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「川柳は自分の手や口を持っていないから、しょうがなくわたしの身体を通過して何かを残していく」
「詩を書く人なら自分の詩で心が動く体験をしたこたがある人がほとんど」
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自由には、入れ物が必要であると思う。
それは詩型でも、密室でもいい。極端なことを言えば薬物にハマる人だって、元々は自由になりたかったはずだ。そこに自分の体を押し込むと、予想だにしなかったことが起きる。
著者は前半で、「今のわたしにとっては自分のことを書くよりも書かない方が自然なんだ」と述べている。こういうベクトルの力は、この時代に生まれたぼくたちにとって日に日に重要度を増してきていると感じる。
後半で著者は、自身の川柳への批評を引用しながら、
「遅れ」や「無為」、「失敗、忘却、悪事」を作り出し、それらと反対のものも含めて本当にどっちでもよいという仕方で一旦は言葉のなかて有効化してしまうこと。そこにカギがある
という旨のことを言っている。
書かなくてもいいことを書くことで、結果的に自分が表象されること。そこの、一見無責任な詩型に乗って〈ほんとうのこと〉へ回帰してこれる。ブーメランのようなところに川柳の魅力があると感じた。
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私は俳句も川柳も読むのは好きで、でも詠むのは俳句。それは季語っていうシステムに頼れば私でも表現できるかもと思ったからだった。まだまだ季語wikipediaの編集者になる覚悟にはほど遠いけど。
現代川柳とボカロの話も納得。どっちも魅力的だと思ってたのが繋がった。
俳句の勉強してる人も是非。
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著者の作っている川柳がどうなのかはわからないが、著者のやっていることはよくわかった。特に「7日目」の章は、「わたし」と「ことば」の関係を著者独自の経験(生き方)の中で考えていて、哲学的でなおかつ感動的。