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ランニングシューズは私にとっては消耗品。おおよそ800KM走れば買い替える。
アディダス、ニューバランス、ナイキを購入。オールバーズもある。
この本ではそのあたりのメーカー名がごろごろ出てくるが、語られる世界は
私が知っているそれとは全然違う、経済、マネーの世界。
著者がたとえていたが、千利休の茶器の世界と同じなのだ。
利休が、「これは価値がある」といえば、信長や秀吉がその権力をつかってまでも
入手したくなる。それとそっくりのものが二束三文であっても。
スニーカーにもそういう世界があるという。
ジーンズについては昔からそういう話は聞いていた。
シューズでも、エアジョーダンが手に入らない、なんて話は知っていたが、
投機の対象となるとは、、。
しかもそのブームが来ては去り来ては去りを繰り返すという。
しかもしかも、シューズには加水分解という敵がいて、ジーンズと違って、
長持ちしない。
最近はメーカーもやたら量産するから、希少価値はなくなる。
売れないとごみが増え、地球にやさしくない、、。
そのあたりの世界について、実際に販売していた著者が詳しく語っている。
いろんな世界があるものだ。
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本明秀文
「atmos」創設者。元「Foot Locker atmos Japan」最高経営責任者。1968年生まれ。90年代初頭より、米国フィラデルフィアの大学に通いながらスニーカー収集に情熱を注ぐ。商社勤務を経て、1996年に原宿で「CHAPTER」、2000年に「atmos」をオープン。独自のディレクションが国内外で名を轟かせ、ニューヨーク店をはじめ海外13店舗を含む45店舗に拡大。2021年、米国「Foot Locker」が約400億円で買収を発表。スニーカービジネスの表と裏を知り尽くす業界のキーパーソン。
スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰
by 本明 秀文
最初期のチーマーたちは明治大学付属中野中学・高等学校や青山学院高等部など、名門私立大学の附属高校に通う富裕層の高校生が主要なメンバーで、自分たちのチーム名を刺繍したスタジャンを作ったりと、サークル活動のようなノリではじまった牧歌的なものでした。しかし、次第に人数が増えるに従ってチーム同士の対立も増え、徐々に不良グループ化していきました。彼らの溜まり場が渋谷のセンター街近辺であったことから、そのファッションスタイルはやがて渋カジと呼ばれるようになり、あっという間に全国へと波及していきました。
日本ではじめてストリートカルチャーとファッションがリンクしたのは 60 年代のこと。「ヴァンヂャケット」が提案するファッションに身を包んで銀座に集まった みゆき族* たちを『メンズクラブ』誌が盛んにストリートスナップで紹介したことで、全国的に アイビー* ブーム が起きた時です。みゆき族の時と同様に、渋カジ~裏原ブームの時も局所的に特定の街において発生したブームをブランドと雑誌が最新のトレンドとして紹介することで全国に広がっていく、という流れを辿っています。
では一体、ストリートカルチャーとはなんなのか。人によって定義は異なりますが、ひとつ確実に言えるのは、 特定の街とそこに集まる若者のなかから自然発生的に誕生した文化 と言えるのではないでしょうか。そして、ヒップホップ、スケボー、グラフィティなど、ストリートの文脈で括られるカルチャーは数多く存在しますが、いずれも不良性を帯びているもの。都会の街にたむろして遊ぶのは、いつの時代も不良少年や不良少女だからです。
ただし、ヴィンテージブームが起こった 90 年代半ばの古着の中心地は高円寺で、原宿を訪れる人は表参道沿いに軒を並べるハイブランドが目当て。古着屋は「ヴィンテージキング」をはじめとした数店がある程度でした。その代わり、当時は毎週のように全国各地でフリーマーケットが開催されており、特に規模が大きかったのが代々木公園です。代々木公園のフリーマーケットで最も人気だったのは、アメリカから輸入してきた古着でしたが、会場ではリサイクル用品店に置いているような中古家電やトイ、ヴィンテージウェアというよりも中古の服というほうが適切なものまで、様々なアイテムが扱われていました。
周囲への同一化と差別化という相反する感情に応えてくれるのが、スニーカーがハイプした要因のひとつです。では、新品のスニーカーにプレミアム値段(プレ値)が付くようになった原点��探ると、 90 年に発売された「ナイキ」エア ジョーダン5に辿り着きます。ご存じの通りエアジョーダンシリーズはNBAのトッププレイヤーである マイケル・ジョーダン* のシグネチャーモデルです。当時のNBAは派手なカラーリングのシューズを履くと罰金を取られていましたが、それでもマイケル・ジョーダンはあえて履き続けたというエピソードや、本国アメリカでは発売された際にあまりの人気ぶりから殺人事件まで起きたなど、様々な逸話に事欠かない一足です。
*マイケル・ジョーダン 84 年にシカゴ・ブルズと契約し、6度の優勝に導いたNBAのトップスター。シグネチャーモデルのエアジョーダンは「ナイキ」の看板商品でもある。
*エア 「ナイキ」が1978年発売のテイルウィンドで初搭載した、空気の入ったクッションをソール内に設置することで反発性を高め、軽量化に寄与する機構。
ナイキの勝利はアメリカ自由主義と経済の勝利
2014年から巻き起こった ハイプスニーカーブームとは、つまり「ナイキ」ブームとイコール でもあります。なぜ、これほどまで「ナイキ」のひとり勝ち状態になったのか。先ほどの項目でエアマックス 95 ブームについて説明しましたが、さらに時代を遡って同社の歴史を振り返りつつ、国際政治の流れと絡めながら説明していきましょう。
当時のジョーダンは生粋の「アディダス」ファン。 80 年代の人気ヒップホップグループのRUN-DMCが「アディダス」のスーパースターをシューレースを通さずに履いてメディアに登場していたように、当時は「アディダス」こそが世界一のスニーカーブランドとして認知されていたのです。 さて、そこからどうやってジョーダンを説得したかは実際に映画を観ていただくとして、重要なのは、 エアジョーダンの登場をきっかけに「ナイキ」のスニーカーがファッションアイテムとして人気を獲得 するようになったこと。その人気ぶりは凄まじく、アメリカではエアジョーダン5の発売時には殺人事件まで起こりました。
当時のNBAはどん底だった 70 年代から マジック・ジョンソン* が登場し、 シャキール・オニール* やマイケル・ジョーダンなどのスター選手がしのぎを削るNBAブームが起きはじめていた頃。そのブームはアメリカ国内に留まらず日本でもNBA人気の高まりとともに 90 年から『週刊少年ジャンプ』(集英社)で『 SLAM DUNK*』が連載を開始 し、一気にバスケットボール人口が増えたことを記憶している人も多いでしょう。 そんなNBAはアメリカのプロスポーツやエンターテインメント市場の成熟ぶりがうかがえる 経済的な豊かさや自由の象徴 でもあり、 デニス・ロッドマン* をはじめとしたファッションリーダーを生んできた場所でもあります。〝エア〟のふたつ名の通りに高く跳び上がって飛ぶようにダンクを決めるマイケル・ジョーダンの姿に、当時の若者たちはアメリカの力強さを投影して試合を観ていたのです。
さらに「アディダス」や「プーマ」の母国であるドイツでは、 89 年にベルリンの壁が崩壊。ソ連の崩壊によって冷戦が終わると、一気に世界中に 自由主義の波が押し寄せ、アメリカ一強の時代 が訪れます。そこにアップル社やマイクロソフト社がシリコンバレ���から頭角を現すと「アメリカ製こそが最先端である」と、みなが考えるようになったのです。 「ナイキ」がスニーカー市場のシェアの大半を獲得できたのは、冷戦終結によって国際政治と経済のバランスが大きく変わったことと無関係ではありません。
「ナイキ」は巧みにトレンドに乗りながらプロモーションをおこなっているのに対し、独自の路線を歩んでいるメーカーが「ニューバランス」です。 もともと「ニューバランス」は スティーブ・ジョブズ* が愛用していた991やM1300といったヘリテージを愛する本格志向の層に加えて、アジアメイドのMT580をシュプリームのクルーが愛用したり裏原ブランドの「ヘクティク」がコラボしたりといった経緯からストリート層の支持も集めているという、2面性を備えたブランドでもあります。
当時、CO.JPラインのダンクが人気を博した理由が、日本を訪れた外国人が現地で売っていないカラーのダンクを見つけて「日本には面白いダンクが売っている」と欲しがるようになり、海外での盛り上がりが逆輸入される形で日本でも注目を浴びるようになったこと。その流れは今のインバウンドとも通底するものですし、 裏原文化やコレクター文化といった日本ならではの特徴が、スニーカー全体のカルチャーに影響を与えた例 と言えるでしょう。
どれだけ販売側が対策をしても転売ヤーはその網の目を潜り抜けるため、いたちごっこの様相を呈しています。 スニーカー好きの個人が半ば宝くじを買う感覚で転売するならともかく、利益を総取りするために組織的に買い占める行為は本当にスニーカーが好きな人たちにアイテムが届かなくなるため、 スニーカー熱が冷める原因 にも繋がっていきました。 また、スニーカーそのものへの愛ではなくお金への執着が動機の転売ヤーたちは、時として非常識極まりない行動も取ります。 彼らは買い占めたスニーカーが二次流通市場で思ったほどの値段が付かないと、 損することを恐れて商品を受け取らずにキャンセル する。
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スニーカー学 atmos創設者が振り返るシーンの栄枯盛衰
著者:本明秀文
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**内容紹介:**
本書は、atmos創設者である本明秀文氏がスニーカーカルチャーの歴史を振り返りながら、その発展や変化、さらにはスニーカー市場と経済のつながりを語った一冊です。日本人がいかにスニーカーの価値を見出し、ファッションや投資としての存在に変化させてきたか、また転売ヤーの台頭やSNSの影響が市場にどのような変化をもたらしたかについても掘り下げています。スニーカーファンのみならず、ファッションや経済の視点からも楽しめる内容となっています。
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**感想:**
Nikeエアマックスへの憧れ世代として、スニーカー文化がファッションやライフスタイルの一部として定着していく過程をこの本で再確認できました。スニーカーがただの消耗品からステイタスシンボル、さらには投資対象へと変わっていくプロセスが非常に興味深く、普段考えない経済との関連性や転売文化についても新しい視点を得られました。特に、転売ヤーの影響や、SNS時代のスニーカーブームについての分析は、現代のファッションシーンを理解する上でとても参考になります。スニーカー好きな方はもちろん、ファッションと経済に興味がある人にもおすすめの一冊です。
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日本における投機スニーカーブームについてわかりやすくまとまった本。
スニーカーに限らず、投機ビジネスを考える人にもおすすめ。