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歴史の余白 日本近現代こぼれ話
著者 浅見雅男
慶応から明治に改元されたのは1868年10月23日だった。それから150年、ほぼ真ん中に日本史上未曾有の「敗戦」をはさんで、多くの出来事が起き、たくさんの人びとが現れ、そして消えていった。それらの歴史と人物のなかでも、みなの記憶にそれほどとどまっていないと思われるものを探し出し、眺めていこうという意図で書かれたのが本書である。
【目次】
明治天皇の皇女と夫たち/明治、昭和の生前退位/民衆憲法と美智子皇后の絶賛/貧乏華族と化け猫女優/海舟と諭吉「犬猿の仲」の真相/勲章辞退とノーベル賞/「十六代将軍」の七〇年/敗れた軍人たちの戦後/大物たちの「不貞」と角栄研究ほか
歴史の余白 日本近現代こぼれ話
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紙の本歴史の余白 日本近現代こぼれ話
2020/11/07 12:40
歴史という“合せ鏡たる過去”に人は「真実」を求めたがるのか
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投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
「記憶」は生き証人が絶えると消えゆく運命にあった。だが、文字の創造は文献「記録」をもって、故事来歴や国家形成の歩みを後世に伝承する「歴史」へと変貌させた。
著者は、人々の「記憶にとどまっていない」歴史の出来事や人物を「探しだし、ながめていこうという意図のもとに」執筆したと明言する。
人物の好悪は、小説や映画、TVドラマでの題材(心躍る英雄物語やロマンス)、役割(主人公か、脇役か、悪役や敵役か)、印象(演じる俳優の顔ぶれ)などの主観的要素に左右されやすい。
僅か150年と時代の篩(ふるい)の期間が短いが故に、日本の近現代史は却って「教科書でとりあげられ」ない歴史の「こぼれ話」が少なくないと著者はいう。
例えば、明治天皇の皇子皇女は正室(皇后)ではなく入内した公家華族の娘が産んだこと、その多くが早逝したことを、私は[1]章により初めて知った。
欧米列強に範をとった明治新国家の君主像を明治帝は身をもって呈した峻厳な人物とばかり思っていたが、成長を遂げた娘の婚儀に喜色満面、相好を崩したという逸話に人間性の温もりを感じた。
女優の入江たか子(溝口健二追悼ドキュメンタリーや黒澤明の「椿三十郎」でお馴染み)が、元公家の東坊城子爵家の出身だとは往年の銀幕ファンには結構有名だが、[6]章にあるとおり、粗末な弁当に女学生が人目を避けて箸をつけていた没落の悲哀を思うと、改めて暗然とさせられる。
戦前の特高警察に検挙されながらも深窓の令嬢らしからぬ志操堅固さで転向を拒み、保釈後に自殺した二十歳の娘が岩倉公爵家にいたとの記述には驚かされた。
文字に残らぬものは初めから存在せず、「無」に等しいというのか? 記録の空白は、不都合な「真実」の隠匿痕なのか。[12]章で著者は、個人的な日記・日誌さえも都合よく削除や加筆が施され、資料価値を失う危険性に警鐘を鳴らす。
「事実」と「真実」は必ずしも一致しないからこそ、歴史という“合せ鏡たる過去”に人は「真実」を求めたがるのか。