- みんなの評価
8件
幼年期の終わり
地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的とは何なのか? 異星人との遭遇によって新たな道を歩み始める人類の姿を、SFの巨匠クラークが哲学的に描いた傑作。初版刊行から36年後、現代に合うように著者が物語に調整をほどこした新版、初の邦訳!
幼年期の終わり
ワンステップ購入とは ワンステップ購入とは
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
幼年期の終わり
2008/09/13 23:56
クラーク追悼。
13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:読み人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
いやぁ、SFをこの光文社の古典新訳文庫で読めるとは、、、。
もうクラークも古典なんですね、、。
早川版も東京創元社版も読んでいないので、
今回、私、本書は、初読みとなります。
というのも、三部構成の第一部をクラークは1990年にリライトしており
このリライトされたバージョンは、この日本では光文社版だけだとか。
東西の冷戦について言及されていたのを、ここだけは、クラーク書き直したそうです。
今回は、古典ということで、若干ネタバレの感じで書きますが、
ストーリーとしては、所謂地球人と宇宙人が出会うファースト・コンタクト物
とだけ書いておけば、いいでしょう。
しかし、これはっきり言ってファースト・コンタクトものではないですね。
憎悪と恐怖の対象である悪魔の姿をした異星人オーバーロードたちが、人類の進化を見守っていて
さらにオーバーロードの上の存在までいるというのが、本書のネタですが
人類の進化、人類の未来を描いた小説です。
ここまで敷衍して普遍性をもって描くことで純文学まで影響を与えたといわれる
作品になったとまで思えます。
今回一番思ったのが、クラークってハードSFの権化みたいに思っていたのですが、
割と、オカルトチックなアプローチも持っているんだなぁということと
(前書きでもちらっと書かれていていますが)
すべてにおいて、物理法則と科学技術が作者の思惑さえぶちこわす
ハードSFの書き手クラークをもってしても
キーになる異星人の姿に悪魔を持ってくることでやっぱりキリスト教的枠組みは
持っているんだなぁということ、。
(ただ、何処の文化でも悪の存在は、角がはえていたり強そうだったりで
似た感じのビジョンですが、、)
2001年のキューブリックのやりかた、異星人やその絶対的上級者の存在はイメージを具体的に
見せないほうが、文芸上も知的なアプローチでないかとさえ思いました。
第三部の主人公ジャンが密航してオーバーロードの星へ行くのも
ここは、逆にSFの書き手として異星人のビジョンを書き読者に見せたいクラークが出た感じで、それこそめちゃめちゃ賢くて一般SF読者には、オーバーロードのような存在だったクラークの作家として人間としての限界と書くと書きすぎですが、作家として揺れ惑う気持ちを垣間見た気もしました。
それと、古典新訳の主旨に真っ向からぶつかるようですが、
オーバーロードは、上帝と訳すほうが、文学的だと思います。
なんか否定的なことばかり書きましたが、
でも、まぁ、長年語られてきた凄い作品であることは確かです。
こういう形でも、読めてよかったです。
幼年期の終わり
2008/03/20 22:07
巻末の解説も含めて堪能できる新訳版/追悼 アーサー・C・クラーク
10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
21世紀初頭、突如として地球上空に複数の巨大な宇宙船が現れる。オーヴァーロード(最高君主)と称する宇宙人たちは人類に紛争を放棄させ、地球には一度も訪れたことがなかった恒久平和の時代をもたらした。しかし、彼らの真の目的は一体どこにあるのか…。
以前からその名を聞いてはいたものの今日まで手にすることのなかった古典SFを、新訳が出たのを機に読んでみることにしました。早川書房の福島実訳版のことは知りませんので比較することは出来ませんが、この新訳は大変読みやすく、400頁を越える物語も一気呵成に読んでしまいました。
「2001年宇宙の旅」同様、異星人との遭遇によって人類が新たな段階を迎えるという物語が、壮大な想像力によって描かれています。異星人の本当の意図を追う謎解きミステリーの趣もあれば、異星人と抵抗勢力フリーダム・リーグとの政治スリラーの彩りもあり、この一粒のSFは二粒も三粒も美味しく出来ています。
そして最後に明らかになるオーヴァーロードの真意はどことなく悲しみをおびたものでした。その詳細をここで記すことは出来ません。それはこれからこの小説に触れる読者の興趣をそぐことは控えたいという思いからであるというよりも、巻末に置かれた巽孝之(慶応義塾大学文学部教授/アメリカ文学専攻)のすぐれた解説を超えるような文章を書く力が私にはないからです。
巽教授の解説はこのすぐれたSF小説を味わいつくす上で、大変に力になってくれるものです。もちろん先に解説から読むのは控えたほうが賢明ですが、人類の視点で読み続けたこの小説をオーヴァーロードの視点でもう一度読み直してみたくなる、そういう視点の転換を迫る論考はとても読ませるものでした。
幼年期の終わり
2007/11/19 20:31
父親小説の3つのアスペクト
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
SFオールタイムベスト作の一つ『幼年期の終り』が、古典新訳文庫の一冊に加わった。早速、早川文庫版で読んだ昔を思い出しながら手に取った。タイトルがダブルミーニングないしトリプルミーニングになっていると読めることに気づき、再読の楽しみを満喫することができた。
小説はまず、オーヴァーロード(最高君主)たるカレランをいわば「父親」とし、その「子ども」たる地球人類の行方をメイン・プロットとした長大な物語として読める。「父親」と「子ども」の対立、そして子どもの成長と巣立ちという古くからの物語が、SFという新しい皮袋に盛られ、独得のフレーバーであるセンス・オブ・ワンダーに満ちた展開で語られている。このストーリーラインを明瞭に意識させるためか、かつての邦訳は創元推理文庫版では、『地球幼年期の終り』と題されていた。
しかし本書が古典となった今では、SFというジャンルを振り返る材料として『SF、その幼年期の終り』として読むことができる。1953年にオリジナル版が出版され、1990年に第1章が大幅に改稿された本書が、ある種の古さを持っていることはやむないことだ。しかし、古びたのはSFガジェットの部分ではない。インターネットとなっているべき部分がファックスに留まっていることが古さなのではなく、本書の根幹に関わるセンス・オブ・ワンダーの質そのものが昔を感じさせるのだ。二〇世紀的というか、冷戦時代的というか、基本にある発展史観にノスタルジーを感じさせるものがある。ちょっと強引だが、『ALWAYS 三丁目の夕日』のようなと言ったら、話を混乱させてしまうだろうか。
さらに。読者である自分の『幼年期の終り』としても読めて、とてもスリリングな読書になった。現在の自分は、中学生・高校生の頃、あれだけ夢中になって読んだSFというジャンルにもう興味を持てなくなっている(本書を初めて読んで衝撃を受けたのは、高校一年生のときだった)。また、SFそのものが「拡散と浸透」を経て、今やジャンルとしての輪郭さえはっきりしなくなってしまっている。00年代のSFを語るとき、ライトノベルの存在や「萌え」との関わりは外せないのだろうが、それらは私には鬼門だ。
そんなあれこれを考える題材として、かつて本書に感動した同世代の読者および今はジャンルSFから離れてしまったかつてのSFファンに再読を勧めます。00年代の若い読者がどう読むのかは、ちょっと想像がつきません。