現代の文化人は読むべき一冊
2024/06/01 11:40
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投稿者:カンダダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
動物がもつ言語の最新研究の結果を交えた2人の対談形式で、非常に読みやすく、難しい話もすっと入ってくる。
同じ動物としての人間の言語の誕生、道徳や美徳の誕生にまで話が広がり、現在、言語が文字、文章だけの形で大量に氾濫することへの警笛も鳴らし、人類としてどう進めばいいのか、まで言及されており、色々考えさせられた。
動物に関心がある無しに関わらず、文化人が必ず読むべき本のリストの一つとして挙げるべき一冊と感じた。
ヒトってなんだ?
2024/03/16 10:44
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投稿者:honty - この投稿者のレビュー一覧を見る
われわれヒトを一つの動物種と思うとなんとも、特殊で厄介な動物だろうか…。この本を読んで、まだまだヒトが分かっていないことは多く、完全に知ることができるなんて思うこと自体が傲りかもしれない。であれば、われわれヒトの身勝手な振る舞いを考え直し、この自然環境を守って一緒に共生していかなければならないのではないかと改めて強く思った。
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⭐︎5では足りないくらい、面白く興味深い内容だった。
ゴリラ研究者:山極先生と、シジュウカラ研究者:鈴木先生の対談形式。ゴリラ・シジュウカラ研究の双方からアプローチして、共通点や相違点を整理しながらヒトのコミュニケーションまで広げていく。
まず感じたのは、お二人の対談には大きな化学反応が起こっていること。全く違う動物の研究をしていながらお互いの研究に刺激を受け相手の言葉を繋げていく。自分の分野だけ主張しているのかと思いきや、受けて、伸ばしていく。対談形式は苦手な私だが、全く読んでいて不快にならなかった。それは、誰よりも非言語コミュニケーションの大切さを理解している方々だからだろう。相手を敬い知ろうとしないと、こうはいかない。普段から生きもの相手に知ろうとする行動をしているからというのもあるだろう。
人類と他の動物という二項対立をやめ、もっと俯瞰的に見ていかないと人類の言語に関する理解は深まらない。また、SNSの発達によって言葉に頼らない部分の認知能力が欠如してきている懸念。一から十まで説明しないと、漫画の主人公の心情が理解できないなんて、由々しき問題だ。
文字だけの情報、また文字を埋めるように感情を載せた形容詞だけではコミュニケーションは万全とは言えない。それに関して言えば、ヒトはもっと生きものから学ぶことがたくさんある。
自分自身のコミュニケーションも反省しながら、読み進めることができた良書だった。
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<目次>
第1章 おしゃべりな動物たち
第2章 動物たちの心
第3章 言葉から見える、ヒトという動物
第4章 暴走する言葉、置いてきぼりの身体
<内容>
気鋭の鳥類学者とゴリラ学の泰斗の対談。自分の興味は、シジュウガラの言葉、文法の話なのだったが、そんなことより(と言うより、鳥類学者の鈴木先生には主著がない…)、動物のコミュニケーション(言葉だけではなく、ボディランゲージなども含めて)から見えてくる人間の世界。21世紀に入り、バーチャルが進んでいく中、本来の「動物」としての、人間の能力の減退が予想され(すでに始まっている)、あまり明るくない世界が見えてくる気がする。この対談集から見えてくるのは、我々「ヒト」も、リアルな世界でのヒトどうしのやりとりが、豊かな世界を作っていくだろうこと、例えば戦争のない世界や揚げ足とりに終始するネットの世界が亡くなること、などである。
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ゴリラ研究で有名な山極さんと、シジュウカラの行動研究の鈴木俊貴さんとの対談本。
ゴリラも鳥も好きな私は、何故惹かれるのかと思っていたが、人間よりシンプルなコミュニケーションに憧れを抱いているんだと思った。
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シジュウカラの研究者とゴリラの研究者の対談ということで期待低めだったのですがシジュウカラやゴリラだけでなく動物の能力を引き合いに出しながら人間のコミュニケーションについて問題提起されていて面白く読んだ。
現代社会は言葉への依存が進み、さらに仮想空間やAIが存在感を増すと私たちは、言語化できないもの、仮想空間では表現できないこと(共感、感情、文脈)を認識できなくなるんじゃないか、なんて危惧はあるかも〜っと思ってしまった。
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おなじみゴリラ山極氏と最近注目のシジュウカラ鈴木氏の対談、おまけに「ゆる言語学ラジオ」水野氏の編集とあっては、買うしかない。ということで、即予約して購入。
個人的にまさに気になっていることが話されていて、一気読みしてしまった。
人間は世界を感覚(五感なり科学的測定なり)で受け取り、言葉で理解する。だが、感覚には限界がある。そして、言葉にも限界があるのだ(普段意識しないかもしれないが)。
もちろん、人間は人間なりのやり方(科学と言ってもいいかも)でやっていくしかない。しかし、そのやり方に限界がある以上、この世界の中に捉えきれない領域が残ってしまう。そのことは、少なくとも認識しておくべきだろう。そして、「人間とは違うやり方」をしている動物から学べることは多いはずだ。
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子どもに薦められて読んでみました。自分のようなゴリゴリの文系人間でもすんなり読めました。鈴木先生のシジュウカラのフィールドワークや山極先生のゴリラの手話の話などは夢中になって読みました。音楽、ダンスからの言語的な考察も興味深かった。そしてSNSや言葉だけによるコミュニケーションによる人類の退化の可能性は気になりました。
先日ちょっと話題になった化学を「ばけがく」と言うと通じない問題もそれとは無関係ではないのだろうな。
こういう自然科学も社会科学もまたがる学際的な研究はどんどん進めてほしいし研究資金を出してほしいと心から思いました。
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動物たちがどんなコミュニケーションを取っているのか、というタイトル通りのコンテンツももちろん面白かったです。
でも、個人的には1番面白かったのは「人類がどのように進化を遂げ、現在の言葉によるコミュニケーションに至ったか」という部分。
人間のコミュニケーションの本質は、踊りやジェスチャーなどの視覚的なコミュニケーションや経験を共有することなどにある、という観点はとても面白かったです。
科学に近い分野なのに文系脳でもわかりやすく、言語学系の話も読み応えのある、ページ数のわりに骨太な本だったと思います。
この本を読むとなぜか「会社の人と飲みとか行ってみるか」となって、飲み会の予定をいくつか入れました(笑)
編集者をきっかけとして本を買うことはきっと最初で最後だと思いますが、とてもいい本、いい先生方にまた出会えてよかったなぁと思います。
水野さん本当にありがとうございます。
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ゆる言語学ラジオで紹介されていた本。
シジュウカラのコミュニケーションが特に面白かった。シジュウカラの「警戒、集まれ」という意味の発音を録音して、再生して実際に鳥が動いたときは感動しただろうなあ。逆順にしても動かないので、そこには明確な文法があるそうです。鳥のコミュニケーションに単語レベルならまだしも、文法があるとか本当にすごい。
無意識に人間は他の動物とは違う特別な存在と傲慢に考えがちですが、他の動物に出来て人間に出来ないことはたくさんあるよってことを教えてくれる本でした。
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「動物たちは何をしゃべっているのか?」読了。
いろいろな驚きと視点を与えてくれる本でした。本当にタメになった!
元京大総長であり霊長類研究、特にゴリラと共に暮らすという身体を張った研究をされている山極寿一さんと、シジュウカラの言語の研究者としてTVなどにも出演している鈴木俊貴さんの対談を書籍化したもの。
タイトルからは、動物はどれぐらい言語を操れるの?、ということが書かれているのかな?と思っていました。シジュウカラには文法がある、とか、ゴリラは人間とコミュニケーションできるとか、そんな感じの。
ところがどっこい、もっともっと深いテーマに発展し、動物の一種である人間についての考察にまで言及されていました。
人間vsそれ以外の生き物、という二項対立に落とし込んで物事を考えることの危険な一面。人間が「言語」を持ったことによる優位点と、その裏にある負の側面…。
そして、ここ数十年で一気に普及したテクノロジーによるコミュニケーションの落とし穴。
ゴリラ研究についてのエピソードや、シジュウカラの言語の話などの、動物たちのコミュニケーションの話もたくさん書かれているうえに、私たち人類がこれから考えていかなくてはならない「言語」との付き合い方まで、幅広い話題の本でした。
刺激になりました。
SNSを使ってのほほんとしている場合じゃないですよね。本当に。
人類、なんだか退化していませんか。本当に。
※この本は、いつも聞いているポッドキャスト「ゆる言語学ラジオ」のメインスピーカー水野大貴さんが編集した本。ポッドキャストを聞いて知った本だけれど、読んでよかった。ほんと。
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シジュウカラの言語やコミュニケーションの研究をする鈴木さんと、ゴリラの言語やコミュニケーションの研究をする山際さんの二人による対談本。お互い、対象こそ違えど、動物の言語、社会を研究する研究者同士、話す中で出てくる、話題の共通点や違い、話の広がりが本当に面白かった。
前半は、主に、それぞれの専門とする動物たちのコミュニケーションの実際や研究に関する話だった。
シジュウカラの鳴き声に単語のような意味はあるのか? その鳴き声に文法はあるのか? 鳴き声を聞いたシジュウカラは、その単語の映像をイメージしているのか?
こうした問いを元に、人間のようにコミュニケーションを取れない鳥の言葉をどのようにして明らかにしていくのか、その研究方法もユニークで面白かった。個人的には、43ページの見間違いを利用した実験が好きだ。イラストもかわいい。
手話を教わったことで、過去の記憶を語り出したゴリラや餌の場所を正確に覚えている鳥。お母さんを騙して餌を手に入れるサバンナヒヒ。チンパンジーも心の理論を理解できるなどなど、動物も人間と同じように過去の記憶を持ち、思考していることが多くの研究で分かっているらしい。後半は、こうした動物の進化から、人間の言葉や現代のコミュニケーションの課題に話が発展していく。
動物の研究が、ただ動物について詳しくなる、というだけでなく、自分たち人間の言葉や社会を見る新しい視点になるという展開が、なるほどと思った。
何よりすごいと思ったのが、鈴木さんも山際さんも、そういった動物たちの「知性」を、実際に森に入り、動物たちと暮らす中で見つけたことだ。最後の章で、山極さんは「自然は、同じことを二度と繰り返さないんです。だからこそ新しい発見があるし、そこに喜びがある」と言っている。
フィールドに出るからこそ目にできる事実や、得られる空気感から新しい気づきがある。そういったことに気づける目を持っていたいと思えた。
動物だけでなく、人間の「言葉」というものをもう一度振り返ることのできる本だった。
動物の言葉に興味がある人はもちろん、心のどこかでやっぱり人間は動物とは違う、という素朴な気持ちを持った人にこそ呼んでほしい。
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動物たちは何をしゃべっているのか?
山極寿一 鈴木俊貴 集英社
ジュウシマツとゴリラの群と言語
単語を繋ぐ文法もあり
違う種族間のコミュニケーションもあり
嘘や冗談もあり
手腕を教えると過去の思い出話をし
人間は視覚に特化しているが
それぞれが五感の何を主に使っているかで
自然の捉え方もまるで違うわけである
言葉に始まり文字による対話ななり
活字やインターネットやLINEやSNSの
利用によって肌感覚を失った
事務的なつながりへと落ち込んで行くと
どうなるか?
心や意識を無視した唯物的価値観に
支配されてしまう事に対する問題に
取り組まなければならないだろう
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動物たちは何をしゃべっているのか?
1章 おしゃべりな動物たち
動物も、人間の言葉のようなアウトプットの手法がないだけで、仲間との会話や思考はあるのかもしれない。動物の心や思考は豊かなんです。
ところが、それはあまり知られてこなかった。理由の一つは、人間こそが動物の頂点であり、他の動物たちはもっと下等な存在であるというヨーロッパ的な思い込みがあったから。
でも、その逆だってありえると思うんです。動物にできてヒトにできないことも山ほどあるわけですから。知能力も同じなんです。コウモリは超音波で空間の様子を把握できるし、チンパンジーが、ヒトより優れた短期記憶能力を持っていることは有名ですよね。
一度、人間と動物という二項対立から離れて、もっと俯瞰的な視野から言葉や人間の能力とは何なのかを理解する必要があると思うんです。そこでやっと、人類が進化の過程で言葉を手に入れた意味は何なのかがわかってくる。
適応とは、平たく言うと、言葉を使える個体のほうが使えない個体よりもよりうまく生存し、たくさん子どもを残せたということです。その結果、言葉に関係する遺伝子がその集団内で広がっていった。逆に言うと、ある動物がどういった言葉をどれだけ持てるのかは、住む環境に左右されると思うんです。言葉を使うことが有利にならない環境に住む動物なら、言葉の遺伝子は広がらないですから。
この章のまとめ
・動物たちも言葉を使う。従来思われていたよりもずっと高度な会話をしていることもわかってきた。
・動物たちの言葉は環境への適応、 つまり生存や繁殖のために進化した。だから、住む環境によって言葉も違う。
・動物の言語の研究は、 とても難しい。安全でエサももらえる飼育下では、 動物はあまりしゃべらなくなってしまうから。
・天敵やエサなど、生存に直結する重要な情報をカテゴリーにしたことが、動物たちの言葉の発祥かもしれない。
・人間の母親が赤ん坊にかける歌のような言葉は、 ヒトの言葉の起源の一つかもしれない。
2章 動物たちの心
・動物たちのコミュニケーション手段は言語だけではない。踊りや歌も、重要なコミュニケーション手段。
・シジュウカラの言葉には、複数の語を組み合わせる文法があることがわかった。
・他の個体の心を推測したり、 鏡に映った自分を自分だと認識する能力を持つ動物もいる。
・「今」「ここ」以外について語れることは、人間の言葉にしかないユニークな能力だ。
・だが、大量の画像の記憶など、 動物にあってヒトにない認知能力もある。動物はヒトとは違う認知世界に生きている。
3章 言葉から見える、ヒトという動物
・人間の言葉は、音声言語だけではなく、ジェスチャ—として始まったかもしれない。
・多くの研究者は、動物にも文化があると考えている。学習との違いは、世代を超えて継承される点にある。
・直立二足歩行によって踊れるようになったことや、歌の存在は、ヒトの一言語の進化と関係があるかもしれない。
・動物たちは鳴き声だけではなく、文脈や視線、身振り手振りなどを同時に使い、複雑なメッセージをやりとりしている。
・人間のコミュニケーションは「形式知」である言語に依存しているが、動物のそれは「暗黙知」を多用している。
4章 暴走する言葉、置いてきぼりの身体
・霊長類の進化史をたどると、ヒトはもともと音声よりも視覚的なコミュニケ—ションに頼っていた種であることがわかる。
・文字は複雑で抽象的な情報を伝えられるが、文字にならない情報をすべて切り捨ててしまう。
・ヒトの言語には、個別の記憶をまとめて一つのストーリ—にする力がある。
・現代社会が言語に依存することで、ヒトは非言語的な情報を認識できなくなるかもしれない。
・テクノロジーをうまく使えば、言語から切り捨てられる情報と現代社会の利便性を両立させることはできる。
言葉は諸刃の剣である。私たちは日々言葉を駆使して世界を解釈し、 自分の気持ちや考えを表現して多様なつながりを作っている。しかし、一方で私たちは言葉に翻弄され、誤解や疑いを引き起こし、 敵意や恨みを感じたり、企みごとに巻き込まれたりして心身を傷つけている。まるで目に見えない魔物に取りつかれたように 、言葉に
よって闇の世界に引きずり込まれることがある。
いったいなぜ、こんなことになったのか。新約聖書が、「はじめに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と述べるように、つい最近まで人間は言葉を持つがゆえに他の生物と峻別され、この地球の支配権を神から任されたはずであった。
しかし、現代の科学によって人間の絶対性が揺らぎ始め、人間が地球を管理するどころか大きく破壊していることが明らかになった。このまま放置すれば、人間は自らを滅ぼすことになるだろう。その原因の一端は、私たちが言葉に依存し過ぎていて、別のタイプのコミュニケーションをおろそかにしていることにあるのではないだろうか。
20世紀の前半に、ドイツの生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは「環世界」という概念を発表し、 動物はそれぞれの感性に従って別々の環境に暮らしていることを指摘した。同じ場所にいても、 ハエとイヌと人間が認識する環境は違うというのである。
同時代の哲学者マルティン・ハイデツガーは、 ユクスキュルの言葉を誤解して「動物は人間より貧しい世界に暮らしている」と解釈した。それは違う。動物たちは人間とは違う能力を使ってそれぞれに豊かな環境で暮らしてるわけであって、 けっして人間より劣っているわけではないのだ。
カラ類や類人猿のコミュニケーションは、 それぞれが生息する環境で豊かに安全に暮らすために進化した。人類の言葉も進化の歴史を反映しており、もともとは多様な環境で小規模な集団が生き延びるために発達したものだ。その機能を、人工的な環境を急速に拡大し、 それに合わせた情報通信技術を駆使することによって大きく変容さ
せた。
私たちの心身はまだSNSやインスタグラムに適応できていない。私たちの話で浮かび上がった人間の原初的で本質的なコミュニケーションを頭に描きながら、賢く言葉を使える世界を作ってほしいと思う。
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二人の研究者の対談は、とっつきやすい話から始まり、だんだんと深い話になっていく。対談が進むうちに、対談することで二人の考えが深まっていく。ヒトが、森を出て以降、どういうふうに情報や思いを伝えるようになってきたのかという仮説と、それがこの数十年でどのように変化しているのか、どういう問題が起きそうか、という考察がある。検証の難しい仮説だけれど、現在のヒトの社会の課題を考えるのに必要な仮説だと思う。科学ってこういうことなんだなぁと深く感じた。それと..会って話をして、話を深めるというお手本だと感じた。あ~あ、面白かった。