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読みやすい文体であっという間に読み終わった。
親鸞という堅苦しい題材ながら、娯楽性を重視した内容で、面白かった。おそらく史実とはかけ離れていると思うが。
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面白くてあっという間に読んでしまった。
前回罪人として越後の国に流されたところで終わり、今回はその続きから。
相変わらず親鸞の周りに集まってくる面々の個性的で魅力的なこと。
前回ではツブテの弥七、河原坊浄寛、法螺房弁才との交流、そして黒面法師なんて悪人もいたっけ。
今回はなんだか不気味なゲドイン一行。
外道院金剛、薄気味悪い彦三房玄海、名香房、早耳の長次・・・
テンポが良くて、思わず笑ってしまったり、とても小気味いい。
下巻が楽しみ~
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純粋は人の心を動かす。自分を放埓と言って戒めるところが原点。自分を知っているものは強い。修行とは自分の弱点を知り尽くすことなのかも。自戒の念を込めて。
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配流された直江津で見た、貧者、病者、弱者が連なって行進する行列が、親鸞を動かす。
新しい仲間を得、法然の新しい念仏を広めようと苦闘する。
堅苦しい性格の親鸞に立ちはだかる世間。
すっと読んでしまいました。
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越後に流されたあとの話。
やや話のテンポがおそくなったように感じるが、都で法然のもとで学んだ念仏を自分のものに昇華させようとしている様がえがかれる。
下巻でどうなるのだろうか、気になる展開。
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2013年71冊目。
親鸞と名を変え、越後へと流刑になった後の物語。
弱者に救いの手を差し伸べる外道院たちへの共感と、
行き過ぎた手法への反発が親鸞の心を揺らす。
師匠法然の教えからどのような進化を遂げていくのか、
下巻に期待。
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越後に流されてから外道院との決着まで。親鸞とは違う正義をもつ外道院に反感と共感の混じりを覚えながらも、自分の道を貫く。念仏で人を救う。この「救う」という漠然とした言葉の捉え方、誤解と曲解により、親鸞は雨乞い祈祷の台上に赴くこととなる。念仏は法力ではないと体現しようと決死の覚悟で望むが、結局は雨が降りまたしても思わぬ形で名声が上がる。命は繋いだが、まだ親鸞の理想には遠い。これからどうやってこの葛藤を埋めていくのだろうか。
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相変わらず浄土真宗開祖の話とは思えない冒険活劇。どったんばったん。
前作は子供から大人への成長譚だったのですが、本作「激動編」の親鸞は初めから結構いい大人。
さすがに貫禄も出たろうと思ってたんだけど、どっこい持ち前の草食男子っぷりは健在で。
もう、なにしろ全然自分で決められない。いろんな事を。
見た感じお坊さんなもんだからまわりにいろいろ聞かれるんだけど、
んー、え、ちょっと、分かんないです。逆にどう思います?という相変わらずの調子。
しっかり親鸞!ちゃんとして!
それでも実直な言動で次第にまわりに味方が集まってきます。
というか、誰かが守ってあげないと、このひとまるで生きて行けないもんだから。
迷いに迷い、流されに流された先に何が待つのか。
いい加減ちゃんと自分で立てるのか。
結局下巻を楽しみにしてしまう。
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2013.08.14 上巻読了
翌15日 下巻読了
いよいよ親鸞が親鸞になるという過渡期を描いた3部作の第2弾。
一部同様大変面白かったが、エンタメ的な事件度でいえば一部に軍配。
二部はほぼラストの唯円が出てきたところが個人的ツボ。
3部も楽しみだ。
唯一気になったのは、1部の登場人物が再登場しすぎな点か。本当にそうだったのかもしれないが、なんとも。
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前章を読ませた力に比べ、やや萎れたような印象。
新聞連載故仕方ないのかもしれないが、同じ解説の繰り返しが多すぎるのも疲労感を助長したか。
これはタメだと信じ、次章(完結章かな?)では大きく弾けることを期待する。
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京都から流罪となり越後で暮らす親鸞。流罪といっても妻の恵信もいるし、念仏に対しての悩みは尽きないけれど、それほど過酷な生活ぶりじゃない割と普通なのが意外。成り行きで助けた百姓の娘が神懸りになったり、親鸞の雨乞いが成功したりと、相変わらずエンタメ要素が抱負でリアルっぽくないというか、重みがないというか、読みやすいけど(笑)。
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念仏に求められるものが、地方に流されたことで違ったものになった。
人は生きるためには殺生せずにはいられない悪人であるという前提で、底辺に暮らす人々がその業を背負う仏であるという解釈は、悲惨な境遇の人を、本人の、前世の、先祖のせいにしがちな人民にとって、どこか救いのある考えに思えた。自らを生き仏としたあたり、権力を欲した外道院の限界であるように思う。
念仏は仏にご利益を依頼するものではない。しかし、「世のならい」という法然の教えと、目の前で違うことを人々に納得させるため、親鸞は雨乞いを決意する。一番の動機が「捨身」であることに気づき、念仏にふける親鸞は、これまでとはまた考え方が滲んでいて、やはり修行者であると気づかされる。
念仏の意味が民衆に伝わったかはわからないが、結果だけを見て民衆が激怒しなかったあたり、小さな問いかけは成功したと思う。
『雨を乞うための念仏ではない。仏の姿を観るためでもない。わが身の極楽浄土を願う念仏でもない。自然に体の奥からあふれでてくる念仏である。』
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先に著者が上梓した「親鸞」は親鸞の生い立ちが分かって勉強になった。本激動篇は親鸞の生き方考え方を知ることを期待したが、上巻を読んだ限りではまだ良く分からない。また小説の物語としては少し面白みに欠ける。下巻の結末に期待したい。
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友達から借りた本
初親鸞で初五木寛之作品。
ずっと気になっててようやく読めた。思ってたより読みやすく面白かった。どこまでが史実でどこまでが小説なんだろう。結構エンタメ小説っぽかった。あ、だから読みやすいのか。
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エンタメ性というかファンタジー?性が強い…
『親鸞』はよかったし、実際にあった逸話みたいなのを期待してたので、期待ハズレ。下巻は読まなくていいかな〜