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投稿者:ビリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
とても良い青春小説として読みました。
時代背景も、もちろん関係あるけれど、それは単に短い期間に凝縮されたという事だけで、物語自体は誰にでも起こり得る、淡い物語だと思います。
惜しむらくは作品が少し短く感じて、もっと長くこの物語の中に浸りたかった笑
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今、読むならタイムリーな作品だと思う。ロシア、ウクライナ侵攻、ロシアがソ連だった頃のエストニアでの主人公ラウリ・クースク、コンピュータプログラミングの天才。先が知りたくハラハラドキドキの展開、読む手が止まらず一気読み。コンピュータプログラマーがいかにして生まれたかが良くわかる。ラストの感動の再会はふるえました。
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国に翻弄された男の物語。
なりたいものやりたいことがあるのに国のせいでできなくなっていく…。
国は一新できて嬉しいだろうけれど国民はそうとは限らない。
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Amazonの紹介より
1977年、エストニアに生まれたラウリ・クースク。コンピュータ・プログラミングの稀有な才能があった彼は、ソ連のサイバネティクス研究所で活躍することを目指す。だがソ連は崩壊し……。歴史に翻弄された一人の人物を描き出す、かけがえのない物語。
ソ連崩壊の時代を生きた子供達。その激動の中で、差別や制限といった状況の中で、子供達が将来を奪われてしまったことに何とも心苦しく感じてしまいました。
題名の「ラウリ・クースク」ですが、架空の人物ということで、歴史上の人物じゃなくても、実際にいたんじゃないかと思うくらいのリアルさがありました。
歴史上としては名を残さなかったまでも、周囲の人達にとっては貴重な存在であり、そこでの登場人物同士の友情に素晴らしさを感じました。
物語の構成としては、ラウリを取材しようとする「私」と過去のラウリ視点での2つの視点を交互に展開していきます。
なぜ、一般人のラウリを取材するのか?そもそも取材している「私」は誰なのか?
「私」視点では、そういったミステリアスな部分も垣間見れたので楽しめました。
後々誰なのか。なんとなく誰なのかは想像できるのですが、明らかになった時の衝撃は良かったです。
過去のパートでは、現在に至るまでのラウリの人生が学生時代を中心に描かれています。初期のプログラミングに興味を持ち、次第に特別な存在へと変わっていきます。
その背景では、周囲との孤独、分かち合える仲間といった友情にも触れられていて、激動な時代を生きた人達の苦悩に今のウクライナ情勢でもこういったことが起きているのではと思ってしまいました。
個人的には、もう少し特別な存在としてラウリのことを描いても良かったかなと思いました。淡々としていたためか、あまり激動といった時代の雰囲気は感じず、友人との出会いと別れを前面に出していたためか、あまりソ連についての時代背景が薄いようにも感じました。
それでも、現在パートでは、過去編を補うかのように、それまでに至るまでの状況も描かれていたので、苦悩の時代を生きたんだという状況は理解できました。
友情がいかに大事で、それがどんなに励みになるのか考えさせられました。
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その昔(私の学生時代)、ロシアはソ連(ソビエト連邦共和国)と呼ばれていたが、いつからか呼び名が変わった理由を今更ながらに思い知る。舞台となるエストニアで生まれ育ったラウリ・クースクの少年時代の暮らしやコンピュータとの出会い。
タイトルの意味がわかった時の驚き。おもしろかった!さすがIT先進国!
内容とは直接関係ないけれど、国ではなく市民ひとりひとりの“情報管理”に対する意識の差を考えると、マイナンバー“カード”ってなんなのよ〜とガックリしてしまった。
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現代の天才、だと勝手に思っている宮内氏の新刊が出た。本作、大作というものではなく、気軽に読めるものだが、素朴でかつ非常にリアリティある現在進行形な物語、他にありそうで無い何故か涙無くして読めない友情物語だった。
何気ない日常が、国家や時代で切り裂かれてしまう、という話は物語としてはよくあるかも知れない。よくあるかも知れないものを、改めてさらりと描いてしまい、何かしらの新鮮さが付加されているのが、ある種の宮内氏の得意とする表現の一つなのかも知れない。
エストニアがIT先進国であるのは今や有名だが、バルト三国とロシアの歴史は個人的に知らない事が多く、2023現在も進行中のウクライナ戦争にも繋がる、学びだった。
余談で内容と全く関係ないが、クラブでかかっている音楽がドラムンベース、というのがまたリアリティと時代性があり、さすがだなーと思った。
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8/30発行の出来立てほやほや作品、
それはそれは素晴らしいフィクションで、1日で読了。
エストニアがIT大国になった訳や旧ソ連圏の人たちの間で存在する憎くて親しいロシアを、ソ連崩壊前夜からウクライナ侵攻という今に至るまで、途絶えることのない歴史の荒波に呑まれながらも生きるエストニア人とロシア人の物語。彼らのような人たちは、今日もどこかで生きているのだろう。
ぜひ!!!
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「この受像機のなかに、本当の世界がある。本当の世界は、コンピュータという箱を通し、人の前にその姿を見せる。プログラミングという呪文が、それを可能にする。」
絵であったり、文であったり、歌であったり、様々な形で自己を、世界を人々は表現する。その手段の一つとしてプログラミングを考えることも、なるほどあるだろうと思える。
論理的な命令が、例えば映像化されていく様子をみるとそこに無から有の出現が起こる。刺激的で楽しくて、あらゆるものを対象とするために様々な勉強をする。機械との関わりだけれど、その気持ちを支えるのは友人の存在。
「生きるってのは人とのかかわりあいだよね。」
幼い頃の友人の言葉は世界の本質をついている。
世界の中心に自分を置く事は傲慢で、人は関係の中で存在している。その事実だけが大きな苦難をも乗り超えさせてくれるのだと思う。
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読み終わったあとも、同じ世界を見れるラウリとイヴァン、2人にとってお互いがどれだけ救いになっていたのかに思いを馳せると胸がじんわりあたたかくなる。素晴らしい余韻に浸れる物語でした。
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ラウリ・クースクはエストニアで生まれた。言葉を話すのが遅かったが、鉛筆と紙を与えるとおとなしく数字を書き連らねた。千を超えても万を超えても上機嫌に数字を書き続けていた。五歳の時に、父親が勤め先から壊れたTRS-80のコンピュータを持って帰って来た。数日父親があちこちをいじっていたらなんとか直ったようで、ブラウン管につないで電源を入れると黒地に白の文字が浮かび上がった。それからラウリはコンピュータにとりつかれた。学校に行くようになると算数はともかく国語ができなかった。そして学年が進むとロシア語が入って来た。ロシア語が嫌でたまらなかった。学校にコンピュータが入ってきてラウリは得意なものができた。そんなラウリに担任の先生は、放課後コンピュータが置いてある部屋を使っていいと許してくれた。ただし、そのかわりロシア語を頑張ってもらわないといけないと言ったが…。コンピュータの好きなラウリが動乱期のエストニアでどう生きていったかを描く。
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実在した人なの?まだ生きてる?
電子国家エストニア。
コンピュータとは人類にとってなんであるか?
まず、バルト三国を検索した。なるほどロシアのお隣。
1977年に生まれたラウリ・クースク。
地元の小学校では、ジャイアン的な存在のやつにいじめられていた。
でも、小学生にして、プログラミングが優秀だったので、先生が背中を押してくれた。
得意なものがあると、人生に光がさす。
進学先には仲間がいた。イヴァン。
毎日一緒にいたい、情報科学の仲間。
尽きない話。
13歳の頃、まだ子供で、夢がたくさんあって、毎日が本当に素晴らしい日々だった。
でもそれも長くはなく
エストニアとロシアの摩擦が国民の心を蝕んでいた。
人々の不満が蓄積している。
クラス内でも派閥が生まれている。
カーテャとイヴァンと3人がいつまでも仲良しでいられますように!
そうできない国の情勢が苦しい。
バルトの三国は独立し、ソ連は解体。
3人が一緒にいられなくなったのは、ちょうどその時期だった。
ロシアの大学へ行くことは叶わず、ラウリは、紡績工場で働く。
なんといじめっ子だったアーロンと再会。
しかし、アーロンも過去に色々あり
変わっていた。遺書には泣けた。
サトシ・ナカモト→ビットコインの祖。
それよりも先に、ラウリは、ブロックチェーン技術を開発。
国と国民のデータを守る技術。
大人になったラウリ。
13歳の頃の仲間と再会の喜び。
まっすぐ、したたかに生きる!
データは不死。
3人の友情の話でもある。良い話だった。
学校図書館◎
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三冊目の宮内悠介。どうしてこの小説家はこんな物語の舞台と主人公を設定出来るでしょうか?「あとは野となれ大和撫子」の中央アジアの架空の王国アラルスタンの後宮での日本の少女の大活劇、「かくして彼女は宴で語る 明治耽美派推理帖」では大正時代の実在の芸術家の集まり「パンの会」での芸術青年たちの推理劇…今回はデジタルガバメントで存在感を増すエストニアでのコンピュータを巡る青春劇です。もしかしたら一番、不意をつかれたかもしれません。道具立てがBASICを使ったMSXでのゲーム作り。その頃起こり始めた世界のコンピューターオタク第一世代のシンクロニシティです。ただそれがエストニアというソビエト連邦に連なる共産国を舞台にしていることが特異な物語となっています。現在のIT立国まで至る縦糸が,ソ連の崩壊、エストニアの独立という変化という横糸と編み合わされて唯一無比の物語になっています。しかし主人公たちの喜び、恐れ、怒り、傷つき、後悔、喪失はなんらこちら側と変わらなく普遍的なものです。だから胸苦しくなるのです。三作読んで、なんとなく気づいたのですが…もしかしたら作者は見た事も無いような舞台で、青年少女が大人になっていく、という永遠のテーマを描いているのかもしれません。そして翻って考えると、あちら側、こちら側というボーダーはなくなり、もはやこの小説を読んでいる日本という国も内乱のアラルカンや大正デモクラシーど真ん中の時代や独立直後のエストニアを特殊な舞台と言っていいの?ってことを言っているようにも思います。ウクライナ戦争やガザ地区を彼岸と思っていることに揺さぶりをかけてくるような気がします。
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久々の一気読み。国籍で壊れていく友人関係。そもそも国籍って何?区別しなければならないもの?一緒に生きていてはいけないの?自分の力ではどうにも出来ない社会情勢に翻弄された才能ある若者達。今世界中のみんなで読みたい一冊でした。
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激動の時代をあえて「何もなさなかった」人物の足跡を辿る形式で描くことで、かえってそのダイナミックさが鮮やかに演出される構造は気持ちが良い。
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ソ連時代のバルト三国・エストニアに生まれたラウリという少年の伝記的創造小説。
激動の歴史の中で表舞台に立ち、歴史に名を刻むのは一握りの人々だが、その時代を生きた人は数えきれないほどおり、そのひとりひとりに歴史がある。
時代の波にされるがままに流され、時には立ち向かうように逆行していく。停滞の日々もあるだろう。
史実ではないのに、リアルな血と肉を感じるラウリの生きた痕跡。その足跡をたどる旅にはまだ先に道が見えるようだった。
デジタルネイティブと呼ばれる世代が誕生するほど、現代の私たちの生活は電子機器やそれに準ずるものであふれている。日本でもデジタル庁やマイナンバーカードなど触れることのできない空間に私たちの半身にあたるであろう物は漂うように保管されている。
幼少期のラウリにはどこか発達障害的な傾向が見られたが、横並びの教育から大学、社会人ともなればその特殊性こそが強みになるということも感じた。