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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1759417143660294564?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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朱先生ってこういうことを考えているのか。わかりやすく書いているが、専門家向きだと思う。ロールズからはじまって現在の政治的な状況をいろいろ哲学的に考えてるやつで、非常に興味深いんだけど、細かいところはいろいろ微妙な感じもありで、同世代、あるいはちょっと上の世代からの詳細な書評を読んでみたい。特に「正しいことば(の使い方)」っていうので考えているものがどういうものなのか……あがっている文献は、なるほどいまどきの若い先生たちはこういうの読んで育ったのか、という感じがある(ローティが専門なのね)。
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人権…は人類の普遍的価値/正義のはずなのに、ことば・表現として使いこなせてない、変な使われ方が多い……。ではどうする? と、自分のことばの使い方、慣れ親しんでいるはずのことばとの向き合い方について、考えを整理できる1冊でした。
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こういう言語哲学の本を読むと、いかに自分がモノを考えられないかがよく分かる。難しいコトバが使われているわけでもないのに理解できない。
ロールズの正義論やローティの政治哲学が紹介されるけど、てんでついていけない。もう頭が考えることを拒絶してるんだな。さみしい。
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ポリコレに対するめんどくささや、相対主義をどう克服するかという課題に対して、最近は考えている。
そんな折、この本に出会い、思考の整理ができ、次に行けた気がする。
この本ではまず、諸課題に対して、多様な人が関わり、会話を続ける(つまり常に改善し続ける)ことが一番重要であるとし、それを主眼に置く。
すると、相対主義や、経験の訂正不可能性(それらをひとまとめにこの本では会話の「事故」と表現する)のそれらはすべて会話を止める可能性を孕むことになってしまうので、良くないとなる。
論破とか「お前は若いからわかっていない」とかの言動もその類になる。
その事故をなるべく起こさないために、ロールズを引用しながら、「善」と「正義」を分け、「正義」の土台となるのが、公平であるとしている。
各人の宗教的な思想や信念を「善」、それとは別に、社会的な正義があると。「正義」とは、ここでは生産物を適切に分配する制度・システムを指す。適切とは公平であるとしている。
例えば、トランプ支持者は熱心なキリスト教徒であり、その信念に従い、頑張ってきたが、
今や移民やLGBTQのようなマイノリティが政治上の議論の俎上に上がっており、彼らにとっては、これまで頑張ってきた自分たちを差し置いて、割り込みされていると感じているとされている。
このとき、マイノリティを目の敵にするのではなく、彼らがよくなるためにはどうしたらいいかを検討しようという姿勢こそ正義に与するし、会話を止めないことだと。
LGBTQのような今までは可視化されていなかった弱者を公平(フェアネス)に救い上げる。
彼らがすくわれることと自分が救われない(ように見える)こととを切り離すこと、
LGBTQの問題の場合、ヘテロセクシャルの時点でマジョリティ側に属しており、マイノリティとの力の勾配を是正することが公平への前進であり、ひいては「正義」に寄与する。
ただ、言っても我々は同族や同じ境遇にいる人に対しての共感をしてしまうもので、対岸の火事は他人事に見えがちである。
ここで、善と正義を分ける意味が出てくる。
つまり、そういうことは正義(社会・制度・システムの問題)として考えればよい、自分個人的な善においては、近いやつを愛せばよい。
こういうロジックを提示してくれる。正義のレイヤーを個人的な善に過剰に押し付けられてしまうと、うっとおしくなるのである。
ただ逆の話もあって、正義と善とのレイヤーが違うということであれば、
なんでもかんでも自己の善を通すことつまり「言論の自由」を盾になんでもかんでも発言していいとするような態度を取ってよいのかという話にもなる。
ここでも、結局公平さが軸となる。ここで、「積極的自由と消極的自由」という概念を導出する。
つまり人から指図されない自由である「消極的自由」と、自由に自分を表現できるという「積極的な自由」である。
このとき消極的自由が積極的な自由よりも優位に立つとし、積極的自由の行使は他人の消極的自由を侵さない範囲でということになる。
その範囲とは、残酷さのない範囲だと。身体���・精神的な苦痛は割とどんな思想信条でも共通認識がされやすいからと。
ここで、個人の善と正義がぐるっと一周回ってくる。
どれだけそれら二つの概念を分けたところで、我々は社会的生物には変わりなく、生まれ落ちた時点で自分の場所をとる(そこに他の存在が存在しえた可能性を潰している)。
我々の善に従った行動自体が、残酷さに容易に加担することもある。それが無自覚に不公平の再生産に寄与してしまう。
そこで、会話である。
不公平の再生産の歯止めをするためには、現状で残酷さの渦中にいる人の声を聴くこと。
そういう人たちは言語を奪われていることもおおく、非言語的なコミュニケーションも会話として拾い上げることが大事。(ここで筆者は物語の重要性を説く。)
ポリコレはその意味で有効であると思う。つまり、残酷さにいる人々の代弁をしているのだ。
会話を止めないことが課題解決につながる、そのために今、残酷さを抱える人達の声を拾い上げて制度・システムに還元すること。
(それが仮に自分の信条を変えることになろうとも。例えば、女性軽視の文化で育った場合においても、それを変えようとするような。)
それが正義への道であり、他人との会話を止めたり、信念の押し付けをしたり、過剰に他人の利害に首をつっこんだりすることはそれに寄与するものではないと一蹴するような態度が大事だなと感じた。
読後、相対主義は正義に与しないということで、自分の中でストンと腑に落ちたし、
ポリコレは正義に寄与するものであると理解しつつも、少ししんどいときは、一定の距離を置くことも可能ではないかと思った。
なんというか、この本の言ってることは、
お互いの信条・思想を押し付け合ったり、優劣つけようとするよりも、どっちも大変ってことで、解決していこうぜみたいな、非常に前向きな哲学だなと思う。
前提としてなんとか会話を続けることで、なんとか解決に向かえるとしていけると信じているので。
読者として課せられた課題は、現実問題として、正義を適切に分配する制度・システムとしたときに、何をもって適切とするかを考えるべき事項だなと感じる。
例えばそのときベーシックインカムみたいな制度が求められるのではないか。
また残酷さの低減をするという際、非言語的なコミュニケーションを取り上げるために、物語が重要だとしているが、そうすると、共感性の高いもの、つまり過剰に劇的なものが目立ってしまい、不幸自慢のような争いになりそうな気もする。残酷さの優先順位など、政治的にどう決定するのかについても考えたい。
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ロールズの正義を用いて、学術的に書いてある本でしたが、あまり理解出来ませんでした。まあ私の頭の悪さから来てると思われますが。
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「正義の反対は別の正義」という、もっともらしく聞こえる相対主義に対して著書は明確にNOを突きつける。
ロールズの理論を使い、人それぞれに異なった〈善〉はあるが、それとは別に絶対的な〈正義〉は存在するのだと解く。その正義とは、例えば残酷さの拒否、信仰を強制されない自由であったりする。
正義とは個々人の価値観の違いを超えた社会的合意を可能にするための構想であり、どのような構想を正義として選び合意形成するのかというプロセスこそが政治なのだと説く。
めちゃくちゃ理想論ではあるが、政治に理想を求めるのは当然であり、それをお花畑と笑ったりどうせ変わらないのだという冷笑的な市民の態度こそが、政治の腐敗を招くのだということは肝に銘じておきたい。とても良い本だった。
それってあなたの意見ですよね?という某ヒロユキの有名フレーズについても、「どっちもどっちという泥仕合に持ち込もうとするテクニック」「ただひたすら負けないことを目指している戦術」と断じる。
少し長いが、すごく納得できて感銘を受けたので引用すると、
『ここでの「負け」とは、相手の主張を受けて「自身の信念を改訂する」というかたちで影響を受けることを指すでしょう。そうすると、この論法の使い手は、他者から影響されることを「ダメージを負う」「恥ずかしい」ことだと考えているということになりそうです。社会とかかわりながら多様なことばづかいを学び、自己を変容させることが「敗北」であるというルール設定は、きわめてエクストリームなものだと思いますが、そうした特殊なルールを支持する「観客」がいることもまたたしかなのです。こうした態度に通底するものは「まちがっていたくない」という怯懦なのです。
わたしたちがもっとも広い意味でことばを介しておこなっているコミュニケーションの基底を「会話」と呼ぶならば、それはけっして「勝ち負け」がある、対戦相手を論破するゲームではない、というあたりまえの点です。』
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「世の中には正しさの押しつけや決めつけがあるのではないか?」
そんな疑問に対する気づきを求めて手に取った本。
主張は自分の意見という意味で一人分だけ主張しようという趣旨が貫かれている。
いくら自分は正しいと感じていても、それを人に押し付けるものではない。
ここまではよくある話。
この本の特に参考になる部分は次のこと。
自分の正しさと相手の正しさがぶつかり合った時、どう折り合いをつけていくかにページをさいて主張が展開されている点。
もちろんこれにも唯一の正しさなんてないけど、
「みんな仲良くしよう」「話し合いで解決を」「思いやりの心を」みたいな、
実際には何の役に立たない正しさよりも、よっぽど役に立つ内容だと思いました。
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酷暑ビブリオバトル2024 決勝 2ゲーム目で紹介された本です。ハイブリッド開催。
2024.8.12
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多分噛み砕いて書かれているのだが、読んでいて頭がこんがらがった。
ことばづかいが決定的に重要だということ、ことば選びを日々繰り返していること、正しいことばを使いこなすことの大切さは経験を持って理解しているつもだけれど…
積極的無関心のすすめ
ことばをもてないことの「残酷さ」
については興味深く読めた。
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ロールズとローティの論を中心に論を進め、他の哲学者の論も絡め丁寧に論を進めている。トランプ現象や日本の道徳教育、論破など現代にはびこっている問題を具体的にはさみ理解しやすかったが、ただ哲学的な論も多く、理解が十分できたかは疑問である。ただ会話の重要性、ことばの大切さは理解できたし、最後に言葉を持てない人たちに対する我々の責任性は「正義をめぐる会話」を決してあきらめずにつないでいくことである。
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2024年に買い、2025年03月に読み終えた。2023年に書かれたことが今になって重要な読みの角度になる本になっていた。
正義ということばを複数のありうる「善構想」から切り離すということ、会話を止めないということ、その提案自体は今でも通用すると思う。しかし、その案が見せる希望に対して現実は大きく逆行してしまった。トランプ再選の今にハリス元副大統領の演説に未来の可能性を垣間見ることは、すくなくとも向こう4年間は難しくなってしまった。
「会話を止めない」ということについても、議論の余白があるように感じる。2024年の映画『アプレンティス: ドナルド・トランプの創り方』で悪徳弁護士ロイ・コーンが若きトランプに仕込んだような「勝つための三原則」は、平等を求める人にとっては分断の言葉であるのに、彼ら徒党のエコーチェンバーの中では「続いて」しまう。「あちらの言葉は会話を止めるものであり、こちらの会話は会話を止めないものとはいかず、ついにはトランプの再選さえ許してしまう。そういう話法について言語哲学の立場から処方箋を、この著者が再度示すことが今後ありうるにしても、それはおそらく2023年時点に書かれたこの本のような語り口からは大きく異なるやり方で書き直されることになるのではないか。
のちに同著者が『100分で名著: リチャード・ローティ「偶然性、アイロニー、連帯」』で扱った虐殺言語と分断、そしてローティにとっての文学の可能性については、この本の処方箋部分をより補強するようなものとして見返すことができそうだ。2025年の今、トランプ陣営とイーロン・マスクが繰り返す虐殺言語に対して私たちはどんな連帯の言葉を繕ってゆけばよいのか。それはこの著者だけが担うべき責任ではなく、平等の理念が日々踏み躙られることを嘆く人々全員が共同で応えてゆくべき課題ではあるが、この著者の繰り出す今後の言説にも期待したい。
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新聞の記事で著者のインタビューを読み、興味を持ったことから手にしてみた。
「正義」や「公正」は、個人の価値観や気持ちの問題ではなく、それを超越した(内包していると言ってもいいかもしれないが)「公共のインフラ」のようなもの。文化や慣習が違えば正解が違ってくる(別の正義がある)ものではなく、全く別の次元のものである、という主張だ。
非常に興味深かったのは「他者の利害関心への無関心」「無関心としての寛容」という考え方。確かに、現代はこれがことごとく不足していて、それこそSNSでどこかの誰かが発信したことに、さも自身への攻撃かであるように批判中傷するような過剰な反応は、いつもどこかで見聞きすることができる。誰かが何かをしていることに対して、自分の価値基準で過剰に評価している。不安要素に対して「何もしない」でいることに耐えられない。
本書でも「多様性を尊重する社会は、同時にある種の不安定さをかかえこまざるをえない」と言っているが、ありとあらゆる場面で膨大な情報がやり取りされ、あらゆる人と繋がりうる現代では、やはりネガティブケイパビリティが求められているということ。と同時に、声なき声をなかったことにしない姿勢、声高に主張できる強者の圧倒的な「力」を自覚し続けることについて深く考えさせられた。
哲学書は、往々にして、わかったような気はするけど消化しきれないみたいなことになりがちなので、若干おそるおそる、という感じに読み始めたけれども、本書はわかりやすく丁寧に言い換えされていて、思いの外とっつきやすかった。私なりに咀嚼はできた気がする…かな?だといいな。
言語哲学、なかなかに面白そう。他の関連書も読んでみようと思う。
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「正義」という言葉を、ただの「それぞれが何を良いと思うか」という段階から一つ上の次元として捉えるという発想がとても面白かった。
「それってあなたの意見ですよね」
「それぞれの正義があるんだから」
といった、SNSで見られる強い言葉たち。
それを見るたびに感じていた窮屈感を解剖してくれました。
私事ですが、最近Xを久しぶりに開いて、強い言葉や魅力的な言葉があふれるタイムラインの刺激に、また中毒になりそうだったけど、この本が面白くて、読書に時間を割いていきたいよなと思わせてくれました。