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人類みな友達、この言葉で済ませたい。飄々とした人たちが、やらかしちゃう物語、「友達」。「棒になった男」はいきなり降ってくるとこからナイス。文学的幅を示した、才能あふれる作者の戯曲。他者と自己の関係を恐ろしくも滑稽に描いた、日本昔話的表現にジーンっ。
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「友達」「棒になった男」「榎本武揚」の三つの戯曲集。
戯曲ははじめて読んだけど、会話形式なのでサクサク読めて楽しめた。相変わらずブラックな笑いのセンスが抜群の「友達」がお気に入り。
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安部公房の戯曲集。
表題作『友達』は非現実的な世界観が、主人公を通じて日常的なものへと錯覚させられる、読み進めていくうちに思わず引き込まれていく作品でした。
日本社会において、個性や個人という考え方を維持することが難しく、全体主義、連帯責任というものに押さえつけられてしまうという現状を表現したものであり、これは現在の日本社会でも通じるとことだと思った。
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古い読書記録より。
象徴性が全面に出ている作品。中学時代、「モチーフを読みとく」ことの快感を教えてくれた一作。この作品をするする読みといたとき、物語をばらばらにしてふわけできた痺れのようなものが背筋をかけていったことをいまも覚えている。
別話戯曲のほうも読んでみたけれど、劇場での展開が目に浮かぶようだった。普段戯曲を読むことがないのでいい体験だった。
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おすすめされて読んだ本。
どれも不気味で、不条理で、それが面白くもあり。
全5篇の戯曲形式のお話。
表題作の「友達」は侵入してくる家族の理不尽な親切心が
とても不気味。彼らが話す言葉は一見正論。
だからこそ反論する余地がなく、受け入れさせられてしまう。
それは「棒になった男」内の「鞄」も同様。
登場人物たちのココロの有り様、揺れ動きの様が
いつかどこかで見たような、感じたようなことがあるのだろう。
それが不快感に繋がっているのかな?
「棒になった男」も何故突然に棒に??と疑問が付きまとう。
推測するしかないのだけれども、だからこそ地獄の男の
最後の台詞にゾクッとさせられた。
「友達」「棒になった男」ともに同じく新潮文庫から
出ている「無関係な死・時の崖」に小説バージョンで
収録されているらしい。
いつかこちらも読んでみよう。
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「友達」
面白かった。小説形式でやってもらいたかったな。友達一家の浮かべる「親切な笑顔」は、はたして…。二女の行動から察するに、武器としての笑顔なんだろな。あの一家はわざとやってたはず。
世間の繋がりがバラバラになった現代の都会人は、病気なのだろうか。孤独は弱さなのだろうか。
覆いかぶさってくるしがらみこそが人類の病巣のような気がする。
「棒になった男」
鞄、時の崖、棒になった男の三作。「鞄」は「家」の変形版。「時の崖」はそのままで、「棒になった男」は同名の短編を改編した戯曲。
鞄、くたびれたおっさんであることがとってもユーモラス。そのおっさんを挟んだ女二人のやり取りが笑いを誘う。
時の崖、あっと言う間に崩れていく。
棒になった男、小説形式より分かりやすかった。大量に生産されていく、汎用性の高い棒、優秀につまんない棒。でも男の子にとっては、大事な棒。
「榎本武揚」
日本史に疎いのでノーコメントで…。
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安部公房の戯曲集を初めて読んだけれど、やっぱり安部公房であって、現実の中の非現実、日常の隣にある非日常に誘う作品です。このなんともいえない不思議な世界観にいつも感嘆するばかり。素敵です
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安部公房の作品は変だ。読み進めていくうちに迷子になる。ちゃんと舗装された道路を通ったはずなのに。
『友達』の展開は訳が分からない。それなのに納得してしまう。そして、そら恐ろしくなる。闖入した一家が、例えばこんな論理で説得してくるのだ。
"兄弟は他人の始まりっていうじゃないか。つまり、他人をさかのぼって行けば兄弟になるということでもある。"(19頁、『友達』より)。
これを劇場で見た観客は何を思っただろうか?
『榎本武揚』は、安部公房先生にしては珍しい歴史・人物モノである。とはいえ展開がシュールなのは変わらない。幕末ファンかつSF好きには興味深い一品なのではないだろうか。
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「友達」怖し。
非現実世界の中にいるようでいて、そこには確実に現実世界の様相が多分に含まれており、
序盤では可笑しさに機能していたユーモアも、
終盤に差し掛かるにつれ徐々に恐怖感を助長し、不安をも煽る事に。
父「一般的に狂人は自分の事を正気だと言い張るものらしいじゃないですか」
…一家の「善意」に戦慄が走った。
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3篇の戯曲を収録。巻頭の『友達』は、不条理劇ではあるものの、劇のどこにも深刻さが感じられない。それどころか、きわめて喜劇的なタッチであるとさえ言えるだろう。そして、それ故にこそ安倍公房に特有の不条理が醸し出されるという奇妙な味わいの劇。続く『棒になった男』は寓話劇と見ればわかりやすくはあるのだが、そうすると第1幕をどう位置付けるのかが難しいところ。それによって解釈が変わりそうだ。最後の『榎本武揚』は、一見したところは安倍公房らしからぬ普通の劇に見える。この作品は、特に戯曲よりも舞台で見る方が楽しめそうだ。
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安部公房の戯曲。
表題作、冒頭の『友達』は、とっても苦手な話でした。
ずけずけと知らない人に立ち入れられるっての、物凄く神経に障るんです。
結局萎えたまま読了。。。
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本人が亡くなって20年経った今になって、すっかり安部公房ワールドのファンになってしまった。
氏の文章はあらゆるものに対して「なんかみんな常識、常識って言ってるけど、それ、ほんと?」という疑問を投げかけるような内容のものが多いのですが、ここではおよそ物語と名の付くものが持ちがちな人情至上主義に対して同じ疑問を投げかけている(ように見えた)。親切心とか、人は一人でいてはいけないとか、忠義とか。
で、普通の作家がそういう事を描こうとすると、とかく不良や犯罪者といったアウトサイダーな人物に乱暴を働かせながらこれ見よがしに言う、という形になりがちですが、安部公房の場合、至って普通とされる人が異常な状況に巻き込まれてだんだん常識に疑問を持つ、となるパターンが多い。だから身につまされるのかな…。
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「友達」のみ読了。安部公房の世界観は抽象的で分かりにくい。それでいてどこまでも不気味だ。この男は私で、家族は社会だ。社会はいつだって正しい顔をする。優しく微笑みながら毒の入った牛乳を飲めという。彼女はそれが私のためだと信じて疑わず、だから私は死ぬしかしない。けれども私が孤独に耐えられなくなった時、私もまた知らずのうちに誰かに牛乳を差し出しているのだろう、と気付いて絶望した。
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『友達』が特にいい。家族の個性あふれる挙動・言動がおもしろい。「男」とその「婚約者」とのあいだの間もさすがだ。
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初めての戯曲だっけど、そんなに違和感はなかった。
「友達」は闖入者が原作とすぐわかったので、
闖入者を読んだ時のほうがインパクトが強かった。