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7件
螢川・泥の河
著者 宮本輝
土佐堀川に浮かんだ船に母、姉と暮らす不思議な少年喜一と小二の信雄の短い交流を描いて感動を呼んだ太宰治賞受賞の傑作「泥の河」。北陸富山の春から夏への季節の移ろいの中に中三の竜夫の、父の死と淡い初恋を螢の大群の美しい輝きの中に描いた芥川賞受賞の名編「螢川」。
螢川・泥の河
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螢川・泥の河 改版
2009/03/02 22:13
「雪」 「桜」 「螢」
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る
『螢川』の舞台は昭和三十七年の富山の街です。
著者宮本輝氏は「一年を終えると、あたかも冬こそすべてであったように思われる。土が残雪であり、水が残雪であり、草が残雪であり、さらに光まで残雪の余韻だった。」と、富山の街を描いています。
水島竜夫は14歳。家の前にはいたち川が流れています。竜夫は小学校四年のとき、「四月に大雪が降ったら、その年こそ螢狩りに行こう」と、建具師の銀蔵爺さんと約束します。竜夫が中学三年になった四月、そのときが訪れます。それはもしそんな年が訪れたら一緒に螢狩りに行こうと、同級生の英子との間でかわした約束でした。ずっとそのときを待っていた竜夫の心情を宮本輝氏は「目が醒めた瞬間から、竜夫は胸の中で、四月の大雪や、四月の大雪やと叫びつづけていた。」と、描いています。
竜夫の父、重竜は竜夫のいる前で倒れ、帰らぬ人になります。重竜と千代が一緒になるくだりは、越前岬の風景に海鳴りと二人の耳に聞こえる三味線の音がかぶさり、絶品です。そして千代の重竜への愛、竜夫への母親の愛に、胸が熱くなりました。
竜夫は英子の写真を関根圭太から「友情のしるしやが。」ともらいます。思わず、好きな人の写真を眺めていたの頃の自分を思い出してしまいました。関根は用水路で死んでしまいます。洋服の仕立て屋を継がせたかった圭太の父は狂ってしまいます。関根の死は何を伝えたかったのか、理解できませんでした。
「ことしはまことに優曇華の華よ。出るぞォ、絶対出るぞォ」
そして、銀蔵と竜夫と英子と千代は、いたち川を南に向かって上がっていきます。そこには・・・。
『螢川』は「雪」「桜」「螢」の三章からなります。どうぞ、宮本輝氏の世界を堪能してください。
螢川・泥の河 改版
2012/05/17 18:02
宮本文学、ここにはじまる。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第78回芥川賞受賞作(1978年)。作家宮本輝はこの年、のちの川三部作のひとつとなる『泥の河』で太宰治賞も受賞している。(川三部作のもう一作は『道頓堀川』)
まさに神が舞い降りた瞬間だった。
宮本以前の受賞作をみると、第75回が村上龍の『限りなく透明に近いブルー』、第77回が三田誠広の『僕って何』と池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』のW受賞と続いていた。
まるで、行き過ぎたムードを是正するかのように、それまでとはまったく異質の、古典的ともいえる作品が選出されたといえる。
では、この『蛍川』がそれほど完成度が高い作品であるかどうかといえば、あまりにもたくさんの要素を詰め込み過ぎている感は否めない。
この後、この作品をほどき、また新たに紡ぎだすようにして、宮本が重厚な長編作を発表しつづけたのは周知のことだろう。
それでも、この作品が読者に与える感動は、やはり大いに評価すべきだ。
宮本文学、ここにはじまる。
物語は昭和37年の富山の冬の終わりから夏の初めまでを描く。52歳で初めてわが子を得た実業家重竜はそのことで妻と離縁し、若い千代と再婚していた。その子竜夫の、14歳の季節である。
この年、富山は3月だというのに大雪に見舞われていた。遅い大雪には雪のような蛍が舞うという伝説を竜夫は信じていた。そんな中、事業に失敗しすさんでいた重竜が倒れる。
一家を襲う悲劇が、竜夫の淡い恋と千代と重竜の燃えるような過去の交情と重竜という実に男くさい人物の姿をないまぜにして描かれていく。
悲劇ではあるが、そこには精いっぱい生きようとする人々の姿が描かれる。
どれをとっても物語はもっと深みと幅をもっているような気がする。
例えば重竜と先妻春枝、それに竜夫の将来がどのようにつながっていくのかといったこと、竜夫の淡い恋の相手英子のそれからはどうなるのかといったこと。
この物語はそういう意味では人生の一片にすぎないのだ。
宮本輝がこの作品で芥川賞を受賞したことは僥倖だったが、この作品が芥川賞であればこそ、宮本文学はその後、見事に咲き誇ったのだといえるだろう。
螢川・泥の河 改版
2023/04/29 10:41
しみじみと心に浸み込んでくる作品。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ナミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
しみじみと心に浸み込んでくる作品。私の不得手とする情緒的・抽象的・哲学的表現なのに何故か判ると言うか感じるのである。いずれの作品も戦後間もない時期。価値観が大きく変わり、戦後復興の中で日本人の感性も大きく変化しつつあった時代。生きるのも大変な時代の日常を淡々と描いているが、不思議と悲惨さや悲愴感は薄い。作中で描かれる情景は正に私の心象風景に合致しており、そこで起きる日常を繊細な神経で見つめる「僕」=作中の主人公の視点は、目の前の現実を理解できずに生き続けてきた私の視点にも繋がるように感じる。何故か判る判ると、心に浸み込んでくるのは何故だろう。不思議。