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3件
ダブル・ファンタジー
著者 村山由佳 (著)
35歳の奈津は売れっ子脚本家。仕事は順調だが、マネージャーである夫の支配的な態度に萎縮し、精神的にはギリギリの日々。そのうえ奈津は人一倍性欲が強く、躯の奥から溢れる焦りと衝動になんとか堪えていた矢先、敬愛する56歳の演出家・志澤とメール交換を始めたのを機に、女としての人生に目覚めていく。志澤の、粗野な言葉遣いでの“調教”にのめり込む奈津。そして生と性の遍歴が始まった…。柴田錬三郎賞ほか文学賞三冠受賞。文壇に衝撃を与えた迫力の官能長篇!
ダブル・ファンタジー(下)
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ダブル・ファンタジー 上
2011/12/15 17:55
男と女と彼と私と、何をどう感じるかは一人一人のファンタジー
15人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最初から最後まで性描写が割と多くあくまで現実の、現代小説だったのでずっと表題の「ファンタジー」、つまりファンタジー=幻想という言葉に違和感があったが、終盤になってようやく分かった。
主人公ナツの言う通り、同じ時と場を過ごし互いに心も体も究極的に求め合ったとしても、男と女は、いや、あらゆる人と人とは相手に違う幻想を抱いているのだということだ。
恋愛はファンタジー(幻想)。
相手に「こうしてほしいああしてほしい」という願望を抱き、「こう思われたいこうありたい」という自分の理想を描き、同じように感じていると信じこんでいる愛おしくも愚かしい時間。
二人で描いているはずのファンタジーに実は一人で溺れていることに気がついた瞬間、ひとは相手に、そして恋愛に依存して生きている自分に気がついて急激に冷めていく。
この物語の主人公/奈津のやむことなき恋愛劇はどれもこれもその繰り返しである。
脚本家/奈津は幼児期から自慰を覚えるほどに性的快楽中毒である。
常に誰かと関係を持ち続けなければいられないほど「恋愛依存」体質であり、相手のタイプは千差万別。そのくせ職業柄言葉には敏感で、会話のテクニックをも重視し、常に相手と「対等」であることを望む男勝りな自称サディストである。
だがその反面、虐待にも近い厳格な母の教育の呪縛から成人した今も逃れられず、誰の顔色も伺い「いい子ちゃん」を演じる、そして高圧的な態度にはたちまち硬化しひれ伏してしまう弱い女でもある。
結婚相手とは姉弟のような関係だったがセックスレスな上、仕事に口出しをしてきた夫に嫌気がさし、そんな折、尊敬していた年上の演出家と関係を持つ。傲慢で野獣的な彼に「調教」されることでようやく自分を夫の支配から解放し独り立ちするが、逆に彼に依存しだしたことで捨てられ人格もプライドも崩れ落ちる。これが前半だ。
後半は傷心の奈津がロケ先の香港で偶然出会った高校時代の恋人(先輩)岩井との、ひたすら優しい癒しと性的快楽に溺れる日々に始まる。妻帯者の岩井と「友情のエッチ」を繰り返し、他に恋人がいても許す寛容な彼。対等であったはずがいつしか心まで望むようになった奈津は物足りなさを感じ、今度はホストに坊さんに若手役者にと自分の体を満足させる相手を求めつづける。
彼女は様々な男ととっかえひっかえ関係を持つ。奈津がのめり込むと男は逃げ腰になったり、もしくは男に物足りなさを感じると他に満足させてくれる男と体を求めさまよう。その繰り返しである。
そして彼女を満足させるのも傷つけるのも、どちらも男の支配であり母の呪縛なのだろう。
(野獣的横暴な演出家/志澤はいうまでもなく。草食系の優しい先輩/岩井ですら他の男との情事を許しながらも必ず全部、くまなく報告するよう柔らかに強要している。それに彼女は快感を覚えているのだから)
結局のところ、愚かで愛おしく、哀れな女。どこまでも「女」で「母の娘」なのだ。奈津は。
本文中にも指摘があるように、私も含めて多くの女性が一生「母の娘」であり、一人の女であり、いずれ娘の母になるのだろうと。そしてそれもこの作品の中に隠れたもう一つのダブルファンタジーなのだろうとふと思う。
よく人は人生に二つの家庭を持つという。一つは出生の家。もう一つはパートナーと築く新しい家庭。
けれどこの二人で気づき上げる家庭一つとっても、恋愛や友情にしても、あらゆる人間関係に完全な一致はない。同じファンタジーを見ることは無いのだと、この物語を読んで改めて思うのだ。
たとえば香港にてある映画のロケ跡地を訪れた奈津と岩井の見解の違いがこの物語をオーバーラップしているようで面白い。
映画の主人公である娼婦について、
「女っていう、僕らとはまるきり別の生き物のね。可愛らしさとか哀しさとか、複雑さとか底知れなさとか…そういう全部があの場面に表れていた気がして」と岩井がいえば、女である奈津は同族嫌悪かもしれないけれど、と前置きしながらも
「女の持つ愚かしさにいたたまれなくなった」と言っている。
男が女に描く幻想。女が男に抱く幻想。
全く同じ物を見ているはずなのにけして同じようには感じられない、永遠に一致すること無い物語。
この作品は残念ながら一貫して女の視点(奈津という非常に「淫乱」な女の欲求)のみから、一人の女を中心に様々な男との関係を描いている。
これが例えば男性の視点を取り混ぜながら交互に描かれたらさぞかし興味深い作品になっただろう。
唯一、男の吐露が許されているのが、捨てられていく夫や岩井の奈津へ宛てた手紙文である。
そこには関係を切られまいと必死になっている、それでいて自分が捨てられた側にはなるまいとあくまで優位性をどこかに保とうとする態度がある。
これを女の穿った見方と見るか、男のいじらしさと見るか。
この物語すべてをふくめ、それをどう感じるかは読者一人一人のファンタジーである。
ダブル・ファンタジー 上
2016/02/27 09:13
束縛から解かれたいという女性の気持ちがよくわかる!
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作品は、村山由佳氏の代表作です。中央公論文芸賞や柴田錬三郎賞などを受賞した作品でもあります。才能のある女性が、束縛から解放されたいと思う気持ちや、それを実現させてくれる男性に惹かれていくなど、男性とはまた異なった、女性の気持ちや志向がよく表現された作品だと思います。一部に結構低い読者コメントがありますが、私は逆にこれだけ女性の深い心理を堂々と描ける筆者に大きな拍手を送りたい気持ちです。好き嫌いが両極端に分かれる作品という意味では、まだ読まれていない方は、ぜひ、手に取って読んでみてください。
ダブル・ファンタジー 下
2022/06/16 01:33
うーん
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
自由ととるか、単なる奔放ととるか、……なんですが、あまり、ほめられた主人公ではないことは、確かー。自分的には、かなり、主人公は、身勝手でながされやすく、後を考えてない、モラルの欠如した人間に見えました