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11件
菜の花の沖
著者 司馬遼太郎
江戸後期、淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛は、悲惨な境遇から海の男として身を起し、ついには北辺の蝦夷・千島の海で活躍する偉大な商人に成長してゆく…。沸騰する商品経済を内包しつつも頑なに国をとざし続ける日本と、南下する大国ロシアとのはざまで数奇な運命を生き抜いた快男児の生涯を雄大な構想で描く。
合本 菜の花の沖【文春e-Books】
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菜の花の沖 新装版 2
2016/09/18 17:43
主人公が船乗りとして、また船主として、大いに名を挙げる快挙に拍手を送りたくなる。頑張れ嘉兵衛!
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
本当に面白い本だった。
菜の花の沖 第2巻は、兵庫の湊の豪家北風家の描写から始まる。この時代の物品集散の大中心地大坂が近過ぎるため、船もモノもヒトも通過してしまう「兵庫」に活力を与えるため、北風家当主が、縁があろうがなかろうが、やってくる全ての「船員」に、風呂も食事も宿泊も無料で厚くもてなすさまを描く。それによって、少々の荷物であっても兵庫に流れ、商いの場所となり賑わいを生むとともに、集まってくる船員同士の操船技術や航海情報などの情報交換の場ともなり、また商品相場や航路沿岸の情報集積の場ともなった。何やら今日の商工会議所活動の数段先をゆく活動とも思え、商売繁盛の原点を教えられた思いがした。
続いて江戸に清酒を届ける樽廻船で一番乗りを果たして名を挙げた主人公嘉兵衛の、北風家デビューの場面へと続くが、この北風家との接点が後に嘉兵衛が船を持つ重要な契機となる。次に嘉兵衛は、紀州藩銘木12本を筏に組み、弟たちとともに無謀にも真冬に江戸まで波と潮にのっていくという快挙を遂げ、益々名を挙げる。
そして滞在していた江戸で、船を手にできるとの情報を得る。その船で荷を運んだ秋田での「船大工棟梁」との出会いが、自分の巨大船、千五百石船建造へと繋がっていくが、数々の冒険譚の合間合間に、司馬さんらしく木綿の大衆化の歴史と北前船によるその肥料の運搬、酒田など寄港地の賑わいの風景などが「街道をゆく」さながらに描かれる。また司馬さん独自の「日本人の気質や村社会文化の特性」、「商人からみた武家社会の非合理性」への考察も展開され、読んでいて飽きさせない。それにしても作家である司馬さんが、和船、唐船、オランダ船などの船の構造と耐久性、その進化について、これほど深く極められたことに敬服せざるを得ない。また脱帽させられた。
物語は商売と船建造資金、船員育成への人材援助を求めて、若い頃村八分にされた故郷へと戻っていく。そこで思わぬ吉報が待っていた。
次の第3巻が楽しみであるとともに、6巻本の この第2巻だけでも一編の歴史小説、商売の極意に触れられるビジネス書としても充分楽しめるたいへん内容の濃い一冊であった。
菜の花の沖 新装版 6
2014/02/09 18:11
外交官 高田屋
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:やびー - この投稿者のレビュー一覧を見る
ロシア船に拿捕された、嘉兵衛は遠くカムチャッカの地へと幽閉される身となる。
もちろん、拉致をされた経験も無く自らの生殺与奪の権利を他者に委ねる経験も無い私には、いつ殺されるのか?という環境に身を置く事はこうも生きる意欲を奪うものなのかと、息を呑む気持ちで読み進めました。
幽閉中に嘉兵衛は国家の存立とはどうあるべきかと言う中で…
他を謗らず、自ら誉めず世界同様に治まり候国は上国と心得候(意味:上等の国とは他国の悪口を言わずまた自国の自慢をせず、世界の国々とおだやかに仲間を組んで自国の分の中におさまっているくにを言う。)と、語ります。
この台詞は今の日本人の耳にどう聞こえるでしょうか?
リコルドと嘉兵衛は言葉が通じ無いながらも交流を得ながら、互いに礼を持って接する事で信を得て行きます。国家間の問題をどう解決するのか?信頼を担保に置ける事が交渉をこうも感動的に彩れるのかと胸を熱くします。
現代の東アジアを取り巻く環境を補助線に読み進めると考えさせられました。
菜の花の沖 新装版 4
2017/01/09 18:10
司馬先生が惚れこんで、書きたかった主人公の人物像を実感できる、内容の濃い巻でした
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
択捉島での活躍の幕が上がる。
本巻の冒頭に嘉兵衛は高田屋箱館支店を任せた金兵衛に「決して金儲けと思うな。たかが金儲けで、上方と蝦夷地を往復するという命がけのしごとがつづけられるものではない。蝦夷地を、京のある山城国や江戸のある武蔵国とおなじ暮らしができる土地にするためだ。」という。
また巻末に近く、択捉の蝦夷びとに漁法・加工法を教えたあと、これまでの為政者 松前藩は住民の幸せなど一顧だにしなかったのに対して「人の一生は、息災に働くことにあるのだ。息災のためには、住む場所、着るもの、食べるものが大切だ。エトロフ島を蝦夷第一等のよい処にしよう。」「今年の冬はひもじくないぞ。腹いっぱい食べて、温かい寝床に寝て、丈夫な子を生むのだ。」という。
住民である蝦夷びとから見ると(彼らのカミは大自然とそこにおわす大いなる意志であっても、また嘉兵衛が以上のセリフを実際に云ったかはさておき)「まさに神が目の前に現れた」という心境ではなかったかと想像する。
現代の云い方をすると、一介の“流通商人”である高田屋嘉兵衛という人物の生き方を通して、われわれ一般市民は「そんなこと(=住民の福利厚生の充実)は政治の責任だ」という言い訳しかしていない、言い換えれば思考停止している怠惰さに対して、司馬先生の大いなる叱責の声さえ響いてくると思える。
横道にそれたが、物語はいよいよ北方最前線の東蝦夷地・択捉島開発に関して、最上徳内・近藤重蔵・伊能忠敬などというお歴々が登場し、嘉兵衛が自身は望まないながらも大公儀定雇船頭に出世。官船並びに自分の船8隻を同時に建造し、北の海をめざすところで巻をとじる。本巻では北方での主人公の活躍の前奏曲を堪能した。 巨大な金額を投資することばかりに人目が集まる現代においても、その投資に如何ほどの地球レベルの福利厚生意欲が盛り込まれているのかも考えてみたいと感じるところである。
正月を迎えると、間もなく菜の花の季節がくる。司馬先生の旧居に、今年もまた菜の花を拝見にお邪魔しようかと思っている。