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24件
世に棲む日日
著者 司馬遼太郎
2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公は久坂玄瑞の妻、文(ふみ)。文の兄であり玄瑞の師である吉田松陰こそ、『世に棲む日日』前半の中心人物です。「人間が人間に影響をあたえるということは、人間のどういう部分によるものかを、松陰において考えてみたかった。そして後半は、影響の受け手のひとりである高杉晋作という若者について書いた」(「文庫版あとがき」より)
嘉永六(1853)年、ペリー率いる黒船が浦賀沖に姿を現して以来、攘夷か開国か、勤王か佐幕かをめぐり、国内には激しい政治闘争の嵐が吹き荒れていた。この時期、骨肉の抗争を経て倒幕への主動力となった長州藩には、その思想的原点に立つ松下村塾主宰・吉田松陰と、後継者たる高杉晋作がいた――。維新前夜の青春群像を活写した怒濤の歴史長編、ここに開幕。
世に棲む日日(四)
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世に棲む日日 新装版 1
2006/11/08 14:04
長州革命家列伝
14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コーチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
松陰吉田寅次郎—幕末の黒船来航に始まる動乱の最初期において尊王攘夷を説き、安政の大獄で斬首刑に処せられた長州浪人。彼の弟子で、師のめざした革命運動に一生をささげ、それにかたちをあたえた久坂玄瑞と高杉晋作。明治維新後、近代国家建設の原動力となった伊藤博文、井上馨、山県有朋。近代日本の成立に多大なる影響をおよぼした革命家三代の系譜は、長州藩のそれも松下村塾という小さな私塾に端を発したものであった。司馬遼太郎は、松蔭の幼少時から高杉の死までを描くことによって、長州藩の熱狂とパワーにあふれた革命家列伝ともいうべき物語を完成させた。
この書物中一番の魅力にあふれる人物は、なんといっても吉田松蔭であろう。狂気ともいえるその徹底した正義の観念は、少年時代に彼が叔父の玉木文之進から受けたすさまじい教育に由来するものであった。汗をぬぐうということさえも、自分一個の快楽を追及した公けに仕えるべき身(吉田家は代々山鹿流兵学師範)にあるまじき行為と、死ぬほど殴られる厳しい教育の中から自己犠牲と天下国家への献身という強靭な精神が育まれた。その一方で、天性の明るさ、屈託のなさ、人を疑うことを知らぬ無邪気さは、母親をはじめとする朗らかな家族の気質に拠るものであった。さらに長州藩がその家風としてきた自由な雰囲気は、臆することなくはっきりと意見をのべる習慣を彼に身につけさせたようである。
江戸留学の際、無二の親友との旅行に遅れるために、手形の発行を出し渋る藩に見切りをつけ脱藩する...黒船に乗り外国を視察しようとしたが、それが失敗すると国禁を破ったと自首し、獄に入れらる...獄中、囚人仲間と仲良くなり、たがいに勉強を教え合うサークルを作る。(その中の一人は、その後松下村塾で書道を教える。)...松下村塾では、ある日壁塗りをしていた門下生が、漆喰を落とし、下を通っていた松蔭の顔面につけてしまう。松蔭は「師の顔に泥を塗った」と一日中笑い転げた...幕府の取調べに対して、老中を暗殺するつもりであったと、言わなくてもよいことを告白し、そのため最後は刑死する...
こういった逸話からは、およそ怜悧で現実的な革命家の姿はうかがわれない。そこに見られるのは、友や弟子をいたわり周りのだれからも愛される、明るく正直で純粋な人間の姿である。事実、松蔭は自身が志した尊皇攘夷を推し進めることはなかった。彼がやったことは、その強烈な存在感と人柄でもって後進を率い、育成したことだけである。
しかし、このような人格的魅力が原動力となって、幕末の日本が躍動し、明治維新という近代日本の礎となった革命を成功に導いたというのもまた事実である。そこには、ヨーロッパ諸国の革命にみられる機械的・物質的な要因だけで割り切れない何かがあるように思われる。正義を求める一個の純真無垢な魂が、高杉、久坂、伊藤といった共鳴者を通じて、最終的に日本全体に大きな震動をあたえた。人々はこの革命の核にある精神性に意識的にせよ、無意識的にせよ共感したのではないか?その精神性とは、端的には国家のために自己を捨て、命を張る愛国心である。
エドウィン=ライシャワーがその著書『日本史』の中で、日本が列強の脅威にさらされたとき、自国民を裏切ってまで欧米列強の側に立つことを一瞬たりとも考えるような日本人は、ただの一人もいなかった、と述べている。明治維新がナショナリズムの観点から論じられることはあまりないが、維新には欧米侵略に対する日本的ナショナリズムの勝利という側面があったことは否定できない。そしてその幾分かは、松蔭という長州出身の純粋人の精神に根付いたものであるというのは、決して誇張ではあるまい。
世に棲む日日 新装版 2
2007/08/19 11:28
世に棲む日日(二)
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よくきた - この投稿者のレビュー一覧を見る
松下村塾である。
久坂玄瑞(げんずい)が高杉晋作を、吉田松陰に紹介した。
松陰は晋作がさしだした詩文集に顔を伏せ、熱心に読んだ。
それは、この詩文のどこが面白いのだろうと、晋作自身が聞
きたくなるほどの熱心さだった。
‥‥やがて顔をあげ、松陰がいった言葉は、晋作が終生忘
れられないところであった。
「久坂君のほうが、すぐれています」
晋作は、露骨に不服従の色をうかべる。(思ったとおりだ
)。人を見る目が異常に優れている松陰は、最初から、尋常
でない男が来たという感じをもった。若者は渾身にもってい
る異常なものを、行儀作法というお仕着せ衣装で、やっと包
んでいる。待ち望んだ奇士が二人になった(一人目は玄瑞)
と、松陰は喜んだ。
「僕は忠義をするつもり、諸友は功業をなすつもり」、と
いう有名な文句で、門人たちの怖気(おじけ)を叱った松陰
は、萩から江戸に護送され、幕府評定所の吟味を受ける。
そして、晋作が江戸留学をおえて間もない、安政六年(1
859)十月二十七日。すっきり晴れた晩秋の朝、松陰は伝
馬町の獄内で斬首された。
松陰の刑死を知った後も、晋作の腰は定まらず、新鋭艦に
乗っても、気鬱(きうつ)がなおらない。品川の妓楼では、
大小を帳場に預けさせた。若者は刃物がそばにあると、死だ
けが自分の救いであるような気がしたからだ。
気が滅入る本当の理由は、「俺にいったい、何ができるの
か」という、自問することさえ怖ろしい課題があるからであ
る。というより、自分は何事もこの世で為すことのない、不
能の人物ではないかという、恐れと不安と懐疑とが、晋作を
叫び出したいような心境にさせていた。
作者いわく、彼はまぎれもない天才なのである。それは彼
自身も、薄々気づいている。しかし、なんの天才なのか、と
いうことになると、彼じしんも見当がつかない。それが晋作
の焦燥であり、何をやればいいのか判らないのであった。
剛毅な印象の晋作が、現代青年と同様の悩みをもっていた、
とは驚きである。大志を抱く若者の憂いは、想いに比例して
深くなるようだ。
久坂らの勝手な裏工作により、再び江戸出仕となった晋作
は、「これでおれの一生は決った」と肚(はら)をきめ、村
塾出身者の首領に納まる。その頃になると、久坂の口から倒
幕(トウバク)という過激語が飛び出し、藩政担当者の周布
(すふ)政之助をあわてさせる。
世に棲む日日 新装版 2
2016/09/02 09:40
明治末期の変革期の青年の群像を描く歴史長編の第2巻です!
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
司馬ワールド全開の第2巻。海外渡航を試みるという、大禁を犯した吉田松陰は郷里の萩公害、松本村に蟄居させられます。そして、安政ノ大獄で、資材に処せられるまでのわずか三年たらずの間に、粗末な小屋の塾で、高杉晋作らを相手に、松陰が細々とまき続けた小さな種は、やがて狂気じみた、すさまじいいまでの勤王攘夷運動に成長して、時勢を沸騰させていきます。