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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1792003602980192761?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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苫野先生のvoicyにて知り、予約注文し読破。
本書の主たるテーマ「本質観取」について、著者と子どもで行われた実際の例をもとに紹介されている。
本質観取とは、「わたしに訪れた確信」をもちよることで、みんなが納得できる"共通了解"を見出しあう営みである。(本書P.45)
個人的には、対話を通して絶対解ではなく納得解を見つけるというイメージである。
本書には、民主主義社会について、多様な人々が対話を通した合意に基づいてつくりあう社会であるという説明もあり、強く共感した。
本書を読んで、自身の経験とつながると感じたこと2つある。
1つ目は、先日職場で受けた、探究をテーマにした研修だ。この時、本書にある流れの通り、それぞれの経験・考えを伝え合い、「つまり〜と言うことかな?」といった納得解をつくりだした。この研修を通して、他者についてより深く理解ができたという実感を持つことができた。本書では、親子で行われているが、親子以外の関係でも十分理解し合えるきっかけになると思う。
2つ目は、本「教師のための非認知能力の育て方/中山芳一」の内容である。子供の非認知能力を育てるにあたって、たしか初期の段階に「教育とは何か」といったそもそもについて、学校の先生たちで話し合うといったステップがあったように思う。このステップがあることで、集団としての方向性・足並みが揃うと思う。
最近、個人的にも◯◯とは何かといったことについて、考えることが増えたように思う。つまり哲学的思考ができるようになったきた…というと、かっこいいのでちょっと嬉しい。いえい。
本書の読書会にも参加してみたくなった。
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この本が15年くらい前に出ていたら、きっと家でも本質観取をしていたと思う。小さいころは子ども2人を両側に、毎晩のように絵本を読み聞かせていたし、少し大きくなってからもソファに座って「泣き虫ハアちゃん」とか「14歳からの社会学」なんかを読んでいた。だからと言って、子どもたちが本好きになったわけではないのだけれど。その流れで、幸せって何だろうとか、大人って何だろうとか、何のために学ぶのかとか、お金のこととか、いろいろ話をする機会になったのではないだろうか。本書は著者が、2人の娘さんたちが小学生のころに寝床でやっていた本質観取の様子を伝えるものになっている。著者自身も言っていたが、もう少し深掘りしてほしい内容ではあるのだが、子どもたちが自分の中で何か悩みなどがあって、それで話してみたいと思ったことを、お父さんと話しあっている。とってもいい感じだ。子どもの方から本質観取しようなんていうことばが出て来るのは、もちろんお父さんが哲学者だからだけれど、でも、それくらいのノリでどこの家庭においても本質観取が一般的になっていったら良いなあと思う。できれば、長女ちゃんがしばらく小学校を辞めて、お父さんの大学について行っている間の話をもっと知りたかった。なんか、それも良いなあと思う。飲み会なんかでも本質観取が広がると良いと思う。僕も、2ヶ月ほど前、送別会の席で、みんなにとっての幸せって何だろうと一人一人に聞き出してみた。単に雑談しているよりもとっても良い時間を過ごせたように思う。まあ、雑談も大事だけれど。