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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1819623086691701124?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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日本の政治と行政(官僚)の劣化を感じているのだが、その答えと、日本が取るべき方向性が言及されているのかとタイトルを見て手にした。また、「エビデンスに基づく」と言う言葉は、ビジネスを進めるにあたっては、当たり前に使用するものだ。
そもそも政治家の頭には、再選されることにしか興味がない。従ってエビデンスがどうのこうのなんて判断基準にはなりきらない。
一方でエビデンスも、見方や前提でどうともなる面がある。またそれを収集し、解析し、分かりやすくまとめる労力もばかにならない。
精緻性の延長上の「有効性」と、時間軸やコスパを考えた「効率性」を両立させた、合理的な計画と結果の評価が必要なのだが、難しいようだ。
しかし新型コロナ感染症で馬脚を表した政治家のエビデンス無視の対策等々、反省すべき点(当人はそうは思っていないのだろうが)は数々ある。
もう少し民間を倣って、質の良い政治と行政を行って欲しいと感じた。何事も失敗から学び、改善していくしかないのだ。
以下は重要だと感じたポイント。
・「業績管理」とは、個々人や組織、部署の業績=パフォーマンスにしたがってマネジメントを行うことを指す。その際に用いられる手法が、「業績測定」 (Performance Measurement) で、これは様々な目標を数値化して測る。どれだけの資源を投入し、どれだけの成果があがったのかを測り、プログラムの実態を可視化する。これを通じて人事評価や政策の継続の是非などを決めるのが業績管理。
業績管理の背景にあった考えの一つが、VFM (Value for Money) で「支出に見合う価値」と訳される考え。この表現に沿えば、市民は税金という料金を払っている「客」。「客」に対して「企業」は料金の分だけのサービスを提供しなければならない。払った料金(税金)に見合うサービスを行政は提供できているのか、できていないとすれば、それは問題だ、というのがVFMの論理。
・米国発のいわゆる「行政革命」は、日本においては新自由主義的な路線につなかる。
・以前三重県知事で改革を主導した北川氏は、事務事業評価(業績管理/業績測定)の仕組みを導入し注目をあびたが、それはアウトカム指標を設定することによって、成果を意識した行政運営を根付かせることに目標があったと言う。
・政策評価には、単純化すれば、①精緻なプログラム評価を主眼とするもの ②業績管理/業績測定を主としたもの がある。
日本の場合、諸般の事情によって後者が主流だが、それとて単純なものではなく、様々な理論を含んで多様な展開を見せた。その大きな柱の一つがNPM(New Public Management)。NPMそのものも定義が難しいが、とりわけ日本においては、民間企業に学んで行政のマネジメントを効率化し、更には市民社会の公共性をも強化せんとする野心的な企てであったと言うことができる。
・日本はプラン偏重主義の国。これは、日本では予算に重きが置かれ、それを獲得できたかどうかが極めて重視されるため、必然的に予算の根拠となりうる法案や計画といったものだけに注目が集まり、政策の見直しや検証はそれほど重視されることはない。
更に米国のように、外部の監視機関や専門スタッフによる評価なも根付いていないため、透明性が担保されていない。
・政策評価の基準は「効率性」の他、「有効性」という基準も重要。とりわけ、EBPMは有効性を重視するものであり、これを確かめる手段としてRCT(ランダム化比較試験)が有力。日本では、事業仕分けのように評価に類する取り組みはしばしば、予算削減とセットで流行してきた。つまり、評価と予算削減は本来は別の次元の話のはずにもかかわらず、日本の文脈ではこれらがセットになって世を席巻してきた。言うなれば「効率性」は「合理化」の中身のうちの一つに過ぎないのに、それこそが政策の合理化の全てであり、評価はそれに資するためにある、という認識が広まってしまった。
・EBPM の本旨は、精緻にデザインされた研究をもとに、どのような政策が最もインパクトのあるものなのかを丁寧に明らかにし、それを実践するという点にある。
・一方「インプット(資源投入)」から「インパクト(結果の発現)」までを図式化したロジックモデルを用いた検討には限界があり、極論すれば、インプットやインパクトは、エビデンスがなくても作れてしまう。
本当にロジックモデル通りに政策が作動したかどうかを確かめるには、それこそ「政策の効果」を示すエビデンスを収集しなければならず、ロジックモデルを作ったのなら、作りっぱなしで終わらせるのではなくて、その想定が本当に正しいのかどうかを含めて、客観的なデータを用いて検証しなければならない。
・そもそも、ロジックモデルの使い方として本来あるべき姿は、解決したい問題に対して、複数のアプローチを勘案し、それぞれについてロジックモデルを作成して、どのセオリーが妥当かどうかを吟味する、というもの。しかし既存の事業に対してロジックモデルを作成するだけでは、代替案を思いついたとしても、それを採用するわけにはいかない。ロジックモデルの意義を本当に発揮させようとすれば、事業を考える時点から作成に着手し、更に複数のアイデアを比較するなどといった過程が必要なのだが、そういった丁寧な段階を踏んで運用されている事例は、ごく僅かにとどまっているのが現状だ。
・エビデンスの多元化を踏まえつつ、EIPM(Evidence-Informed Policy Making) と言う言葉をEBPMの代わりに用いるべきだと主張する論者らもいる。
これはエビデンスだけでは政策は決まらないし決められないということを前提に、エビデンスの多元性にも目を配り、エビデンスは政策決定者が考慮すべきたくさんの情報のうちの一つだという認識に立った手法だ。
・政治家は、基本的に自分の再選に繋がらない情報をわざわざ気にすることはない。そもそも、政治家が下す政策判断には、エビデンス以外にも考慮しないといけない情報がたくさんある。
政治家が評価結果を活用しない以上、官僚や公務員の側にもそれらを利用するインセンティブは働かない。評価の結果、効果がないと判明した政策であっても、政治的な思惑やそれによって生じた駆け引き等によって、無理やり続けられるといった事例も珍しくはない。せっかく評価を頑張っても無力感にとらわれるかもしれません。また、自分たちが熱心に取り組んできた政策が、評価によって「効果が���い」などと言われてしまうと、政策に携わる人々のモチベーションを低下させることに繋がる。
事業仕分けで見られた政策評価によるアカウンタビリティの拡充という試みは、そもそも説明を求めていない(興味がない)大多数の人々に対し、行政の膨大なリソースを投入して山のような資料を作り上げるという帰結に至っている。当然、その資料はほぼ誰にも読まれまない。
これこそが、「空転するアカウンタビリティ」と呼ぶべき現象に他ならない。
・政策課題はしばしば、「ウィキッド・プロブレム」(厄介な問題)であると言われる。これは次の4つの特徴を備えている問題を指す。
①問題の捉え方が社会の構成員ならびにステークホルダー間で異なっている
② 問題同士が相互に関連している
③対処するための知識が不足している
④ 不確実性が高い
その好例が、新型コロナ感染症の問題だった。政治的なリーダーシップの迷走、専門家と政治家の対立など、EBPMにとっても多くの課題が残った。
・政策の合理化を妨げる大きな要件として、「政治」の存在を欠かすことはできない。エビデンスが支持する政策があったとしても、肝心の政治が言うこととを聞いてくれなければ、EBPMなどは所詮、絵に描いた餅に過ぎません。これまでも、お金をもった会社や業界団体がエビデンスを歪める事態というのも珍しくなかった。
・政策の合理化という試みを遂行するにあたって、政治を遠さけることは、かえって問題を悪化させる。むしろ障壁だと思われてきた政治を、いま一度政策の合理化というプロジェクトに引き戻す方途を考えるべきだろう。
・優れたエビデンスによって、質の高い政策案を導き出したとしても、それを政策過程において提案する経路がなければ、EBPMは単なる絵に描いた餅で終わる。EBPMのために新しい制度を一から作るというのも、リソースの関係から考えると、現実からかけ離れた机上の空論に過ぎないと言わざるを得ない。
・今後重要なのは、
①政治家は、政策評価の結果をもっと分かりやすく市民に伝える。
②政策評価の方策をよく検討すること。
③政治家は、きちんと既存の研究結果を見て実践すること。
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EBPM(エビデンスに基づく政策形成)の米英での成り立ち、EBPM以前の日本における政策評価の歴史、日本におけるEBPMの展開、そもそもエビデンスとは何を指し、どのように扱えば有益なのかの掘り下げなど、EBPMをはじめとする政策の合理化について議論を整理し、今後の展望を描く。
EBPMや日本における政策評価の背景、経緯、課題等についてよくまとめられており、EBPMをはじめ政策の合理化について考えを深めさせてくれる好著だった。
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やはり、難しい。政策評価もEBPMも発展の経緯はわかつまたけど、これが国民に市民にどう還元されるのか。ペーパーワークもご指摘の通り膨大だし。
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エビデンスに基づく政策(EBPM)について、日本の政策評価史を振り返りつつ論じた本。
エビデンスに基づいて政策を行って行くことは良い方向であるものの、それを行うことは簡単ではない。
厳密なエビデンスを集めて政策評価を行おうとするほど労力がかかりすべての政策について評価を行うのは困難になる。エビデンスの定義も狭義のものから広義のものまであるようだ。
エビデンスに基づいて政策を行おうにも利用する側の問題もある。都合のいいエビデンスだけを用いようとする政治の問題。
EBPMは聞こえがいいものの、それをうまく活用していくには色々な問題をクリアしていく必要があるようだ。
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データ、エビデンスの重要性とそれを社会政策にどう活かしていくべきかを考えるきっかけになる本。良かった点は、エビデンスを信仰する信者達が唱えるエビデンス一辺倒の排他的な政策ばかりを良いとするのではなく、その周辺にまつわる余白や社会価値観等も大切であり気にしなくてはならないと述べられているところだった。いわゆる現場を知らない学者連中たちが述べる行政運営と、実際の行政の現場では乖離があり、これを今後どう密着させていくかが課題であると思った。
悪かった点は具体的な解決案、結論が提示されなかったことだった。社会政策を良いものにするには、EBPMの運用努力次第だろうといった抽象的な結論であったと読んだ。