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投稿者:AIZOU - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮台真司のお話
森の話を添えてって感じ
相変わらず気軽に読めないです
私には
ただ昔より衝撃を受けなくなってきた気がする
過去のを読み返してみようかな
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稀代の社会学者 宮台真司氏とフリーの教育ジャーナリスト おおたとしまさ氏の対談を中心に、実践者たる教育者の方々も交えた貴重な記録。
大学生の頃からずっと知る大家 宮台氏の、20年30年におよぶ学者としての研究・実践に基づく、ときについていけないハイペースでの学問的・体得的見解の出力の嵐を、おおた氏が噛み砕いて紹介・補足するといった展開。
当時宮台氏については色眼鏡で見ていたのもあったが、この本ではご自身の両親との経緯と共に、如何に考え行動してきたのかも触れられていて、あれはそのような狙いや背景があったのか、と気付くことも多数あり、勝手に伏線回収ができた印象もあった。
先ずは私自身の家族・身の回りから振り返り見直しの取り組みをしていくのと合わせ、今の日本が置かれている絶望的な社会を変革するために立ち上がった本書籍に登場する皆さんのネットワークの強化・発展を応援していきたい。
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「森のようちえん」への着目:教育の本質を求めて
ジャーナリストのお お た氏と社会学者の宮 台氏の対談を通して、現代教育や社会が抱える問題点が、「森のようちえん」という実践を糸口に深く考察されます。お お た氏の教育現場取材経験から、「森のようちえん」が教育の本質を体現し、従来の教育とは異なる教育工学的にも理にかなった方法として提示されます。
ピュシスとロゴスの対比:人間性の根源と社会の枠組み
本書の根底には、ピュシス(自然、根源的な力)とロゴス(法、システム、言語など人間が作り出した枠組み)という対立概念が存在します。近代以降、社会はロゴスの過剰な支配によって複雑化し、人間は社会化される過程で本来持つピュシス的なものを抑制され、その結果、身体性や感情能力の劣化が指摘されます。
社会化と人間の劣化:失われる根源的な力
定住生活以降、人類は社会化の過程でロゴスに縛られ、「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシン」となる可能性が示唆されます。特に日本では、「空気の支配」への過敏化や上司への過度な忖度といった現象が見られ、人間の劣化は孤独死や感情の希薄化といった形で現れるとされます。
「森のようちえん」の実践:ピュシスの回復
「森のようちえん」は、ロゴス的な大人の意図や枠組みから子どもを解放し、自らの身体や感覚(ピュシス)を通じて世界と関わることを重視します。森での体験は、子どもたちの「身体の肌感覚」や、自然や他者の微かなサインを感じ取る「ピュシスの歌を聴く力」を育むとされます。
身体性、臨界期、関係性の重要性
身体性は、コールに対して自然にレスポンスができる身体であり、言語以前に開かれた状態を指します。子どもの遊びや親からの愛情が身体次元の感覚を育む上で重要であり、臨界期における様々な能力の習得の重要性、そして互いを目的として絆を結ぶ関係性の重要性が強調されます。
現代社会の諸相:メタバース、民主主義、そしてクズ化
メタバースを新たな権威主義と捉える見方や、現代民主主義がロゴスに縛られているという批判が提示されます。社会の「クソ化」と人間の「クズ化」、そして多重帰属の奨励といった現代社会が抱える問題点が議論され、任侠の変容にも触れられます。
結論:ピュシスの回復とAIに置き換えられない人間
本書は、現代社会が過度にロゴスを重視した結果、人間の能力や関係性が劣化しているという問題意識を提示し、その解決策の一つとして「森のようちえん」の実践に注目します。「ピュシスの歌を聴く力」を取り戻すことこそが、AIに置き換えられない人間を育てる鍵であると結論付けられています。
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知らない言葉が多くて理解しきれていない箇所もあるけど、お話はすごく良かったです
身体性を身につけること、アフォーダンスの重要性、などなど、始終頷いたり、そうかと感嘆したりしながらそこに参加してる気分になって読みました。
ギリ昭和で田舎育ちの自身の環境を振り返るとオーガニックな森のようちえんだったなと思いました。自然の中で過ごした経験は今思えばとても豊かだった。そのような環境に身を置くことでしか育たない感覚や身体性があり、それはとても大きな価値で、子供が成長する上で決して蔑ろにしてはいけないものだと改めて思った。
少し話は逸れるけど、以前、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが「走ったり飛んだり、身体を使った経験がないと、そういう場面を表現することもできない」と言っていたことを思い出した。さらに、宮崎駿さんが言っていた『テクノロジーが発展して、身体を通した行為や動きが生活から消えると、(例えばスマホのようにダイヤルもボタンもないものになっていくと)アニメの表現としては退屈になる』と語っていたことも改めて腑に落ちた。
それはジブリ作品がなぜあんなに人の心を動かし、ワクワクさせるのかということへの答えだと思うし、人は本来、自然と共にあることにワクワクを感じるんだと思った
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宮台ワールドが迸っていて、諸々自分も勉強してキャッチアップ・アップデートしていかなくてはいけない部分も多かったが、
繰り返し述べられている『「社会の外=言外、法外、損得外の時空」を開示して力を回復させる体験デザイン』によって、「失われた身体性・感受性を取り戻す」ことが急務であることには深く共感した。
たまたま併読していた本にも、日本の政策立案がいったいどういう戦略や意図があってなされているのかが見えなくなっている、という話が出ていたが、本書で日本社会の課題と指摘されていた
・「ヒラメ(上へへつらう)」「キョロメ(周囲に合わせる」で空気感に縛られる
・「価値的貫徹より学習的適応が優位(やりたいことよりも、やったほうがいいことを、やろうとする)」
による「劣化」がますます進んでいることとも関係しているようにも感じた。
また、森が成長変化していく様子を見続けることが、「関わる」ことで自分も環境に働きかけられるのだ、と実感できることにつながる、というお話はまさに上記の政策は与えられるものではなく、関わっていくもの、という意識にまで通じるのではないか、と感じたりもした。
森のようちえんの取り組みに触れる機会は限定的ではあるが、我が家はかつてスウェーデン大使館主催の森のムッレに参加した。こうした活度も目的とするところは一緒だと思うので、今後も機会をとらえて親子で「共同身体性」を育んでいきたいと思う。