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ムーン・パレス(新潮文庫)
人類がはじめて月を歩いた夏だった。父を知らず、母とも死別した僕は、唯一の血縁だった伯父を失う。彼は僕と世界を結ぶ絆だった。僕は絶望のあまり、人生を放棄しはじめた。やがて生活費も尽き、餓死寸前のところを友人に救われた。体力が回復すると、僕は奇妙な仕事を見つけた。その依頼を遂行するうちに、偶然にも僕は自らの家系の謎にたどりついた……。深い余韻が胸に残る絶品の青春小説。
ムーン・パレス(新潮文庫)
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ムーン・パレス 改版
2011/07/16 09:59
オースターの小説を楽しみつつ、書評について少し考える
12人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
『幻影の書』を読み圧倒され、『オラクル・ナイト』をひもとき奇妙に快い読後感を得てポール・オースターの軽いファンになったため、これまで出ている文庫を集めて書かれた順序で読んでいる。同じ作者の本の書評をできるだけ避けているのだが、なぜ私がオースターに惹かれるのか考えるのに本書は手ごろな内容に思えたのが書く理由のひとつだ。
まず「訳者あとがき」や、この小説について書かれたものいくつかを、本書を読む前に読んでしまったのだが、それらが肝心なことを巧妙に(あるいは偶然に)ふせてくれていることに感謝したい。ミステリーではないが、この小説のミステリアスな展開は、あらかじめすべてを知っていて読むと興をそがれるだろう。
たまたま豊崎由美の『ニッポンの書評』を読んだのだが、そこにストーリーを書きすぎてしまう書評へのいましめが書かれている。
この問題は難しい。たとえば私はミステリーを読むときは事前に解説や書評類は読まない(ミステリー関連の訳者あとがきや書評が注意深く書かれているのは推測できるが、万が一のことを考えて)。他の本にくらべて、肝心なことを知ってしまうと読書の楽しみが減る小説ジャンルだと思っているからである。
だがミステリー以外の、まだ読んでいない本の書評などを読むとき私はそれほど「ネタばれ」に注意することはない。また読むつもりはないが、何か少し知りたいということは往々にあって、そんなときはミステリアスな内容の本の場合でも、ある程度ストーリーの肝心な部分にふれた文章を期待する。
問題は読まないつもりでいても読みたくなることがあるかどうかである。書評が対象としている本を読まないつもりで書評を読んでいるうちに、その本を読みたいと思うようになっているとしたら、それは書評の力かもしれない。そこには肝心なことが、読むとき興をそがれないかたちで巧みに書かれていたのかもしれない。下手に種明かししてしまっている書評の場合には、人を読書にかりたてることはないだろう。
私が『幻影の書』と『オラクル・ナイト』に圧倒されたのは、作品内作品という以上の複雑なかたちで、実に巧みに、小説本体のなかにいろいろなストーリーが埋め込まれていたからだったが、オースター前期のこの小説にも、そうしたストーリー、物語が埋め込まれている。だがこの小説の前半は、ニューヨーク、マンハッタンを舞台に、ホームレスに陥りそうになる学生(を卒業したばかりの若者)の青春小説的な面白さに満ちていて、それが後半部分に対して味わいの落差を生み出している。
訳者あとがきを読み返してみると《思いもよらぬ方向に話が収斂していくあたりは》と、ストーリー展開の妙にふれているのに気づくが、決定的な部分に言及してはいないので、私はあれよあれよという物語の深みと捩れにはまってしまったという感じだ。
微塵も読みにくさのない翻訳だが、ローマ字のV音を「ヴァヴィヴヴェヴォ」表記ではなく「バビブベボ」表記にしているのが眼につく。
これより以前のオースターの小説において、同じ訳者はほぼ全体的にヴァ表記であるし、またこの小説以降においても、タイトル自体が『リヴァイアサン』『ミスター・ヴァーティゴ』というぐあいである。
『ムーン・パレス』がバ表記であるのは翻訳上それほど重大な問題とは言えないが、この小説の前半部分、主人公「僕」(これも「私」ではないことに留意したい)の縁者である「ビクター叔父さん」が頻出することに理由があるかもしれない。
訳者あとがきには、《作者自身「私がいままで書いた唯一のコメディ」と想定する》といった言葉があり、なるほどと思うが、《物語への欲望を目いっぱい満たしてくれる一作》という訳者の評価も妥当というしかない。
今これに続くオースターの『偶然の音楽』を読んでいるのだが、その訳者あとがきを読むと、ここには前作『ムーン・パレス』のキー部分がこともなげに語られてしまっている。だがそれはいいのである。読まれる場所、読者が読もうとする位置(の推測)などによって、あるときには語っていけないことも語ってもさしつかえないということは、ある。どちらにしても充分な考慮が働いている。
それよりも、やはり『偶然の音楽』訳者あとがきが、その本の微妙に肝心な部分をふせて書いているのが助かった。これにくらべるとサイト内のいくつかの書評は読もうとしてやめたものがある。これも『ムーン・パレス』以上にミステリアスである。
『偶然の音楽』は映画化されている。まだ観ていないのだが、ポーカーがうまい小柄なジャック・ポッツィをジェームズ・スペイダーが演じていて、読んでいてまさに適役だと感じさせる。そのイメージでポッツィのセリフを(日本語でだが)聴いている。
小説中盤のポーカーゲームを驚くほどスリルに満ちたものと感じさせるのは個人的な体験からきているのかもしれないが、このあたりを読みながら本書評冒頭の「軽いファン」という言葉を改めたくなった。
ムーン・パレス 改版
2019/01/28 15:29
主人公に愛着がわく
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「僕」のことを他人とは思えなかった。もちろん、私は彼のように女手一つで育てられたわけでもないし、小さいころに母を交通事故で亡くしたわけでもない、母は80才になったいまも元気だ。では、どこが他人でないと思ってしまうかというと、人生について淡泊なところなのかもしれない。所詮はそういうことなんだと変に悟ってしまう、一生付き合っていけるような、友人や知人に対してもかなり淡泊でこちらから居場所を知らせたり、連絡を取ろうともしない。なぜなら、人生なんてそんなもんだから。彼は、こうなってほしいという読者の逆、逆を生きていく。そんな彼に愛着がわく
ムーン・パレス 改版
2016/02/04 00:02
最後に小さな光
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のあのあ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポールオースターはもどかしい
ポールオースターはせつない
ポールオースターは残酷
そして最後に小さな光が見える