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本書は、足利御三家、すなわち吉良氏・石橋氏・渋川氏を扱う。タイトルを見たとき、まず思ったのは、「それって何」。三管領などと違って、歴史本で他の〇〇氏と一緒に出てくることはあっても、独立に取り扱われることはほとんどないだろうと思ったから。しかし著者によると、政治権力体系からのアプローチのほかに儀礼権威体系からのアプローチが必要であり、室町幕府の支配を考えるには、御三家を上位に秩序化されていた後者もきちんと検討する必要があるとのこと。
三家の共通点とは、足利氏の「兄」の流れを汲み、鎌倉時代「足利」名字を名乗ったことであった。しかし将軍家足利氏にとっては将軍としての自らの地位を別格化するために、1340年代、これらの家が「足利」と名乗ることを禁じたのではないかとされる(佐藤進一説)。
観応の擾乱による足利一族の分裂を経て、吉良氏・石橋氏・渋川氏が京都に再結集し、御三家という形をとって、斯波氏ら三管領と儀礼的に並立し凌駕していくのが応永(1420年代後半)末年ころから永享年間(1429~41)頃、足利義教の時代だったこと、また、この時期は、御相伴衆や外様衆など幕府内部で身分・役割に基づく「衆」が成立してくる時期で、それらと軌を一にしたものと著者は見ている。そしてその役割は、足利氏の「血のスペア」として準備されたものだと考察する(義量の夭折、義持が後継を指名せず死去したことなどが背景か)。
本書では、以降、各家の近世に至る動向を個別具体的に追いかけていく。
これら三氏に加えて本書では、その血族関係として三氏と立場を同じくしながらも「管領」となった斯波氏を取り上げ、比較検討をしていくところがとても興味深かった。
栄枯盛衰を感じながら、足利御三家というこれまで思ってもみなかった視点から権力と権威というものについて考えることができたのが収穫だった。
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足利一門において特別な家格であった吉良・石橋・渋川の三家について各氏の動向を追う事で、儀礼権威体系の側面から室町幕府の支配体制を見る内容。関係の深い斯波氏についても触れられている。義教期における御三家成立過程が興味深い。
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将軍家に次ぐ別格の地位を占め、将軍家を支える名族、御三家に関して、上位の家格であったことを解明した本になります。
密接に関係した斯波氏と比較しつつ、知られざる足利御三家の存在に光を当てる興味深い内容でした。
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三管領のように政治権力を持った一族とは違い、儀礼権威として存在した吉良氏、石橋氏、渋川氏、加えて彼らと関係が深い三管領でもあった斯波氏を取り上げている。
吉良氏と言えば、忠臣蔵でお馴染みだが、儀礼を死守し江戸幕府においてもその存在感を再生するが、儀礼に拘り過ぎたゆえにあのような破滅に繋がってしまう。吉良氏は吉良氏でも関東に根付いた関東吉良氏が蒔田氏となり、前述の元禄赤穂事件で断絶した京都吉良氏の後、再び吉良氏を名乗り、復活していたとは。
そんな彼らの権威も京では早々に弱まり、石橋氏や渋川氏などはフェードアウトしてしまう。一方、関東では一定の敬意を払われている。これは鎌倉公方→古河公方にも言える事だが、後北条氏が権威を持ち合わせていないので、後ろ盾として必要であった。