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6件
ギルガメシュ叙事詩
著者 矢島文夫
初期楔形文字で記されたシュメールの断片的な神話に登場する実在の王ギルガメシュの波乱万丈の物語。分身エンキドゥとの友情、杉の森の怪物フンババ退治、永遠の生命をめぐる冒険、大洪水などのエピソードを含み持ち、他の神話との関係も論じられている最後の世界文学。本叙事詩はシュメールの断片的な物語をアッカド語で編集しアッシリア語で記されたニネベ語版のうち現存する2000行により知られている。文庫化に伴い「イシュタルの冥界下り」等を併録。
ギルガメシュ叙事詩
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ギルガメシュ叙事詩
2018/10/21 01:52
象徴的で美しい表現
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うめ丸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
たくさんの方々がこの叙事詩の良さを語っている。その中で私はなかなか取り上げられにくいであろう叙事詩の細部の表現について、この場を借りて語らせて頂きたいと思う。
少し長くなるが、私の感想が叙事詩のまた新たな読み方を探る機会になれば幸いである。
まずは私の一番好きな表現から行こうと思う。
叙事詩の後半、ボロボロになりながら永遠の生命を求めさまようギルガメシュ。いつまで無益な旅を続けるつもりか、と問う太陽神シャマシュの問いに対するギルガメシュの返答が以下だ。
「野原を進みさまよってのちに
大地のまんなかにわが頭(こうべ)を横たえるべきか
すべての年々をずっと眠りつづけるがために
わが眼(まなこ)をして太陽を見させよ、私が光に満つるように
光あるところ暗黒は引き下がる
死を死せる者、太陽神シャマシュの輝きを仰ぎ見んことを」
要するに、「ここまで散々苦労したのちに無駄死にしろと言うのか。誰に何と言われようと俺は永遠の生命を求めるぞ」という固い決意を述べた文と解釈したが、私の意訳と比較して(するまでもなく…)、叙事詩の表現のなんと象徴的かつ美しいことか!
また、賢者ウトナピシュティムから与えられた試練に敗れ、途方にくれるギルガメシュのこの言葉、
「なにをしよう、ウトナピシュティムよ、私はどこへ行こう
私の体を死神がかたくつかんだ
私の寝室には死が坐っている
そして私が腰を下ろして坐るところにはどこにも死がいる」
私たちはこの表現によって、死の恐怖を身近に感じさせられる。私たちが一息つき、休息を入れようというその場所にさえ死はつきまとう。ギルガメシュのこの絶望と狼狽ぶりには深く心が震えた。
最後に少し視野を広げて、今この叙事詩を読んでいる私たちをも物語に含んでみる。
以下は、叙事詩の前半、恐ろしき怪物フンババ征討する決意を述べるギルガメシュのセリフである。
「だれが、わが友よ、天上まで上ることができようか
太陽のもとに永遠に生きるは神々のみ
人間というものは、その生きる日数に限りがある
彼らのなすことは、すべて風にすぎない
(中略)
私が倒れれば、私は名をあげるのだ
『ギルガメシュは恐ろしきフンババとの戦いに倒れたのだ』と
わが家の子孫ののちのちまでも」
この少し後に、「永久(とわ)なる名を私は打ち立てるのだ」とも言っている。彼はその名を後世に残したかった、というのだ。
叙事詩のラストは、(ここもまた解釈が分かれるところではあろうが、)少なくとも純粋なハッピーエンドとは言い難い。彼が永遠の生命を手に入れることはなかった。
だが、彼の名は、ギルガメシュの辿った苦悩、その道筋は、1872年ジョージスミスによって長い眠りから目覚めて以来、実に数千年の時を超えて私たちの精神を啓蒙しているのである。
これは大変意義深いことだと思う。ギルガメシュの望みを、私たちが叙事詩を読み継ぐことで少しでも叶えてあげられるのだと思うと嬉しい。
以上、やはり長くなってしまった。
あらすじだけならばWikipediaでも何でも見ればいいが、この細部の表現こそ本叙事詩を深めている一因だと思う。訳者の矢島文夫さんは本当にすごい方だ。
読んだことがない方は、ぜひ矢島文夫さんの訳本を手にとって頂きたい。
2022/04/06 18:07
世界最古のものがたり
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
シュメル人によって書かれ、その後のオリエントの諸民族に訳されて語り継がれた世界最古の文字が全訳されている。粘土板が破損して読めないところは複数の言語のバージョンを組み合わせて意味が通るようにしてあり読みやすい。
ギルガメシュ叙事詩
2018/01/27 23:13
著者の写真と物語の世界
3人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この訳書は「古代オリエント集」にも収録されていたが、断りにあるように岩波書店から出た同題の本(後に邦訳者が岩波OBの出版社で似た本を出すが)とは違って、色々な断片を組み合わせて、一つの物語にした本だ。
この本でも注釈はあるが、岩波版の邦訳者は岩波版聖書で「コーヘレト書」(「コヘレトの言葉」、「伝道の書」)も担当しているが、シドゥリの言葉を引用している。「コーヘレト」が「ギルガメシュ叙事詩」を読んでいるのは確実だ。それもシドゥリの言葉は「コーヘレト書」の重要な位置を占める。
この本のカバーに印刷された訳者の写真が沢村貞子に似ている、と思った。それは当然で、解説に加東大介と前田護郎に送る本を間違えた事が記されているので分かるが、著者の母親は加東大介や沢村貞子と実の姉妹で、長門裕之・津川雅彦兄弟とは従兄になる。「芸能一家」と言われる一族の中で一人だけ京城帝大教授と結婚した学者となったのだから。

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