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ぼんち(新潮文庫)
著者 山崎豊子 (著)
放蕩を重ねても、帳尻の合った遊び方をするのが大阪の“ぼんち”。古い暖簾を誇る足袋問屋の一人息子喜久治は「ぼんぼんになったらあかん、ぼんちになりや。男に騙されても女に騙されてはあかん」という死際の父の言葉を金科玉条として生きようと決意する。喜久治の人生修業を中心に、彼を巡る五人の女達、船場商家の厳しい家族制度、特殊な風習を執拗なまでの情熱をこめて描く長編。
ぼんち(新潮文庫)
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ぼんち 改版
2012/01/02 15:50
美しい国のエロス、男のロマン、女の執念、昭和の光源氏一代記。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:書痴 - この投稿者のレビュー一覧を見る
お茶屋で芸者をあげての大散財、女道楽もビジネスチャンスにしてしまう才覚、仕事も遊びもきっちりこなす『ぼんち』こと主人公の喜久治は、さしずめ、業平、光源氏、世之介、日本の古典文学の系譜に連なる昭和のプレイボーイでしょうか。戦前・戦中の昭和の世相を背景に、大阪商人の格式やしきたり、花柳界といった特殊で閉鎖的な世界を、喜久治と共に体験しつつ、彼を取り巻く女性達とのドラマを興味深く読む事ができます。
喜久治と愛人達の関係は、精神的には、対等に、むしろ喜久治の方が何倍も翻弄される描写が、コメディーでありながら、どこか男の悲哀に感じられるのは、男の勝手な言い分でしょうか? 文中に次のような表現があります。「別に女不足もしていないのに、ふとしたはずみに、次々と女をつくり、そのどの女にも惹かれる自分を弱々しく笑った。しかし、何人かの女を養うことが商いの励みになり、一人一人の女によって喜久治の場格を加えていきそうだった。(略)一人、一人の女を、それぞれに愛しているとは云い条、所詮は、四人の女に四等分の一の自分しか与えていない。それが女道楽のきまった勘定書であると、いってしまえばそれまでだが、一人、一人の女の心にまで、責任をもってやらねばならぬとすれば、喜久治は奈落へ落ち込んで行くような暗い惑いを覚えた」
同じ女性でも、喜久治にとって、肉親となる祖母と母親に対する心情は別で、老舗の品格やしきたりに固執し、家付き娘、女系家族としてのプライドからくる傲慢さが、非人情に写り、陰湿な嫁いびりをはじめ、読み手としても、悪役のような印象を受けますが、喜久治との心理的駆け引きは、絶妙です。祖母は、本編中一番、女の業の深さと強さを見せてくれるようで、その実、一番弱い存在だったかもしれません。それは、戦争で灰燼と帰した自宅を前にした、祖母のセリフに効いています。「(略)商い蔵は男のもの、衣装蔵や、家屋敷にはわてらの血が沁み込んでおますわ、空襲にこと寄せて、わてらに繋がるものは、みな灰にしてしまもうたんやな、(略)あんたには(喜久治)、女が残ってる、わてらには、もう何もかも失ってしもうた」
最後に、数々の印象深いシーンやセリフの中から、お気に入り場面を紹介します。病床の喜久治を、しきたりで本宅には見舞えず、いろいろ手を回して設けた快気祝いの席で、再会した喜久治とお福のくだりから。
「お福は、暫く黙り込んでいたが、『女の愚かさには、変りがおまへん』ぽとりと滴るような声で云った」。この後、、普段あまり感情を表に出さないお福の高ぶりと、それをいじらしく思いいたわる喜久治の短いやりとりがあります。行間から読み取れる熱さ冷たさなどの感覚の対比が、目に映るようで、非常に繊細でエロチックな描写は素晴らしいの一言です。
ぼんち 改版
2019/08/15 06:39
ぼんぼん
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
山崎豊子初期短編。船場のボンボンを描いた作品。舞台も内容も著者の特色がよく出ている。大阪ものの典型。