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感想
宗教の効用。目に見えないものを信じることは進化的に合理的。意識の中に埋め込まれた装置。しかし暴走することもある。それが引金を引く。
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宗教について、人間というかむしろ生物の起源にまで遡って、行動心理などを通して科学的に考察した良書。
宗教の集会などが、大麻やマジックマッシュルームなどによるある意味今のドラッグパーティーのような感じだったんじゃ無いかとも感じ、独特の高揚感が人を呼び込み、また極端な集団行動の生まれる理由にもなるんだなと。
日本からも天理教などの起源にも言及されてますが、日本の宗教観は世界からすると独特なんだなと改めて。
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宗教は人間の脳が大きくなるにつれ、共同体の規模が大きくなるにつれ、必然的に生まれた。
宗教の最大の意義は共同体を安定的に維持すること。
人間が親密さを持って接することができる人数の上限は150人前後。共同体の人数がこの数を越えると帰属意識が薄れていく。それを防ぎ共同体を継続して維持していくために儀式を伴う宗教で人々を団結させる必要があった。儀式や歌は人々を高揚させトランス状態に導く。トランス状態に入ることで巨大な共同体につきものの人間関係のトラブルはリセットされる。
周囲と一体感を得ることでエンドルフィンが分泌され幸福感が起こり、NK細胞が活発化して免疫が高まり、利他的な気持ちになって共同体の結束を高める効果もある。宗教すごい。調査によると信仰心のある人の方がない人より健康で幸福な傾向にあるという。
集団が150人規模を超えると人間関係の緊張度が増すと何度も繰り返し述べられる。やはり人間にとって他人はストレスの源なのだとの感を強くした。phaさんや鶴見渉さんによる「集団を閉鎖的にしない」「常に外にゆるく開いておく」という工夫やサードプレイス概念の正当性を裏付けている。
カルトの創始者は統合失調症と類似の精神的傾向があるという。幻視や幻聴といった神がかり的な体験が病いの症例とたしかに似ている。イエスやブッダもそうだったのかもしれない。
宗教は衰退していると言われるがそれはあくまで一部の先進国に限った現象であり、経済格差が大きい国では裕福でない層を中心にさかんに信仰されている。人間の営みで宗教に代わるものはなく、時代とともに中身は変わったとしてもなくなることはおそらくない。
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歴史の解説かと思って読み始めたが、科学解説だった。
人間が親密性を感じながら生活できる集団のサイズの上限は150人で、それを超えると分裂が始まる。それにより大規模な宗教には必然的にカルトが生まれる。
解説によると、その150人という数をこの本の著者の名前からダンバー数というらしい。
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なんとなく、タイトルと目次を見て読もうと思ってみたのだけれど、
よく見ると、ダンバー数(人間の安定した社会集団の上限はだいたい150人くらい)で有名な著者によるものだったと知り、楽しみにしながら読んでみた。
この本は、タイトルからすると、宗教の考古学的な研究や宗教の歴史研究のように思えるが、そうではない。
宗教の中身の問題ではなく、宗教があることが人間社会においてどのような役割を果たしているのかについての本になっている。
結論から言うと、人間の集団は本来の自然な規模であるダンバー数、100~200人を越えて(ある程度)機能しているわけだが、社会集団を機能させるための調整機能を宗教ははたしている。
また、シャーマニズム的な宗教から、やがてより複雑な教義的宗教が現れるようになってきた過程について、集団の規模が大きくなってきたこと、それにより、より大きな集団をまとめるための方法が模索された結果ではないか、と著者は述べている。
その他、枢軸時代に亜熱帯地域に現在の世界宗教となっているようなものが出現している理由や宗教の中でカルトやセクトなど分裂の起きる理由なども考察されている。
あくまでも個別の宗教の中身、教義の是非を問うようなものでなく、
人類学的、心理学的分析に基づいて社会と宗教の関係を見ていくような本になっていた。
日本人には宗教は馴染みうすいことも多いが、世界は宗教で動いているとも言われる。
そう言った目線で見るのには役立つ本だと思った。
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レビューばブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12837448160.html
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人間の認識能力と集団生活が宗教を生む。自然や集団の中で起こる理不尽な出来事を感じ取りそれをホモサピエンスの認知能力の力でメンタライジング(目に見えない世界を想像する段階の深まり。普通の人は五次まで扱える)することで超越的な存在を想像してきた。集団的な陶酔もツールとして使うシャーマニズム宗教が生まれる。陶酔感は大脳のエンドルフィン分泌により生み出される。その想像を共有できて互いに関係を持てる共同体はダンバー数の150人くらいまで。これも大脳の認識能力が制限している。人が外敵からの防衛を目的として大きな共同体を作る段階ではシャーマニズム宗教の手には負えなくなる。宗教はよりシステマティックに教義がまとめられて組織化され教義宗教になる。教義宗教はより大きな人数を内包できるが、構成員の帰属意識は低くなる。そのため常に内部に新たな思想の極が生まれ、カルト化する可能性を孕んでいる。
人間の脳の機能により陶酔感、集団意識が生み出され宗教が成立し、人間の脳の限界により、その規模は制限されて分裂し、カルトが生まれる。しかし人間のメンタライジング能力は超越的な存在をなんとなく求めてしまう。皮肉な堂々巡りのようでもあるけどそれが人生や世界の成り立ちなのかもしれない。
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宗教の起源について、人類学と進化心理学の専門家である著者が迫った。そもそも霊長類は外敵脅威から身を守るため集団で結束して生活するが、その集団の規模は脳の大きさによって決まっており、人間の場合は身近な共同体や個人の社会ネットワークには150人という上限が存在する。それを超えた集団を作ろうとすると、規模の拡大に合わせてストレスや集団内の暴力を減らす方法が必要になるが、宗教はそのための効果的な仕組みとして発達したとする。
宗教の起源へのひとつの明快なアプローチであった。
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ダンバー数(=人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限、150人)を提唱した筆者が、宗教がなぜ人間社会に生じたのかを宗教の各構成要素を切り口として考察した本。
久しぶりにこういう本をドシッと読めて楽しかった。
「コミュニティの規模が増えると統治が難しくなり、そのコミュニティを維持するためのストーリーが必要になる。それが宗教」というよくある語り口を丁寧に解説していく。
そこに追加して人間が持つ特異なメタ認知能力が、ストーリーの納得感を高め、宗教の発展に寄与したという視点が新鮮でよかった。
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宗教について、進化的、身体的な側面も重視して考察する内容で、端的に言ってすごい本。群淘汰を前提にしているかも。
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ダンバー数という概念をご存知だろうか。そのダンバー数を提唱したロビン・ダンバー氏の著書『宗教の起源―私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』を読んだ。ちなみに、ダンバー数の1つの数値として、「ヒトの自然な共同体の大きさは150人」というものがある。同著で個人的に注目したものは、「宗教の進化的基盤の分析」と「ダンバー数の理論の宗教教団の発展論への応用」の2点。人間の認知の仕組み、集団における心理をもとに、宗教というものがなぜ成立したのかを、さまざまな研究をもとに解き明かしている。
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かなり読みやすく、それでいて深い知見を得られる素晴らしい一冊。宗教そのものというより、私は、同じ志によって行動する組織──つまり、会社のような組織に応用できる考察はないかと思って読んでいたが、その期待を裏切らなかった。
ダンバー数が圧倒的に正しいと信仰するかどうかは別にしても、一定の尤もらしさや、組織マネジメント論に比して検証なされている人類学の共同体に関する研究について、人々と関わり、字義通り目に見える実利以外の効果を期待する場合、宗教の起源について学ぶことの意義は小さくない。
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一定以上の集団を結ぶ役割としての宗教の考察が丁寧になされている。
宗教は何も不思議なものではなく、背景がある。
アメニズム的信仰にも言及されている。
内容は難しい。相当数の宗教分派に関わるワードが多数出てきており、詳しい理解のためには他に勉強の必要がある。
しかし、前段の通り、普遍的な意味での宗教を捉えるには背景知識が多少不足していても可能であり、非常に面白い書籍である。
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宗教がなぜ生まれてきたのか、脳内でのエンドルフィンの分泌作用、人口増加による集団の防衛、集団の統率など、様々な実用的な目的で発達してきたという仮説。
神秘的な観点ではなく、必要があったから生まれてきたという客観的な根拠にも依拠する説明は目から鱗が落ちる読書体験でした。
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無神論者、いや何でも受け付ける人が多い日本。
私も例外ではないが、宗教は身近で興味はある。しかし、いつ・なぜ発生したは知らない。
古代交流のなかった地球上の各地で、あらゆる自然現象や自身の周りで起こる出来事に対し超人的な何かがあると畏怖する心が芽生え、それが意図せずアミニズムやシャーマニズムにつながり、宗教に至るのは、まるでヒトの遺伝子に組み込まれているようで何とも不思議だ。
著者のロビン・ダンバー氏は、もともとサルの仲間の社会行動を研究する霊長類学者であったが、その後ヒトという生物が持っているヒトに固有の性質、即ちヒトの本性は何であり、なぜこのように進化したのかを研究する、進化心理学者になったとのことだ。
彼は、ヒトが真に親密性を感じて暮らすことができる集団のサイズには上限があり、それはおよそ150人であるという。(=ダンバー数 これが世界的に評価され「人類学のノーベル賞」と称されるトマス・ハクスリー記念賞を受賞)
ダンバーは、もともと、脳の新皮質の大きさから、その動物が処理出来る社会情報の限界を計算し、ヒトの場合は150人だという数字を導き出した。人類の進化史の90%以上において人類は狩猟採集生活をしていたが、この暮らし方では、15人くらいまでの小さなバンドで日常的に生活し、バンドが寄り集まって部族を形成してきた。
そしてその最大サイズは、およそ150人だとわかってきたらしい。
人類は、およそ1万年前に農耕・牧畜を始め、定住生活を始めた。そこから都市が形成され、文明が生まれた。つまり150人以上の数の人々が集まって暮らすようになったのだ。これは脳の自然な認識の限界を超えた数である。それを可能にしたものの一つが、宗教的信条を同じくする人々の結束であったのではないか。
「同じ私たち」という感覚を想起させ、一緒にいそしむようにさせる、それを可能にした重要な要素が宗教だったのではないかと言う。
では、なぜ宗教というものが出てきたのか、なぜそれは広まるのか?それはヒトが持っていた脳の働きに起因すると言う。
ヒトという生物は、自己と他者を認識し、自分の心が自分の状態を作り出していることを認識するとともに、他者も他者自身の心を持っており(メンタライジング、マインドリーディング)、それによって行動を決めることを知っている。そして、自分と他者とを脳の中でシミュレーションすることによって、自分に起こったことではなく、他者に起こったことを、まるで自分に起こったことであるかのように、他者に共感することができる。
また、ヒトは、このような想像とシミュレーションを働かせることにより、あまり原因がよくわからないことが起こった場合に、何か、自分たちとは異なる能力を持った存在がいて、それらの存在がそんなことを起こしているのではないか、と想像することができる。そして、それを他者に伝え、他者もそれに同意することができる。
では自分たちとは異なる能力のある何かが存在する、という感覚はどこから来るのだろうか?
それには、トランス状態というものが大きな役割を果たしている。踊り続ける、歌い続ける、ということをすると、脳内のエンドルフィンなどの伝達物質の分泌が変化し、「奇妙な精神状態」になるのだ。つまり脳がなせる技なのだ。
まとめると、
ヒトには、宗教を生じさせる脳内の基盤がある。しかし、それは、宗教を生み出すことが主眼で進化してきたのではない。物事の因果関係を推論すること、物事の原因として他者の心を想定すること、そのような解釈を、他者と共有すること、などが人類の進化史上、重要だったからこそ進化した。それが集まると、宗教というものがおのずと創発してしまうのだろう。そして、一度そういうものが出現すると、今度は、それが新たな意味を持ち始める。それは大きな集団をまとめる力にもなり、思いを同じくしない「他者」を攻撃する理由にもなる。これは宗教戦争が示している。
宗教的集団は、大きくなると「組織」になり、政治・経済と結び付く。
未来の人類は、あるいは脳は、どう対応すべく進化するのだろうか。