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山下紘加氏は前回の、あくていに続く、2作目の読書。あくていに比べ、内容がどうこうと言うよりも畳みかける言葉の量が多すぎて、結構難航した。一つの表現が様々な比喩の如く、溢れ出し展開して行き、最終的に何のことだっけ?っなる。笑
前半の熱量から、この作品の猛烈なヤバさを感じ、期待値が爆上がりしたが、その後爆発の連鎖に至らず。
しかし、この作品は黙読より、明らかに音読すべき作品で、ヒップホップな言語の波に乗って下さい。女性の生理的な描写なども強烈にエグい。この作家、かなりヤバくて凄いです。間違いない。
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あくていが良かったので本作も読んでみた。
変わらず文体と表現が好きだ。
ただまだ表現のリフレインは化ける余地がありそう。
物語の筋はドロドロ過ぎて好みじゃなかった。
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これは共依存というべきなのかな。大人になって2人の関係性が崩れていく様がリアルだった。
特に女子特有の空気感や、生理の描写が生々しい。
こういう文体は初めて触れたかもしれない。
読了後の爽快感?はなくモヤモヤした感じで終わるので、結末が明確に分かるほうがいい自分にとってはうーんという感じ。
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女性の濃い友情というか、束縛というか、
緩やかな支配というかそんな感じ。
濃い付き合いは苦手で、あっさりした付き合いしかしてこなかったので
共感というよりは、そうなのか〜と思った。
身体に関する描写は共感するところが多かった。
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語彙力がすごい…
一つの物事に対して、どれだけ多くの言葉を使って表現できるか、みたいな、「言葉」を楽しめる作品でした。
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1回目の読了ではまだ味見をしただけという感覚。
この作品を味わって飲み込んで消化するには
もっと自分の読解力が必要だなと思った。
女性の共依存というか、拗れた関係の描き方が絶妙。
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ホンタメであかりんが紹介していたので読みました。
洗練されたワードチョイスで著者の語彙力すげ〜!となりました。
物語は女性同士の友情で
主人公はドライな性格かと思いつつ友達への支配欲?庇護欲?が強く自分の思い描く友達でいてほしいという想いが強そうです。
友達は少し学習障害の気がしていて(本編でそのワードは出ていませんが)抜けているというか少し心配になる性格で、それが故に主人公の依存度が上がっている感じもしました。
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描写がうまい。感想としては、ただただ親友がかわいそうだった。でも恋愛感情はないけど、友達の1番でいたいみたいな気持ちは、ちょっとわかる気もした。
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「分かる〜」と安易に言えない人物像が良い。
涼子の一人称で杏奈に対する依存、嫉妬、所有欲、その他諸々の思考でほぼページが埋まっているのだが、それでも理解が出来ない。
後半の杏奈の危うさや涼子の2人の関係の終わりに突き進む複雑さはホラーのようで顔を歪めながら読み、読後、呻いた。
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ほんタメ文学賞あかりん部門受賞作。
こういうのを読むと、人ってこんなに誰かに寄りかかったり執着したり、人間のこと好きなんだなあと客観的になってしまう。
私の人間嫌いな面が露呈するというか。
私には分からない感情だな〜。
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複雑な感情をここまで言語化できる語彙力表現力が素晴らしいと思う。歪んだ執着心、嫉妬心、支配欲。私には理解できない感情が多かったけど、それでもそれがどんなものかはとても伝わってきた。
主人公は賢く、他者や自分をここまで理解しながらも、相手を支配しようとすることはやめないし、やめられない。ターゲットに選んでいるのがお馬鹿そうな子で、優しい言葉を駆使しながら自分の支配下に置いているのがとてもリアルで怖い。相手を一個人として見ているようで見ていないと思った。相手を思いやる自分を創造して免罪符にしてる感じ。
最高にもモヤるけど、こういうのは大好きです。
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涼子の安奈に対する清濁併せ持った思いが、ぎっしりと詰まっていた。涼子にとって安奈は、親友という関係は優に超え、家族とも違い、自分の一部のようだ。愛おしい気持ちを抱き、かけがえのない存在でありながら驕る気持ちが勝り大切にできない、何とも不思議な関係だ。自分の経験とは一致しないのに、涼子の気持ちがどこか理解できる感覚があり、不思議な気持ちになった。
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安奈に触れるとき、私はいつも無意識のうちに利き手ではない方の手を伸ばしている。物心ついた時から使い慣れ、あらゆる刺激を覚えた利き手よりも、非力で運動機能に欠け、遅々として拙く、ときにもどかしくすら思う利き手ではない手の方が、私に新鮮な感度を与えてくれた。その行為は、安奈に対する私の感情の尺度でもあった。(p.3)
会おうと思えばいつでも会うことが可能で、だがいつでも会えるもんねと卒業式で言い合って別れた会おうと思えば会える距離にいる友人とはもう何年も会っていない、誘われれば会う、会いたいとも思う、でも自分から誘う理由がない、誘う理由を探しているうちは実はそこまで会いたいわけではないのかもしれない、と自分の感情を推し量る。(p.12)
仮に思い出せたとしてもどうしようもない、どうすることもできないことを思い出そうとしながら、私は現在の地盤を踏みしめる。会議室の、直立と着席を何度繰り返しても跡のつかない、組み替えた脚もヒールの踵の音も吸収する平坦なタイルカーペットの上で、ときおり足元がぐらつく。ここは心許ない。(p.14-15)
私ははじめて恐怖を覚え、恐怖は怒りを呼んだが、同時に、安奈とふたりなら階段を転げ落ちてもいいと思うように至った。足をすりむくかもしれない痣になるかもしれない骨折するかもしれない、けれどその瞬間の、その瞬間にしかない同じ恐怖を分つことができるのなら、犠牲をはらっても構わない、怪我をするのならひとりではなくふたりがよかった。(p.15)
みんなの声がわあわあして聞こえる、ノートにシャーペンが擦れる音が、プリントを捌く音が、気になる。気になって仕方なくなるーそれに対して先生は「感性が鋭いのね」と優しい声音で頷く。具体的で確実で抜かりなく揺るぎない、雄弁で明晰で冒しがたい、そういう人や状態が好まれる社会にあって、安奈の発言はいつも信用性を欠いた。抽象的な発言はとりとめがなく要領を得ない、だからその問題を概念を性質を包括した、たった一言で集約された、あるいは簡略化された言葉の前で安奈はやはりぼんやりしている。ときに笑う。言葉を紡がないのは、笑うことは、肯定と同義だと、彼女に誰も教えようとはしなかった。(p.16-17)
安奈があまりに強く彼らを忌避するがゆえに、かえって彼らを引き寄せている気もした。(p.17)
クラスの女子の大半が使っていたそれらを、私も同様に使い、同じ匂いを纏った。
匂いだけではない。昆虫が自衛のために植物に擬態するように、集団の中に紛れ、スカートの丈も口調も振る舞いも、彼女たちに寄せ、同化し、自ら個性を殺す時、私はかえって揺るぎない「個性」を手に入れたように思えたのだ。(p.19)
「まじめで優しい。安奈はそのままでいいんだよ」
気休めのつもりで、軽く慰めるつもりで言っただけだった。私の言葉は自分でも驚くほどふわふわと頼りなく、まろやかで優しく棘がなかった。その性質は真に必要なものでありながら、同時に社会から淘汰されやすいものであるのかもしれなかった。(p.21)
ただ彼女の奥に、無機質な空洞を見た。
そしてその空洞は、誰かが満たすことが可能だと思えた。(p.22)
安奈に対して確信めいた感情を持ちたかった。好き嫌いでは���く、愛憎でもなく、庇護欲でも独占欲でも執着心でもない、依存とも支配ともつかない、そもそもそのような言葉で感情を固定化されること自体本意ではないのに、同時に言葉を持たない感情は弱い気がして、ふたりの関係性を強固なものだと信じながら、外からつつかれればあっけなく壊れてしまう脆弱さをも感じていた。安奈のこととなると、私はひどく極端な人間になった。(p.23)
乱れない女というのが私の彼女に対する印象で、乱れないということは変化に乏しいということで、髪型にしろ服装にしろ表情や態度にしろ、常に一貫している。笑う時、まるではかったみたいに毎度同じ位置で口角がとまると、私は安心よりも不穏な気持ちに駆られた。(p.24-25)
愛玩していた人形が急に意思を持ったように、彼女の発した言葉だけが浮いていた。(p.28)
男性を遠ざけるほど安奈の身体は重たくなり、私はそれを疎ましいと思わなかった、かえってその重さが心地よいほどだった。(p.28)
それを見た時のゆったりとした波状の感情は人肌を想起させる。やがて訪れる凪。微睡。シリーズで持ち合わせていた、先端がいつも滲む、パステルカラーのペンのクリームイエローが浮かぶ。筆箱が閉まりにくいので中身を厳選して滅多に使うことのないこの色はいつも残った。背中で受け止める外から降り注ぐ光。暑すぎず、眩しすぎない永遠のぬくもりが身体の内部で膜を張る。(p.30)
私たちが望んだ、しかし実現しなかった、小さな「かなわない」ことが累積してゆく。(p.31)
常に飢えていた。常に欲していた。偶発的な出会いによって生まれる産物を出がらしまで味わい尽くしてもなお、まだ足りない、私たちを楽しませるにはまだ足りない、貪欲に希求した。(p.32-33)
中学時代、廊下を歩いていて互いを見かけると、気づいたら方から先に駆け出して、相手に向かって猛進していくのが常だった。ほんの一分前に対面していたとしても、私たちは互いを見つけると再会の喜びを確認し合うために、無我夢中で互いの身体に正面からぶつかっていった。距離があればあるほど、その分ぶつかった時の衝撃が強くて、走っている間に気持ちが膨らむのに興奮して燃えた。そういうポーズではなかった。本当に嬉しくて、そうせずにはいられなくて、だから突進するのだ。少なくとも私はそうだった。今思えば、非常に危なっかしいコミュニケーションを取っていたと思う。実際、私たちは互いの身体を受け止めきれずに一緒になって廊下に倒れこんだり、相手のスピードに構えるのが遅れて頭や膝を打ち付け、しばらくの間、痛みと衝撃でその場から身動きできなくなったりした。いつから私たちは全力でぶつからなくなった。だんだんと丸みを帯び、弾力を持ち始め、それぎやわらかく、衝撃を与えれば痛みを伴うデリケートなものだと本能的に察知するようになった頃、私たちの肉体はよそよそしくなり、そのよそよそしさを埋めるように会話はいっそう増えた。(p.38-39)
気がつけばいつも頭の中でデッサンしていた。線を撫で、ぼかし、また描く、そしてぼかす。それを繰り返した。描くたび、遠ざかった。記憶の中の安奈を浮かび上がらせようとするたび、彼女は私の内側に潜り、手の届かないところまで深く沈んでいった。(p.41-42)
私を支えている安奈との過去の��憶も、時として現在と重なり、溶け合い、過去と現在とが混濁し、いっそ追懐した出来事の方が現在よりも新鮮で、克明で、私はその鮮やかさにときおり目がくらんだ。(p.43)
なぜ血を見て怖れを抱かないのか、なぜもっと慰めようとしないのか。私は怪我をしている。痛みを負っている。傷ついている。痛い。痛くてたまらない。泣きたいほど痛くてみじめで不安。そして怖い。ー泣かない。泣かないよぉ。これくらいへっちゃらだよね。大人が私をなだめる。大人の顔をして、子供の私をなだめる。私の痛みは私にしかわからないのに、その痛みの程度を推し量る。
私は傷を負った我が子に、困ったように笑いかけながら平然と絆創膏を貼ってやる自分の姿が想像できない。(p.44-45)
私は同時に、この人だからしたい、という決定的なものを、いつも現在の恋人に見出そうとする。それは付き合っているからだとか形式的なものではなくて、自分の望む矢印がいくつあって、どこを向いているか確かめる、そして確かめることによって自分が世間でいう「まっとう」な人間だと判断し、ひとり静かに安住するのだ。(p.47)
一見すると、愛くるしく稚気に富み、何を言っても無邪気に笑い、弱く脆く優しく、気を張っていてもその顔を見ると脱力を覚えるような印象で、しかしいざ近づくと頑なであり、その頑なさも最初のうちこそ清純だの奥ゆかしいだのという体のいい言葉に収斂されていくわけだが、堅牢な石が、あらゆる力を与えても動かないことに気づくと、男は一気に引いた。その時点で相手はすでに恋も愛も遠く、煮詰まった青臭い肉体を抱えながら安奈に背を向ける。(p.57)
人間は物ではない、物でないから割り切れない、しかし同時に物のように割り切ると楽になる、自分が楽になる、関わるほど摩擦が生まれる、相手に譲歩する寛容さはない、大切であれば忍耐は必要だが、それには情熱が足りない。心が倦む。肩に重さを感じ始め、荷を下ろすように人間関係を清算してから、私は安奈をいっそう想った。(p.60)
笑いというのは私にとって重要だった。顔の筋肉の体操みたいな表面的な即席の笑いではなく、膝から先に崩れ落ちるみたいな身体ごと弛緩する笑い。カタルシスらあるいはエクスタシー。独特の虚脱感、そして浮遊感。これには麻薬的な作用があって、私は笑っている間は何でもできると思ってしまう。有限不実行な家出の計画を立てた時も、早々にあきらめた夢を語り合った時も、自分の首に両手をまわし喉を圧迫する、明確な理由なく生を厭う瞬間、私はいつも笑みを湛えていた。身体全体で笑っていた。(p.66)
息をするたびそこに近づいてゆく、いらぬ不安は処理するのではなく預けておいて、預けた場所すらどこかわからない、思い出せない、私は永遠にその箱を開けないだろう。(p.68)
私はきわめて一面的な思考の、偏った了見が自分を侵蝕する前に放出しなくてはならかい、脳がそれ一色になるのを恐れている、私はだから口にする、それもまた偏っている、何が正しさなのかわからない、しかし別の新たな思考と対立させ循環を試みる。これは悪口ではないと言い聞かせながら批評家気取りの安全な立場で偉そうに減らず口を叩く。あるいはそれは妬みかもしれない嫉みかもしれない僻みかもしれない僻論である。安奈に��話さない。(p.78)
ひとりでいても暑いのに、ふたりで身体を寄せ合うと余計に暑い。焼けつくような暑さの中で、暑い暑いとこぼしながら、夏の暑さをひたすらに疎ましがりながら、涼しい空間を求めて移動しながら、繋いだ手は話さない。冬になると寒さから人肌を求めて寄り添う。寄り添うと、暖かいような気がするのに、ある瞬間に、相手の冷たい手が自分の貴重な身体の熱を奪う感覚にとらわれる。(p.87-88)
役に立たないかもしれない、無駄で贅沢な時間かもしれない、いたずらに好奇心ばかりが先行していた、蹉跌をきたし続けた、年を重ねても薄まることのない、むしろ経るごとに鮮やかに強固になってゆく記憶を転がし続ける。その記憶が切れ目なく現在と繋がっているということを確認するように転がし続ける。(p.92)
この数年で、さらに身近な人間が亡くなり、死がまだ実感を持っていなかった頃の記憶が遠くなり、忘却を怖れた。忘れてはいけない、地層のように堆積していく記憶の、下の方から順にあるいは薄いものから順に。私の脳が記憶を厳選していく、蓄えることのできる記憶には限界がある。病で床に伏しながらも命脈を繋いでいる人間に触れる。その時は生きているだけでいいと思った、それだけを望んだらそれしかいらないと思った、しかし私はそのことをすぐに忘却をする。気がつけば生きることに加えて何かを望んでいる、生きているという前提で多くに期待している、それ自体が生きていることなのかもしれない。欠けていると満たそうとするら満たされても欲する、埋まらないものを埋め続ける、欲が先行する。死んだ時、骨のように欲望だけがそこに横たわっているのかもしれない。(p.95)
だが繋ぎ目は目に見える。ほどくのはたやすい。快楽は刹那的で、情は脆い。(p.108)
比較できるものではないと言いながら悩み続けている。悩む合間に安奈の手は止まり、その手に握られたカップの中の、ドーム形のカラフルな塊は、もう塊ではない、最初の形をなしていない、溶け続けている。(p.124)
中学の時からお互いがいないと成り立たない関係である涼子と安奈。涼子は安奈に指図し、安奈は何の不満もなくそれに従っていた。親友ではなく、恋人でもないけれど、それを超えた愛おしい存在。安奈は側から見れば、天然で少しバカな子だと思われているような普通の女の子なのに涼子がどうしてここまで依存しているのかがよくわからない。でも、分からないからこそ、精神科に入院している姉と重なるのか、安奈は男が嫌いだから、いつまでも綺麗な状態でいてくれるという安心感があるからなのか…といくらでも考えることができる。私が姉妹だからなのか、この表現できない感情は何度も出会ったことがあり、何かをする原動力が妹より幸せになってやる!であったり、それなのに、妹と男性が仲良くしているのを見ると、まるで汚いモノのような嫌悪感を覚える。それでいて、自分は素敵な出会いを求め探している。全く身勝手だと思ったが、大切にしたい人ほど、どうしても生まれてきてしまう感情なのだと思う。大事なモノだと撫でていた優しい指がねじれていくような、それに気づいた瞬間、自分の本当の大切なものと人が分からなくなると思うのだ。恋愛や友愛につきものであり、避けては通れないが、この感情を���う表現したら良いか分からないので、この文章に触れた時に、まさしくこの感情!!!と感激した。涼子は安奈を支配しているように感じるがそうでもなく、誰を見るにも何かを聞くにも安奈というフィルターがかかってしまっているので、涼子もまた安奈に支配されていたと言ってもよい。あんなに安奈に囚われていたのに、1人の男性によって積み上げてきた2人の関係はあっさり終わる。心の穴を埋めるように、安奈の好きな男性と身体を重ねる涼子、2人が付き合っていることを裏切りだと知り、行方を暗ます安奈。2人の糸は交わることは永遠にないような終わり方だが、これでやっと2人とも自由になれたのだ。きっとこれで良い。この結末が良かったのだと思う。
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安奈と涼子は普通の友だちではなく、共依存の関係なのかな? 安奈は何かしら障害があり(書いてはないけど)涼子の様に賢く優しくされたら支配されてしまうのかもしれない。でも涼子は何で?彼女の支配欲や独占欲や嫉妬心 一度では理解できなかったので、再読したい
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支配と依存の話に見えた。支配と依存を嗜癖しててそれが煩悩ってことかもと思った。涼子は安奈が自分の意思で恋をし、誰かと肉体関係をもつのが嫌なんだろうなと思った。自分の許可なく脱毛するのですら嫌がるくらいだから。支配下から離れて自分の意思を持たれるのが嫌なんだよね。肉体関係の数でマウントをとるようなふしもあるし正直涼子みたいな人が身の回りにいたらわたしはあからさまに避けてしまうと思った。こういう人間関係をつくろうとする人って性別年齢問わずいて、自分にも身に覚えがあるからこそ苦い読後感があった。でも読んでこういう感想持つってことは描写が巧みなんだと思う。