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こんな頃もあったなぁと懐かしみつつ、ワクワク、ドキドキさせてもらった。こんな純粋で好奇心旺盛な気持ちは大人になるにつれて薄れていってしまうのだろうか。できるだけ今自分の心に残っているそんな部分を無くさず大切にしていきたい。
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子供は大人を困惑させる。
子供は大人を振り回す。
子供は大人を無視して冒険する。
子供は大人に反抗する。
――――――――――
子供は周りの環境を受け入れる。
子供はいつしか夢と希望をなくしていく。
子供は肉体と精神が成長する。
子供は静かに大人になっていく。
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確か小学生のときに読んだ。けどその頃から既に、文学っぽいもの=文章もおもしろくないしいまいち勢いがなくてつまらないって固定観念もあって、楽しめなかった記憶が。
日本語訳だから余計つまらなくて勢いの無い文章になるんだとおもう。やっぱり読めるものは原書で読んだ方がきっと楽しいだろうな
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児童文学として評価されるのはトウェインの本意では無かったようだが、読み手からすれば純粋に郷愁的な自然美溢れる冒険児童小説として仕上がっている。自伝的に著したトムソーヤが子供向けの評価で、筆を誂えて創作風に著したハックの冒険が、より文学的に評価されているのが皮肉な所。まあどっちが面白いかと問われれば、私的にはトムソーヤの冒険なのだが。
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トムソーヤと、ハックルベリフィンのどちらが好きかと聞かれれば、ハックルベリフィンだと思う。
話としても、醍醐味がある。
ただ、トムソーヤを読んでいたので、ハックルベリフィンが面白いと思ったのだろう。
その意味で、トムソーヤの冒険は偉大だ。
ある時代のアメリカの田舎をよく描写している。
子供の冒険の夢がある。
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古き良き、良い意味で粗野な明るいアメリカがよく表されている。
しかし、発行が昭和28年の訳のため、幾分言い回しが...
最後は急展開だったんだな。
アメリカンドリームとは、また異なる結末だ。
最終章のタイトルがギャングスタなのに、ゲットマネーに走らないところが、児童文学なのだろうか。
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以前英語で読もうと思って挫折したので、日本語で読んでみました。
やんちゃなトムが子供らしい無鉄砲さと不器用さで毎日を過ごしている様子を楽しく読みました。
ハック・フィンがみんなから無視されていること、本人もそれで当然だろうと受け入れていることを悲しく思いました。
インジャン・ジョーが洞窟の出口の前でみじめに餓死しているところが怖かったです。私は洞窟が好きではないので、洞窟の話は全体的にぞぞぞっと背筋が寒くなりながら読みました。
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「児童文学」という枠組みを大きく超えて・・また隔世の感すら飛び越えて、今も愛され続けるトムソーヤー。
こんな悪がき、誰が好きになるか・・と嫌悪感を抱きつつも、その自由奔放さを羨み、親しみを感じてしまうのは、忘れてしまった「童心」がまだ心の奥底でくすぶっているせいだろうか。
「アメリカ文学」のスタートラインであり、自分たちの文学史のスタートラインでもある。
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この話は何度も出会っているが、チャンと読んだのは初めてかも知れない。こどもの頃の気持ちが少しばかり甦ってくるワクワクするのだから、こどもが読んだら凄く楽しいに違いないと思える物語です。こどもって不思議な物が好きで、交換したりして手に入れて喜んだり、色々と想いを巡らしたり、自分もそんなだったんだなぁと懐かしく感じたりしました。最後の方の話は少し記憶と違った部分もあり、もう一度読み返してみて良かったと思います。
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明らかに優れた著者の手による描写(当たり前だがw)と、まるで子供の話を聞いているような時系列よりも自分の興味を優先したような構成の組み合わせが、物語に現実にあったような感触を与えているように思う。
半ば教養のためと考え読み始めたが、いつの間にか物語に引き込まれていた。
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人生でもっとも重要なことが詰まってる本だと思ってる。
毎日が楽しい!!この瞬間が最高に楽しい!そんな本。
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アメリカのミズーリ州に住むトムは、いたずらや冒険が大好き!親友ハックとともに、魚釣りに海賊ごっこと冒険やいたずらに明け暮れる毎日です。でもそんなある日、恐ろしい事件を目撃してしまい…本当の冒険はこれからです。幽霊屋敷や洞窟探検でみつけるものは何かな?(推薦文:ABE)
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トムの天真爛漫さに注目してしまいがちだけど、
語り手の的確で辛辣な風刺精神が、
ずば抜けていると思う。
子どもの社会というのは、
ある意味では、大人社会の縮図であり、
人間同士や社会との関係が手垢にまみれ、
にごっているかどうかの
違いなんだと思う。
大人である語り手が、
透き通った眼を持ち、
ユーモアとともに、人間関係の理を見通せていることは、
語り手がいまだに童心を持っていることに他ならない証拠でもある。
ただ、この作品当時の社会(大人たち)は、
今に比べるとまだまだ単純で素朴であることも、
この作品に安心感を感じる要素になっていると思う。
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3度目の読み直し。
つくづくマーク・トウェインのうまさに舌を巻く。
最もすばらしいと感じるのが、教会に関する部分。
無邪気に神様を信じつつ、その真実を悟らず、ただひたすらに感動を求め、表面上の知識を求めて、誠実に信仰する一般大衆の愚鈍さと愛すべき純粋さを描かせたら、右に出るものはいないのではなかろうか。神学的には最もたちの悪い牧師でさえも、己の言葉に感動してトムの葬儀に泣き出すという人の良さ。
このあたりにいちいちまことに感動し、驚嘆し、マーク・トウェインのすごさを感じずにはいられない。
もっともこの思いは翻訳のうまさによるところも大きいと感じている。
幕引きはあっけなく、いかにも漫画のような終わり方をするのだけれども、まぁそれはそれ、と思うことにした。
今回は作者の風刺描写の見事さに酔いしれただけで、十分ハッピー
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子供の頃の記憶が、ずっと寝かせてあったことで洗練され、素晴らしい形で煮立ったのだろう。子供心をこれほどまでに鮮明に蘇らせることができるのはすごい。正確に言えば、それが子供心であるかどうかは定かではない。しかし、大人が読んで子供のときってそうだよな、と心洗われる表現ができることがすごいのだ。なぜなら私たちは、そんなものはとうの昔に忘れているから。頭の中で眠っているその記憶の扉をノックするどころか無理矢理こじ開けられることに、不思議なことながら心地よい郷愁すら感じ得ない。あーだめた。まとまらない。