もう少しというか、もっともっと実例を並べて欲しかったです。
2012/01/27 23:59
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投稿者:toripyon - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルや中身の紹介から、全国の「面白い」方言を集めて、いろいろ楽しんでみよう、ということかなと早合点して読んだら、全然違いました。著者は、「もともとの出身地でない方言」を「コミュニケーション用に使用する」(例えば、東京生まれなのに、コミュニケーションに雰囲気を付けたいことから、関西弁を使う)ような事例を「バーチャル方言」と呼んで、アンケートとかテレビドラマの旧作の視聴を通じてひたすら研究して解説する内容なのです。実例はほんの少し。解説山盛り。これって学術論文そのままなのかもしれない。かなり無味乾燥。
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かつては方言をからかわれて自殺する人もいたこともある。しかし、今や方言はむしろ使うことで個性を引き立てる働きもある。いや、その方言の真の話し手でなくても、方言はその人を際だたせる働きをする。本書はこのような方言に対する人々の価値観の変遷を、アンケート調査によって調べただけでなく、たとえば坂本龍馬の土佐弁がいつからテレビで用いられるようになったかを過去の映像を使って調べている。それによれば、かつては標準語でしゃべる龍馬もいたらしい。それが、土佐弁を使うようになるのは、司馬遼太郎の『龍馬が行く』の映画化(これは武田鉄矢の龍馬?)からで、本格的に使い出したのは、つい昨年放映された福山龍馬かららしい。ぼくは、最近(2011/10)高知に初めて行って、タクシーの運転手さんに聞いてみたが、福山の土佐弁は最初は聞いておれなかったが、だんだんうまくなったという。うまいのは武知半平太、吉田東洋役をやった役者さんたちだったという。その運転手さんの話では、昔は外からの客に対してはつとめて標準語でしゃべっていたが、最近は土佐弁を使う方が評判がいいらしく、つとめて使っているということだった。国立国語研究所の調査でも、首都圏で「しんどい」とか「なんでやねん」という関西弁がけっこう使われるようになっているという。面白い本だが、ちょっと深みに欠ける感じはする。
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「方言」についての考察。
方言を使っていた元の状態から、メディアの発達に従って排除する気運が強まり、それへの反対運動がおこり、ムーブメントが起こり…と紆余曲折していく様子が記されている。
この本では、方言ごとのイメージ調査も行われている。
たしかに「この方言ってきゃわいい★」などと言うイメージってあるような。
テレビドラマでの坂本竜馬のセリフについての分析が楽しかった。
たしかに、演出として方言を入れ始める前の状態もあったんだなー、と。標準語をしゃべる坂本竜馬。
本来の土佐弁を知らないから、なんとも言えないが、脈々と受け継がれている竜馬の言葉は、「坂本竜馬弁」でしかないのかもしれないなあ。
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昔、方言は悪いもの、直さなければならないもの、とされていた時期が、確かにあった。
TVタレントの話す東北弁はズーズー弁と言われ、手っ取り早いお笑いの対象になり、話すタレントにとっても、明らかにウケを狙ったものであった。
意味がわからないと言われればそれは、馬鹿にされコミュニケーションを拒絶されることでもあった。
私は東北の中規模の町で育ったが、親に「TVの言葉で話せ」と教育された。生粋の地元の友だちのように話すと叱られた。
おかげで、方言はあまり身に付かず、親戚などに会った時に、回りに合わせて頑張って話す言葉、となってしまっている。
これを読むと、それがちょうど、方言→共通語、標準語へ、という全国的な流れの中にあったのだな、ということがわかる。
それにしても、方言的な言葉を悪い言葉、嫌な言葉としてカードに書かせ焚き上げる…なんて、まるで魔女狩りだなあ。でもそういったことや、それに近いことがあったのは、記憶としてというより、感覚的に覚えている。
大学での方言の授業で、標準語で育った人たちの中から、「外国語のようだ」「(方言を)ちょっと話してみて」などの発言が出て、私は激怒した。
意味がわからず外国語のように感じるのは、その人がその方言を話す人とコミュニケーションをとったことがない(足りない)のを露呈しているだけであって、方言が特殊な言葉なのではない。
話し言葉は人との関係の中で成立するのであって、さあ、いまここで話せと、それだけを取り出せるような見せ物ではない。
と、相容れなさと憤りを感じことを思い出した。
そんな方言がいまや、「カッコいい」とか「面白い」とか「和ませる」とか、どちらかというとプラスのイメージになっているらしいけれど、本当にそうなのか?そんなにミーハーな話でいいんだろうか?
根はもっと深いのではないだろうか。
支配と被支配、差別と被差別まで続いている話ではないかと思うのに、軽々と乗り越えてヨカッタヨカッタ素晴らしい、と楽観的にとらえていいのか、それとも懐疑し続けるべきことなのか。
迷いが残る。
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途中で読み飽きてしまって、最後は惰性で読んだ。
普段なんとなく感じていたことをうまくまとめてもらった感じ。ただ、ちょっと長すぎる気がする。
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方言についてを考察した本で,社会学系の本。
読み物としても面白く,方言についての変化を分析している。
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龍馬はいつから土佐弁キャラになったのか?等の興味をひく切り口で現代の方言文化を分析。私は生粋の東京弁を自称してるからか?、「ジモ方言」て概念の存在が余り納得いかなかったけど。
語尾を変えたり方言にする事で言語の内容に加えて別の意味(元来は出身地、でも、この本で言う、アクセサリー化方言として、プラスα)を伝えられるのは面白いなって思った。ある程度、各方言の持つイメージが共有されてるからなのかな。
ヴァーチャル方言・リアル方言・ニセ方言などの現状分析は、そうだね~って。とにかく素敵な言葉は継承していけたらいいと思う。
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役割語としての方言の存在を意識調査・メディア分析から述べている。
多く肯定的な方言イメージを載せているが、
他府県から「汚い」と言われる方言域に住んでる者としては、
やや一面的で、納得がいかないところがないわけではない。
構成としては、方言の受容や価値観の変遷(2章)はわかりやすい。
メディアにおける龍馬語を追った4章は長く読みづらかった。
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「方言コスプレ」。
可愛いから使ってしまえ大阪弁京都弁青森弁広島弁土佐弁博多弁。
でもそれって本当に可愛い「方言」なのか。そのイメージは何によってできたのか。
金水の「役割語」とともに読みたい。
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方言が果たす役割。
個性、イメージ作り…。
方言がもつイメージがその県民性を固定化し、固定化されたイメージがさらに方言がドラマ・漫画・映画などで使われることによって、より「キャラ方言」となっていく。
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日本語社会が共有する方言ステレオタイプを踏まえたバーチャル方言が流行っている。方言札に代表される方言否定・方言撲滅の時代から,共通語の陳腐化=方言の復権,発話者のキャラ付けや心情の表現に用いられる地域と接点のない「偽方言」の普及といった歴史的経緯も踏まえて論じる。データや細かい分析が多くちょっと読みにくいのが難点。
方言の栄枯盛衰,そして変容。この一連の課程にはもちろん様々なメディアや多くの作品がかかわってきたわけだが,司馬遼太郎『竜馬がゆく』の果たした役割はかなり大きい。あの小説・大河で土佐弁を喋る龍馬が確立し,『龍馬伝』ほか後続の作品でも踏襲され,一大キャラ方言「龍馬語」として日本人の間の共通理解になっている。真偽はともかく流布したもの勝ちという点も言語の本質をえぐり出していて,全体的には興味深い読書だった。
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かつて「恥ずかしいもの」とされていた方言やなまりだが、数年前の方言ブームなどを経て、そのイメージはがらりと変わった。京都弁は女らしい、などのキャラクター性を持つようになったが、中でも土佐弁は「龍馬語」とも呼ばれ、坂本龍馬を想起させるステレオタイプにまでなっている。従来とは異なる、方言の新たな力について考えさせられる。