紙の本
コラムも秀逸
2023/08/27 14:43
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投稿者:kisuke - この投稿者のレビュー一覧を見る
「不条理文学」で知られるハルムスの作品集。
それぞれ何とも言えない読後感を残します。
ただ、ある程度パターンが決まっているためか、まとめて読もうとするとだんだん飽きてしまう。少しずつ味わうのが良いかもしれません。
ところどころに挟まれたコラムも秀逸で、作者について、その頃の社会について、作品に登場する人物について等、分かりやすく解説されているのが素晴らしい。ハルムスのお話がより理解できるよう、心配りが行き届いています。
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不条理以上。
何本か読んだことがあるような気がしたが、かつてモンキービジネスに掲載されたものもあるのね。
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スターリン体制下のソ連における作家活動は想像を絶する。異形の奇妙な作品群は、シュルレアリスムのそれとは趣を異にする。どこかしら日本のプロレタリア文学との共通点を感じる部分もあるが、それとも違う。一見、ユーモラスに書かれているが(特に児童向け?作品において)本当に笑っていいのか躊躇する。一つひとつの作品において、自分が試されているような息苦しさを感じる。
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徹底した関係性の欠如、理解の欠如、意味の無さが覆うハルムスの世界。抑圧された社会をあぶり出す滑稽な作品群。面白い。
表紙の絵もハルムスの雰囲気がよく出ている。
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この作者自体も多分にエキセントリック(か、それを装っている)な人だったのだろうが、書かれた背景にある国や時代というものが、ここまで影響するんだなと、ユーモアのセンスは秀逸で、読んで笑いながらも暗い気持ちになった…
に、しても訳者は大変だっただろうな、ロシアに、日本のこの諺と同じようなものがあるのだろうかとか、言葉足らずの訳を上手くしていたりとか、そういうところに目が行ってしまった。
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ジャケ買い。暇つぶしにサクッと楽しめる短編集だった。
正直いちいち全部の話は覚えていないけれど、「なんじゃこれ、わけわからん」とかなんとか思いながらずっとニヤニヤ笑いながら読んでいたことははっきり残ってる。
・色んな人がしょうもない死に方を繰り返す
・「どうでもいいからこの話は辞める」と話をぶった切って強制終了する
というような内容が、呟きのように淡々と脈絡なく続いている感じ。
オチの無い話が苦手な人にはおすすめしません。
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『ところで、何の話をしていたのでしたっけ? 何も存在していない、ということでしたよね。中にも外にも何も存在していないのなら、瓶も存在していないということになりませんか? そうですよね? けれども、次のようなことを考えてみましょう。中にも外にも何も存在していない、というのであれば、何の中や外のことなのか、という疑問がわいてきますよね。つまり、何かは存在しているわけです。あるいは何も存在していないのかもしれません。でも、それならなぜ中とか外とか言うのでしょうか? いや、これは明らかに行き詰まり状態です。もう何をお話しすればいいのかわかりません。では、さようなら。』―『現象と存在について No.2』
ロシア独特のユーモアセンスで語られる小噺、アネクドートを思い起こさせるハルムスの不条理な話を集めた一冊。アネクドートではしばしば政治的な皮肉が語られたりするけれど、スターリン体制下以降ペレストロイカまでは公に政治的な批判を口にすることは憚られなければならなかったことは言うまでもない。そもそもアネクドートという言葉は、ギリシャ語のアネクドトス(anekdotos)「公にされなかったもの」という意味だというのだから、公に出来ない話を喩え話にして笑い飛ばす文化というのは「冗談」でも笑えない話である。そんな体制の真っ只中で、喩え話よりも一歩進んで一見何の意味もない不条理な話を書き続けたハルムスの作品は、その不条理さこそが体制批判であっただろうことは部外者にも容易に想像がつく。
不条理さに満ちた話であったとしても、ハルムスの言わんとしたことは、ところどころ伝わるものがある。どの話も筋らしい筋はないし起承転結も整ってはいないのだが、誰かの事を皮肉たっぷりに当て擦っているのだということが解るのだ。当時の状況を身を以て体験していない自分でさえそう感じるのだから、渦中にいた人々であれば具体的に誰の何の行為のことを言っているのか、容易に想像がついたのだろう。それはすなわち凶弾されている当局も敏感に感じ取るところでもあり、作家の身に危険が及ぶことを意味してもいたのだろう。作品の間にところどころ挿入される解説を読むと、その危惧が危惧に終わらなかったことが記されている。
翻訳者の解説によるハルムスの人となりに関する情報は、確かに作品を理解する上でヒントとなる。しかし、このような不条理さをとことんまで追求した作品に、第三者的な視点による「理解」というものが必要なのかどうか。何故なら理解とはどこまでも「理屈」によるものであり、ここに収められた作品はどれもそんな「理屈」を拒否しているようにしか思えないからだ。そしてそんなハルムスの言葉が生まれた背景や経験を理解せずとも、感じられるものは依然として存在する。アネクドートのように、単純に笑い飛ばしてしまう(その笑いは詰まるところ、諧謔を経ての達観、あるいは諦観が土台となっている)ことすら拒絶する、より強固な不条理さ。非日常的な不穏さがこれでもかと描かれることで、逆説的に、理不尽さに満ちた日常が作家を取り巻いていることが伝わる、と言えばよいのか。
そしてそれが過去のとある国に限定された状況ではなくて、���たひたとありとあらゆる場所を蹂躙しつつある気配が漂う今を思い返して見ざるを得なくなる。なんてことを言いつつ、こういう本の感想は自分の中の疑問符を曝け出すしかないってことも一応言い残しておこう。