脂肪分を食べる文化があった(ノンホモ牛乳なので)。どこかのシジュウカラが始めたのが25年でイギリス全土に広まった���、単なる真似ではなく世代を超えて継承された。だから文化といえる。しかし、人間の側が牛乳瓶の蓋を開けにくく改良したため、この文化は滅びた。
音楽や踊りは狭義の言語が生まれる前から存在したコミュニケーション手段ではないか。踊りや音楽によって共感性は高まる。今でも国際学会の懇親会では必ずと言っていいほどダンスパーティーがある。人間が二足で立って歩いているのは、我々が踊ることになった原因ではなく、結果であるとさえ思う。踊るために直立二足歩行を始めたのではないか。(山極)
進化には制約がつきものだが、人間の場合、脳の巨大化に歯止めをかけたのは骨盤の形状。二足歩行を始めたせいで女性の骨盤形状が変わり、頭の大きな赤ん坊を産めなくなった。そこで、頭が小さい状態で産み、他の類人猿よりも長い時間をかけて育てることに。ゴリラの赤ん坊の脳は4年ほどで大人と同じサイズになるが、人はティーンエイジまで成長する。頭を小さいままにする進化が起きなかったのは、それだけ知性が重要だったため。
オランウータンのフランジ(成熟したオスの顔に現れるビラビラ)は、縄張りを持たないオスには現れない。たぶん、テストステロンレベルなどの影響。ところが、縄張りを持っているフランジのあるオスが死んで、フランジのないオスが新たに縄張りを持つと、その個体にもフランジが現れる。これは霊長類には多かれ少なかれ現れる現象。(144P)
サルの喧嘩は、勝った側は毛を逆立てて相手を睨み、負けた側は歯茎を見せて相手に媚びる(グリメイス)、という風に勝ち負けの態度がはっきりし、周囲のサルは優勢な方を応援してさっさと喧嘩を終わらせる。ウィナーサポートという。
ゴリラの喧嘩には勝ち負けがなく、必ず第三者が仲裁に入るし、絶対に勝ち負けをつけない形で仲裁する。もし一方が負けそうになったら、第三者は劣勢の側を応援して、勝ち負けがつかないようにする。ルーザーサポートといい、ゴリラのほかにも、ゲラダヒヒ、マントヒヒにも見られる。
ロビン・ダンパーが言うように、1万年ほど前に農耕と牧畜が始まるまでは、人類が過ごす社会のサイズは150人ぐらいだったと考えられている。大脳皮質の大きさと群れの大きさの関係性を見つけて発見した。ダンパー数という。そういう環境で我々の言葉は進化し、現代社会では、複雑になり、数千人や数万人の組織が当たり前になった。我々の心と体は150人ぐらいの集団を前提としてつくられていて、遺伝的には変化していないので、心身が置いてきぼりになっている。
Part4
霊長類は鳥になろうとした哺乳類で、人もそこに含まれていた。恐竜の全盛期はひっそりと夜の世界に生きていた。昼は鳥の祖先である恐竜が支配。しかし、白亜紀末期に恐竜が絶滅して哺乳類が台頭すると、その一部が木の上に移動。我々の先祖。木の上で暮らし始めた小さな哺乳類だったが、鳥やコウモリと同じものを食べていたのだが、飛べなかった。それ故に鳥やコウモリができなかったことを成し遂げた。体を大きくして、鳥やコウモリが食べない葉っぱや樹皮といった線維質を食べ始め、原始的な霊長類が誕生した。
空中を飛び回る鳥にとっては、ジェスチャーや視線といった視覚的なコミュニケーションよりも、飛びながら発信・受診ができる音声の方が適していた。だから鳴き声に。霊長類は広義のジェスチャー、つまり視覚的なコミュニケーションを一番重視している。鳴いたり、モノを叩いたりもするが、これはあくまで補助。人も視覚的コミュニケーションの動物。
人間の脳は、ここ1万年で縮んでいる。理由は単純で、脳の外付けデータベースをたくさん手に入れたから。代表が文字。文字に託せば覚えておく必要がない。地図があれば頭に入れておく必要がない。
猿の惑星や2001年宇宙の旅の冒頭シーンなど、言葉がなく、見る側に想像させるシーンが多い。しかし、今のアニメなんかは、一から十まで言葉で説明する。主人公の内心までいちいち言語化して視聴者に伝える。過剰な説明は、1995年から放映された「新世紀エヴァンゲリオン」から始まったのでは。1996年はウインドウズ95が発売されてネットの急速な普及が始まった年でもある。
文字は複雑で抽象的な情報を伝えられるが、文字にならない情報をすべて切り捨ててしまう。視覚的コミュニケーションを最も重視する人が、文字のみのツイッターが炎上するのは当たり前。
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最後は現代社会を憂いておきながら、そこら辺のおじさんでもわかるような希望を語って終わる
よくある対談本のつまらなさそのまんま
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動物の認知している世界とヒトの世界には重なりもあるが、互いに認知の及ばない領域があり、どちらが優れているか、という類いのものではない、という前提に立って、リスペクトを持って知ろうとする姿勢が肝要なのだ。
ヒトの言語の優れた面(「今」「ここ」以外を語る、ストーリーを組み立てる、文字というツールで複雑かつ抽象的な情報を時空を超えて伝える)を、テクノロジー(AIやSNS)の利便性を賢く利用して、言語化で切り捨てられる非言語認知、暗黙知、身体的共感性を意識的に補完することに未来を見た。
顔の見えない相手と文字でつながる世代の子どもたちこそ、文字の間になるものを読み取り伝え合う力を持てるとよい。
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シジュウカラ研究家の鈴木俊貴さんと、ゴリラ研究の第一人者山極寿一さんの対談本。
お二人とも、野外で長い時間動物たちと身近に接しながらその生態を研究するタイプの研究者だ。時間はかかるが、観察することによりわかってくることは多い。
シジュウカラは、特有の言葉で仲間に危険を知らせている。そしてその囀りに一定の文法があることを発見している。山極さんは、ゴリラの間近で生活することで仲間と認められることで、その生態を観察してきた。
人間には動物にできないことが多いが、動物にも人間にできないことがあるようだ。動物それぞれにできることはあり、それを尊重した発言には一家言ある。そして動物の言葉は、野生で生きていくためのものであるため、動物園のような安全で食事に困らない環境では、言葉はあまり発せないというのも納得できる。
動物の非言語的なコミュニケーションに興味がある人に読んでほしい一冊。
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対談形式でページ数の割にはよく言えば読み易いが、内容的には著書の多い山極氏であるため重複する部分も多いように感じた。
二者の化学反応というものもそれほど感じられないが、探求分野と我々の日常への結びつきは興味深いものであるので、動物の生態学から人間の存在を掘り下げる妙味は各者のより専門チックな書に尋ねてみるかと思う。
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いつも利用している図書館の新着本リストで目についたのでの手に取ってみました。
霊長類学者の山極寿一さんと若手動物言語学者の鈴木俊貴さんとの対談ですが、タイトルをひと目見て惹き付けられました。
動物のコミュニケーションの最新研究成果から「ヒト」という生物のあれこれまで興味深い話題が尽きない本で、久々に“面白かった”ですね。
人間社会の将来をあれこれ考えるに、示唆に富むとても刺激的な対話集でした。
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京大前総長にしてゴリラ学の権威の山極寿一氏とシジュウカラの文法を解明した気鋭の動物言語学者の鈴木俊貴氏による対談。文系人間の私にもわかりやすく読みやすかったので、朝読書にもおすすめの本です。
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小説エッセイ以外の本を買うことはめったにないけれど、装丁から帯から著書あいさつから全部が気になって購入。
だって、手話を教えたら、親が密猟者に殺されて自分は捕えられ、連れてこられたことを話し出したゴリラのことや、いくつもの鳴き声を使い分けて会話するシジュウカラのことを知っていましたか?
動物への見方が一変する一冊。
動物たちは決して劣っていないし、人間が上位の存在というわけでは決してない。
この本を読んで、【共生】という言葉の意味を考える。動物たちと寄り添って生きようという文句に、どこか人間優位さは滲んでいないだろうか。
動物たちは昔から同じ暮らしを続けているわけではなく、私たちと同じように日々進化し、柔軟に対応し、目の前のことに対応しながら頭を使って賢く生きている。
人間が言葉によって得たものと、失ってきた多くのもの、そしてAIによって失われようとしているもの。
お二人の対談でたどり着いた、人が人らしくいるために何が必要なのか。わたしは誰かとの共感が無くなるような世界で生きたくはない。
説得力ありすぎなお二人の対話に開いた口が塞がらなかった…!
そしてお二人の研究が、この本の内容が、きっと数年先にはもっと進化されているのだと思うとすごくワクワクする。
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シジュウカラの研究のために1年の半分以上森で生活する鈴木氏と、ゴリラの研究第一人者の山極氏の対談がまとめられている。
はじめは、霊長類や鳥類のコミュニケーションについて語っていて、「なるほど」と軽く読み飛ばしていたけれど、後半は、人間のコミュニケーションにも言及。「人の共同体の上限は150人。それより大きな集団は錯覚」「言葉の暴走」など、山極氏が語る今の危機的状況と未来への示唆は、一読に値すると思います。
動物に興味ないわ、という人も是非。
動物の世界がとても豊かであることと、人間の世界が脆弱さを持っていることを考えさせられる。
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ゴリラの山際さん、シジュウカラの鈴木さん。とても面白い内容!ヒトとして文脈を読む能力を養っていきたい。
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山極先生の、
身体的な道徳性の話が、
直近で自分が感じていた倫理観・道徳性の問題に示唆を与えてくれた。
-美徳から道徳が生まれた
言語により、文字化されたルール、
合理性は、そこから離れていくものだ
生物同士が集まって暮らして初めて体感する
道徳性というのは、少なからず存在すると思う。
リモートでなんでも出来てしまう環境だけれど
その便利性が道徳を遠ざけている、相関性はある。
そして、
ロヒン・ダンバー論じる
農耕社会においての人の脳150人が限界説。
大きな集団に対応するために脳が大きくなった
グルーミングの仕方が変わった
社会的グルーミングとして、
食事・音楽・焚火
ハレとケの文化
ハレは潜在下でグルーミングを
行っているのではと思う。
祭りの重要性。
押し活は形を変えたものかも。
11/26のイベントで
山極先生、鈴木先生、水野さんに
サインいただけて幸せだった。
生でお話伺えて、嬉しかった。
ありがとうございました。
ゴリラ本以来、時間×信頼・リスペクトの概念が変わった話を山極先生に伝えられ、
ゾミア回が1番好きで推していることを水野さんに伝えられ、よかった。
そして、鈴木先生の各所へ常に忘れない配慮の素晴らしさと、サインにまでみせる可愛さに感服。
これからも研究や発信を楽しみにしております!